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「KIGEN」第二十六回


 手探りながらも着々と準備が進められた健康診断を前に、かなたはいちごうを慮り声を掛けた。いちごうは歯を見せて笑った。

「大丈夫、私はやせ我慢しないから」

「そうなの?」

「うん。痛いときは痛いって言うし、苦しかったら苦しい~って言う」

 身振り手振りで痛い、苦しいを説明するいちごうに、奏も相好を崩した。

「わかったよ。でも一つだけ、約束して」

―それは奏にとってもいちごうにとっても厳しい決断だった。それでも奏は開発者として、いちごうの生みの親として言っておかなければならないと心に決めていた。いちごうは奏の言い分を、彼が心を痛めながらも決めた覚悟を、思いもちゃんと汲み取った上で、受け容れた。

 心配されていたMRI検査も事なきを得た。いちごうは一度も痛い、苦しいとは言わず、三日に渡った健康診断を終えた。データは速やかに分析に回され、一週間後、再び大学病院を訪れた。リノリウムの白い床に靴音を響かせながら人気のない廊下を進み、一般の利用者とは別の診察室へ通された。


 診察室へ入ったのは、いちごう本人と奏、保護者としてわたる、そしてチームリーダーの矢留世やるせに、結局三河も来た。担当した医師はデスクの上へ書類を整え、傍らに大きな茶封筒を控えて一同を迎え入れた。誰も口を利こうとしないものだから、診察室の白さが殊更に際立って見える。検査中は陽気を貫いたいちごうも、今日は神妙な顔で口を閉じて座っている。少し草臥れた白衣を羽織った医者は椅子を軋ませて体重を傾けると、いちごうを見て軽く頷き、それからすぐに奏を見て口を開いた。

「いちごうさんには、間違いなく人間の皮膚が形成されています」

 果たして奏の予想通りだった。あらかじめそれと予期していたものの、実際に医者からはっきり宣告されると、明確に事実として各々の耳に届き、思わずほうっと息が零れた。医者は話を続けた。

 いちごうには人と同じ皮膚組織があるばかりでなく、皮膚の下には血管があり、既に体中を巡って血液を循環させているという。

「つまり発端となった一つの細胞が分裂を繰り返して、繰り返す中でそれぞれ必要な役を担う為変化するんだ。これを分化と言います。そうやっていちごうさんは人間となり得る生物へ進化していったという事だね。皮膚も血管もその内の一つに過ぎません。ただ―」

 ただ、不完全であるという。人体と全て同じ機能を持ち合わせているとは言い切れず、一部の臓器、皮膚細胞、或いは肉体そのものはロボットとして組み立てられたチタン部分を侵食して形成されているらしい。どうやらこれが電子プログラム回路に異常を来したり、心臓を模したポンプ式の模擬心臓から全身へ流す冷却装置にも影響を及ぼしていると思われる。突然のシャットダウンの原因はこれだろうというのが医師の見解だった。

「でも安心して欲しいのは、というかね、正直僕は驚いたんだけど、全身を巡る血管はね、冷却装置や機械部分をうまいこと迂回して繋がってるんだよね。機械の周辺は特にね、それはもう毛細血管と言っていいかな、詰まったり切れたりしないように、細かく伸びているみたいだよ。人体の血管の作りと似ている部分もあるけど、ちょっと違うようだね。ひょっとすると、状況に合わせて形を変えたり、血管そのものが動かせるのかも知れない。まるで意思を持っているように」

「じゃあいちごうは、人間ともかけ離れた存在なんでしょうか」

「そんなことないよ。人だって手術で人工的に血液の流れを操作する事がある。病気の治療によって人工血管を使う人だっているんだ」

 いちごうの製作にあたって、より人体に近付けたいとの思いから、奏も人体の仕組みについて多少は勉強を重ねてきたが、高度な医療技術や最先端医療についての知識は乏しい上に、理解するには難解だった。知識も経験も乏しい奏であるが、へこたれている時間は無い。いちごうの為にやれることは全てやるんだと前を向く。奏は医者の言葉を信用して、いちごうが人間にかなり近い存在になりつつあると、取り敢えずそれだけを理解しようと思った。

 医者の解説を傍で聞いていた矢留世は、いちごうの人間たらんとする進化の話を聞いてある話を思い出していた。だがまさかなと自分で打ち消した。突拍子もない空想に時間を費やすより、今は目の前の彼等のバックアップが自分の使命なのだ。

「僕は医者であって、ロボット工学には全然明るくないから、あくまで医学的見地から述べさせてもらうけど」

 この前例のない事態の渦中にあってもどうやらマイペースらしい医者は、茶封筒から大きな写真を、MRIで内部をつまびらかにされたいちごうの写真を次々とデスクに備え付けのボードへ張り出した。透けた黒に白い影の形の異なる写真が並ぶと、いちごうの口から思わず「すごーい」が飛び出した。医者はいちごうに顔向けると少し微笑んで「はじめて?」と聞いた。

「初めて見ました。これ、全て私なんですね」

「そうだよ。驚いたかな」

 いちごうは画像を見詰めたままうんと一つ頷いた。医者は白衣の胸ポケットからボールペンを取り出すと、ペン先の方を手に持ち指示棒代わりにした。いちごうと奏とへ順繰り視線を運びながら、終始分かりやすい言葉を心掛けて説明を続けた。

 今のいちごうの状態は、チタンを基礎に出来上がった部分と、人体と同じ仕組みで出来上がった部分があって、半分ロボット、半分人間だという。これを体積から割り出すと六割ロボット、四割人間となる。


第二十七回に続くー



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