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短編「あの日来た小鬼は金棒持っていなかった」


 私はもう、大人になった積りだが。さて、どうだろう。

 あれは遥か昔の記憶。自分たちが小学生だった頃の眩い思い出。もうずっと忘れていた過去の自分。それがどうして、今日久し振りにスーパーで缶のネクター見つけて遂々燥いだ気持ちで買ってしまって、プルタブプシュっとやった瞬間桃のときめき仄甘い香り嗅いで、短いスカートに裸足で兄からのお下がりのスリッポン履いて、ブランコびゅんびゅん立ち漕ぎしていた時代を思い出したのだ。 

 あの頃私は団地に住んでいた。山の斜面削った様なとこに、七階建ての集合住宅が幾つも幾つも並んでいて、何処まで行っても誰かが住んでいた。ここだけで、一個世界が出来上がっていて、そのまま自分たちの冒険の舞台だった。山に入ってしまわないように、団地をぐるり囲むフェンスはあったけれど、あの背の低い、グリーンの柵は、足引っ掛けてよじ登るに楽しくって、兄がやったら自分も真似したし、周りの子もみんなやって、大体大人に怒られた。誰かのお母さんにみんなして怒られて、聞き分けは良いんだけれど、又次もやる。近所の子どもが揃いも揃ってやんちゃ坊主ばかり。女の子は自分の他にもう一人居たかな。

 外へ遊びに行くときは兄について行った。多分母さんがくっつけて行かせてたんだと思う。外で子どもの声がすると、みんな出て来る。兄と同い年の暴れん坊だいちゃんと弟のけんちゃん。みんなより年上だけど一緒に遊ぶもーりー。私には大人位大きく見えたけど小学生だって聞いていた。それからかなちゃん。一番小さい。大体そんな面子で、時々遠い号棟から別の子どもがやって来て、一緒に遊ぶこともあった。

 そんな自分たちの元へ遥々山から下りて来てあの子が仲間入りしたのは、一体いつ頃だったんだろう。季節の記憶はないけれど、でもやっぱり山は茶色かったし、みんな半ズボンだったけど、服の袖で鼻水拭いてる子がいたから、寒かったのかな。

 その日もいつものようにみんなで団地の中を歩き回って探検してた。先頭のだいちゃんが突然「ばんごう!」って言ったから、前から順番に1、2―って言いだして、私も面白がって5って言って、最後にかなちゃんが6って恥ずかしそうに囁いて、それでおしまいのはずだった。でもかなちゃんの後ろから「ななっ!」ってはりきった声がして、みんなえ、と思って振り返った。かなちゃんは怖がって私に掴まって来た。みんなが視線を注いだ先には、かなちゃんよりもっと小さい子がいた。

「この子だあれ」
 けんちゃんが言う。
「新しく来た子?」
 だいちゃんが言う。
「引っ越して来たの?」
 もーりーが優しく尋ねる。
「こんにちは」
 兄が言った。
 私とかなちゃんはもじもじしていた。小さな子はみんなを順繰り見て嬉しそうに笑った。
「山から来た。こんにちは。遊ぼう」
 そう言って飛び跳ねた。
「いいよー」
 だいちゃんがあっさり言って、七人で遊ぶことになった。けんちゃんが名前を聞くとこおに・・・とその子は言って、みんなふうんとかへえとか答えて、早速小鬼ちゃんと呼び出した。

 みんなで車の下を覗いて回った。団地の隙間を通り抜けた。倉庫の扉を開けて周った。鍵が掛かって開かない扉が一層気になった。側溝の暗い所を覗き込んだ。フェンスの向こうの草むらで枯草蹴散らして歩いた。だいちゃんがばんごう!って叫ぶ度にみんなで七迄数えるのが面白くって何度もやった。夕方のチャイムが鳴り出すのが段々気になった。太陽が沈んでいくのが残念だった。でも、小鬼ちゃんの頭のてっぺんに二つ角があるのは誰も気にしなかった。小鬼ちゃんのセーターから出た手と、半ズボンの下から出る足の色がみんなより赤いのも、誰も何とも聞かなかった。だから私も何も言わなかった。その内みんなのお母さんがごはんよーと言いながら迎えに来た。一人二人と帰っていく。

「ばいばい、又明日遊ぼうねー」

 言い合いながら、いつまでも手を振って、そうやって家に帰った。
 私たち探検隊は毎回七人だった。七人揃ったら出発して、夕方お母さんが迎えに来るまで遊んでいた。一人残らずそうやって帰って行く。小鬼ちゃんもやっぱりそうやって帰ってたんだと思う。でも、不思議な事に、誰も小鬼ちゃんのお母さんを見た事が無かった。けれど小鬼ちゃんも毎日誰かと手を繋いで帰っていた。私の記憶が間違っていなければ、小鬼ちゃんは誰かに手を引かれながら、後ろを振り返ってはみんなにばいばいって笑いかけて帰っていた。

 その日の朝は、家の玄関に柊が飾ってあった。兄と一緒に玄関からベランダから、豆を撒いて回った。いつものように外へ遊びに出かけて、みんないつもの様に出て来たけど、小鬼ちゃんは来なかった。小鬼ちゃんはそれ以来全く遊びに来なくなった。また明日ねって言い合ったのに、その明日が、来なくなって、私はああ、豆まきしなけりゃ良かったと思った。

 団地の中には公園も在った。みんなで砂場へ座って休憩している時、だいちゃんがぽつり「あいつ、やっぱり鬼だったんかな」って言った。
「角が二本、あったもんね」
 もーりーが言った。けんちゃんも、
「肌の色が、赤かった」
 と言った。かなちゃんも頷いた。兄は最後に、
「でも金棒、持ってなかったね」
 と言った。

 私はもしまたいつか小鬼ちゃんに会えたら、この前はごめんねって謝ろうと思っていた。グリーンのフェンスを越えて、山へ会いに行きたかった。けれど出来なくて、そうしてそのいつかは訪れないまま、大人になっていた。


 どうして今日まで忘れていたろうか。でも、思い出した。私はあの後家族が一人増えることになって団地を引っ越してしまったけれど、あの場所は、憶えている。今度はフェンスを越えられると思う。

 わたしはどうやら、まだ大人になりきれていないらしい。



                             おわり

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