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「KIGEN」第七十三回


 昼前になって二台の車が敷地内へ入って来る気配があった。基源が玄関を出ていくと、かなたが丁度紙袋を手に車を降りたところだった。基源の姿を見つけてぱっと顔が綻ぶ。

「いちごう!あけましておめでとう!あっごめん、基源だった」
「どっちでもいいよー!奏ー待ってたよー!」
 言うなり奏へ抱きついて困らせに行く。基源の期待通り奏は全力で嫌がった。
「基源、元気そうで何よりだよ」
「渉さん、智恵美さん」
 続々降りて来る古都吹家ことぶきけの面々を順に見て、基源は一人一人と新年の挨拶を交わした。そして車はもう一台止まっている。運転席から顔出したのは、矢留世やるせだった。助手席には三河もいる。
「ええ!聞いてないよっ!どうしたの、みんなして来たの!?」
「サプライズだよ基源。めでたい日には大勢で祝いたいでしょう」
「久しぶりだな。大銀杏姿も決まってたが、それも侍みたいでかっこいいぞ」
 三河は基源が自分で束ねた頭を褒めると、にやりと笑みを見せた。
「これは準備のし甲斐があるね。はいはい皆さん、立ち話もなんですから、どうぞ中へ」


 かえでさんの誘導で一同はぞろぞろと家の中へ入っていった。頭数が増えて一気に賑やかな正月が到来する。ぎゅうぎゅう肩を寄せ合って食卓についたとき、基源は不意に大部屋のちゃんこを思い出した。まるで遠い記憶をなぞるようで、心がぎゅっと絞られた。

 基源が感傷に浸ったのもつかの間、目の前をあっちからこっちから誰かしらの腕が伸び、盃だの徳利だの取り皿だのと賑やかに飛び交い出して、会話の球が大きくなったり、弾んで広がったりとどこまでも陽気な気配が漂う。基源にしてもこれまで何度もこんな光景を見て暮らしてきたので、宴会と屡々しばしば呼ばれる食卓の風景もすっかり見慣れているし、馴染みもあった。だが、集う事が好きらしい人々にとり、三が日というのは格別な三日間なのかもしれない。もし宴会を好まないにしろ、やはり三が日はその他の三百六十二日とは全然違う、何か特別な意味を持つ日々なのだと思う。昔からの慣習だからという向きもあるだろう。けれど、新しく迎えた一年を幸先よく始めたい。そうして今年も健康に、平穏無事に暮らしたいという慎ましくも穏やかで、切実なる願いが籠められているのだ。

 団欒の最中、早くも頬を赤らめた渉がおもむろに立ち上がった。
「基源」
「はい」
「生まれてきてくれてありがとう」
「え」
「何だよ父さんいきなり。もう酔いが回ったの?強くないのに勢いよく飲むから」
「待って待って奏、父さんはまだ酔ってないよ。そうなる前に言っておこうと思ったんだよ。基源が生まれてきてくれた御蔭で、父さんは信じられない人生を歩ませて貰っているんだ」
「それを言うなら、全ては生みの親である奏の功績ではないですか」
「いや、分かってる。勿論奏も自慢の息子だよ。基源を生み出した凄い研究者だと思うんだ。で、その上でね、基源が無事この時代に誕生した。それはすごい確率だったと思うんだ」
「仰る通りですよお父さん、あらゆる事象が重ならなければあり得なかった誕生です」
「そうでしょう、ええと、JAXAの・・・」
「矢留世です」
「うん、そうだった。ええと、何だっけ・・・ああ、だからね、そんな基源が相撲を始めてくれて、本当に嬉しかった。だから僕はね、いつか彼に相撲を勧めたのは僕なんだよって、周りに自慢して回るんだ」
「止めてよあなた、みっともないんだから。ほら、座って」
 智恵美に窘められて袖口を引っ張られ、渉はいそいそと足を畳み胡坐をかいた。


「お見苦しいものをお見せしてしまってごめんなさい。主人は酔っぱらうとすぐに演説したがる癖があるんです」
「いや、大変素晴らしい演説でしたよ」
 三河のフォローに矢留世が賛同して拍手を送った為、周囲もそうかと拍手を送り食卓全体が渉を褒めちぎったみたいになった。渉は感極まって目元を指で擦っている。泣き上戸でもあるらしい。
「智恵美さんも、基源が入門するまで毎日毎食美味しいご飯を作ってくれたんです。ね」
「え、ええ」
「いやあ奥さんも本当に素晴らしい御方だ。尊敬しますよ」
「え、嫌だわそんな・・・でも、そうね―あんなに眩しい土俵の上で基源が立派に相撲を取っていて、怪我も無く大きく育って、その基源の体のほんとちょっとの基礎だけど、自分の作った食事が元だと思うと、誇らしい気持ちがするわね」
「全くです。息子さんは生みの親の奏氏で、御両親も素晴らしくて、基源は幸せな星の下に生まれたという事ですね」

 酒の影響か三河にしては珍しくどこまでも古都吹家を褒めちぎってやまない。それとも今日迄温めて来た内々の感慨をようやく口に乗せられたのかも知れなかった。上機嫌の上司に便乗して、矢留世も前のめりに口を開いた。

「基源くん、僕は、僕はね、ずっと願ってる事があるんだよ。今日この場で発表するよ」
「――」
「君の夢の続きを見せて欲しい。基源の夢の続きを見ていたいんだ。僕はずっとそう願ってるんだ」

 熱っぽくて、素面しらふで聞くには気恥ずかしい。けれど矢留世も素面で言っている。それで通用する程どうも空気が熱されている。この、年の始めのおめでたい席へ正真正銘真正直な熱を持ち込んだのは誰だと問い詰めたく思うような、ところが事の発端が誰なのか、最早誰にも分からなくて、分からなくていいやと脳味噌が浮かれたものに浸っているらしかった。だが冷静になれば簡単な事だ。全ての始まりは基源本人に違いない。彼が意を決し歩み始めた人生を見守ろうとする目が、彼を追い掛けて山の中まで遥々車を走らせ集まったのだ。

 めでたい卓を囲む一同は互いの顔を見合わせて、みんな言いたい事は言い尽くしたかと確認し合っている。そうして全員の視線は最後に基源に集まった。


第七十四回に続くー


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