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「KIGEN」第七十二回



 基源は傍らにあるスコップを手にすると、おじいの居る畝とは別の畝で収穫を始めた。腰を落とし、スコップを入れる。だが力任せにやると中の里芋が傷つく。土の中の様子を想像して、親芋の周りの子芋、更に孫芋の事も鑑みて大きさを想像する。斜めに刺したスコップをてこの原理で捏ねて行くと、いずれ手応えを得て、里芋の株がごそっと土から顔を出す。芋の間に詰まる土を手で落としてみると、丸みを帯びた里芋や、粽のような形をしたのが離れがたいとくっ付いている。大きくて良いサイズだ。おじいの作る土が良いのだ。目に見えない微生物たちが、陽光に照らされて乱反射する黒味を帯びた土の中にうんと生きている。その存在失くして植物は育たない。土と水と、それから太陽。命を繋ぐ糧を得るには、大地の恵みなしには語れない。今年も豊作らしい。基源は掴んだ里芋の株を畝の傍へ下ろすと、次の株に取り掛かった。いつの間にかかえでさんもアイリーも加わって、暫く四人で手を動かした。


 十一月だというのに汗をかいた。おじいが風呂の後で缶ビール片手にそうぼやくと、かえでさんがすかさず突っ込んだ。

「むきになって作業するから。ちっとは歳を考えたらいいのにね」
「周りが勝手に爺さん扱いするだけで、俺はまだそんな歳じゃない」
「どうせ基源に対抗したんでしょう。大人げないねえ、ねえ基源」
「いえ、私は腕がパンパンになりました。久しぶりにスコップを使ったから、力の入れ方を間違えたかな。明日は筋肉痛かも」
「腕の力だけで掘ろうとするからだ。道具は体で扱うんだと言ったろう。お前は腰が入っとらん」
「そんな・・・おじいそれ、もっと早く言ってよ。さっき畑に居る時にさ」
「もう前に教えた事だ。かえでさん、もう一本」

 はいはい、と言ってかえでさんが台所へ立とうとするのをアイリーが止めて、自分がビールを取りに行った。腕に三本抱えて、更に一本取って、

「かえでさん、飲む?」と聞く。
「私はいいや」
 アイリーは頷いて戻ると、抱えた三本の内一本をおじいの手へ、もう一本を基源の前に置き、自分もプルタブを起こした。基源は目を瞬いた。かえでさんが苦笑する。
「駄目だよアイリー、基源はまだ未成年だよ」
「え、まだ?そうか、間違えた。基源、今幾つになったの?」
「十九」
「いつ成人するの?」
「成年年齢には到達したよ。でもお酒は来年の春までダメなの」
「へえーまだ子どもだったね、ごめんね」
「成人だって。十九だよ。かえでさんが未成年っていうから」
「とっさに出るんだよ、昔はそうだったろう」

 アイリーは笑いながら基源の缶ビールを引っ込めた。基源は不満気に唇を尖らした。からかわれた気がしないでもない。だが不満を言い募る前におじいが口を挟んだ。
「明日から六時だ。遅れるなよ」
 畑だろうか。それとも稽古だろうか。基源はなんと答えれば良いか分からない。ここ最近はかろうじて基礎だけは続けているものの、相撲はおろか真面まともな稽古を積めていないのだ。まわしを締めても体が云う事を聞かなかった。

「おじい、私は―」
 後が続かない。その後何を言いたいのか、自分の言葉が見つからない。
「取り敢えず起きたらいいよ。私も六時、かえでさんも六時、おじいも基源も六時、みんな一緒。ね」
 折角のアイリーの助け舟だ。基源はようやくうんと頷いた。



「白菜旨いな、このまま白菜農家になろうかな」
 お雑煮に入った白菜に身を絆されながら、基源は新しい年を迎えた。
本来力士に正月など無いに等しい。一月場所へ向けて今頃は激しい稽古に身を投じ、体を仕上げているからだ。だが今朝の基源はこたつでどんぶりを抱えて呑気に雑煮を食う体たらくである。みんなが汁椀に装って貰う雑煮が、基源だけどんぶりだ。餅を一度に八つ食べるからだ。年末に搗いた餅が早々になくなりそうで、かえでさんは追加しなくちゃと言って呆れていた。食卓にはこれもかえでさんお手製のおせち料理が重箱へ並ぶ。御煮しめ、紅白なます、昆布巻き、田作り、黒豆、伊達巻・・・彩りも鮮やかに新たなる一年を寿ぎ、無病息災を願って食す伝統料理だ。毎年アイリーも手伝っているそうで、今年はきんとんの味付けを任せられたらしい。

「こら、四股も踏まずに餅食ってるやつはどこのどいつだ」
「おじい、あけましておめでとうございます。四股は踏んだよ。おじいが起きて来るのが遅かっただけだよ」
「そうやって人を出し抜いて、どうせカメムシみたいな適当な四股を踏んだんだろう」
「カメムシ!言い得て妙ですね。しかしおじい、カメムシは案外腰の据わった四股を踏むかも知れませんよ」
「馬鹿」
「新年早々なんて話をしてるんだろうね。ほら基源、お雑煮食べたら着替えておいでよ。みんなが来ちゃうよ」


 今日は奏が家族揃ってやって来る。正月休みに入れば研究チームもひと時の休暇に入るから、そうしたら会いに行くよと連絡を受けたのは年末の事だった。多忙を極めた十二月はメンテナンスの時位しか真面に会話も出来ず、それもオンラインだった為、面と向かって会うのは凡そひと月ぶりの事だ。汁一滴も残さず啜り上げた基源はよしと言って立ち上がると、ぼさぼさの頭を自分で手早く束ねて、一旦着替えに席を離れた。
「髭も剃るんだよ」
 かえでさんが後ろ姿に念押しすると、基源は間延びした返事をした。

「あれ、大丈夫?基源は力士の自覚あるのかな?私少し心配になって来た」
 基源の消え去った方を見詰めながら、アイリーが心細そうに呟いた。かえでさんはアイリーの背中にとんと手を添えた。アイリーが目を合わせると、かえでさんは一つ頷いた。

 私たちは信じて待ってやろう。そう語る瞳は力強さと慈悲深さ両方を持っており、アイリーははっと思い直して、口を引き結ぶと強く頷いた。


第七十三回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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