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「KIGEN」第二十二回


「いちごう君の突然のシャットダウンは、彼の内部で、例えば電子回路を遮断するもの、要するに痞えがあるとしか考えられません。精巧に作り上げられたロボットの、しかもその内部は人工知能が基盤となっていますから、かなり優秀なロボットである事は間違いありません。もし仮に電気系統の異常であるとか、信号トラブルであるのなら、その異常は自己分析で発見、対処できると思うんです。ところが奏くんの説明に依ると、いちごう君を何度検査しても異常は発見されていない。つまり、人工知能が世界中の情報を収集、解析しても見つけられない事態であると云う事。そんな前代未聞の事態であるなら、隕石、これしかないだろうと思います。

 僕は、いちごう君の内部の何処かに隕石が混入して、それが痞えとなって彼の正常な活動の妨げになっていると予想します。いかがでしょうか」

 この場に居る全員が凡そ同じ考えに違いなかった。そしてこの中で口を開くなら、開発者であり製作者の奏であるべきだとの思いから、渉も三河も返事を彼に託した。今後の道行きを決めるのはあくまで奏であると、彼の判断を待っている。大人たちの視線を浴びて、奏は少し緊張した。だが自分の隣にはいちごうが座っている。誰よりも不安で仕方ない日々を送っている筈で、それでも毎日誰よりも明るく元気ないちごうが、今も力強く地面を踏みしめて、周囲と同じ様子で奏の口が開くのを待っている。彼の強さが、彼の勇ましさが、奏を鼓舞した。

「僕も、矢留世さんと同意見です。いちごうの内部には隕石がある。そう思います」

「良かった。それで、解決の為には隕石を取り除いてあげるのが良いだろうと思うんです。これだけの材料が揃いましたから、もう本部へ掛け合って、必要な人員を手配できるようにします。そうすれば――」

「その人たちと手術するんですか?」

「手術?この研究所で奏くんとうちの技術者とで中を開けて隕石を取り除く。それを君が手術と呼ぶのなら、そう云う提案をしようとしていたんだけど」

 思い掛けない箇所で話を遮られた矢留世は、困惑した顔で奏を見返した。だが奏は首を横へ振った。

「無理です」

「無理って・・」

「もうここでいちごうの体内を調べる事は出来ません」

「なぜ?機材が足りないの?」

「いえ、そうではありません」

 頑なな奏に渉も首を傾げた。いち研究者である息子が、こんな稀な機会を頭ごなしに否定するとは信じがたい。

「奏、どうしたの?ここまでの説明の中で、何処かに不安や不審があるのかい?」

「違う、違うよ父さん。提案への反発なんかじゃないんだ。僕はいちごうを誰よりも詳細に把握している。だからこそ出来ないと言っているんだよ」

 自らの口から発するのが屈辱であるかのように、もどかしそうに語気を強めたと思うと、瞼を伏せてひどく悲し気な笑みを浮かべた。少年の悲壮を帯びた気配に、一同は耳目を引き込まれた。奏は意を決して口を開く。

「いちごうは、血が出るんです」

「え?」

「いちごうは、生きているんです。生身の人間と同じく、血も涙も出るんです。水だって毎日飲むんです」

 いちごうの不具合を少しでも早く直して遣りたかった。あらゆるデータを見直して、比較して、AIに関する事例や報告書、論文も片っ端から読み漁った。少しでも可能性のある事象はいちごうと照らし合わせて分析して、用意周到にデータを揃えて、いよいよ事に当たると決めた。

 睡眠状態となったいちごうを作業台へ横たわらせて、まずは表面を覆ったシリコンを剥がす必要がある。ロボット工学に明るくとも、奏は医者ではない。人肌に可能な限り近付けたいちごうの姿を目の当たりして、メスを握ると緊張で手が震えた。だが自分こそが彼の製作者であると心を奮い立たせて意を決した。ところが、眠っているいちごうであるにも関わらず、シリコンへ刃先が触れた途端、苦痛に顔を歪めて「痛い」と訴えて来たのだ。緊張から自分の鼓動が無暗に響いている奏の耳でさえ、その声をはっきりと聞き取る事が出来た。奏の手は金縛りにあったように動かせなくなった。メスを入れようと当てたシリコンに赤い点がつき、みるみる滲んでいく。それは、紛れもなく血液だった。

 奏は恐ろしさのあまりメスを放り出した。作業台の明かりから一歩退いた処へ立って、呆然と灯りの下を見た。灯りの下には、万事を預けて眠りにつくいちごうの姿がある。焦点が合ってはっと我に返った。急ぎ救急箱を取りに走ると、謝りながらいちごうを手当てした。幸い刃先がちょんと触れた程度の軽症で済んだ。

「僕にもまだ理由ははっきりしていません。けれど、いちごうには血管がある。それは間違いありません。その上、ひ、皮膚も生成され始めているんです。体内に組織が、人と同じ細胞が次から次と生成され始めているんです。臓器にしたって、どれだけ人体に追い着いているのか、僕にはもう解析不能です。前例もなければ、いくらいちごう自身のAIに調べさせても何も出て来ない。いちごうの体に何が起こってるんですか!教えて下さい。いちごうはこれから、どうなってしまうんですか」

 奏は明らかに動揺していた。今の今までたった一人でこの未知なる事態を受け止めて、人知れず苦悩してきた彼の心細さが、ここへ来て一気に爆発した。必要とあればいつでも助手を務めて、しかし父として基本は見守ることで応援として来た渉は、息子といちごうが深刻な悩みを抱え、日に日に追い詰められていた事に気付けなかったという衝撃を胸に刻んでいた。一方奏の隣から腕を伸ばし、労わる様にそっと背中に手を添えたいちごう。その間合いと仕草、心配りは、もうAIの範疇を越えていた。


第二十三回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

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