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「KIGEN」第四十三回


 大学生だったアイリーが研修の一環で日本を訪れ、その時人事交流の拠点で身の回りの世話をしたのがボランティアで参加していた源三郎の娘だった。歳が近く、二人は言語を越えて友情の絆を結んだ。アイリーが帰国の後に、源三郎の娘も彼女の国を訪れ、彼女の家族とも親交を深めた。そんな国から戦火が上がった。日に日に状況は悪化して、苦しむ声を聞いた源三郎の娘は居ても立っても居られずに、アイリーの国外避難を手助けする為に自ら戦渦へ飛び込んだ。結果、アイリーは生き残れた。娘は空爆に巻き込まれた。

 母親を二十代の内に亡くしていたから、父一人子一人の親子だった。賑やかな時代も少し前の話だ。源三郎は静まり返った家へ無言の娘を迎えた。目が塞がりそうな程瞼を腫らしたアイリーに、付き添いの通訳を通じてこれが娘の運命だったと聞かせてやった。今後の事を聞けば住む場所も決まっていないと判明し、源三郎は自宅を解放した。アイリーは「アリガトウ」と、一番得意な拙い日本語を使った。

 アイリーは翌朝から畑へ立つようになった。農作業は彼女の得意分野で、母国でも毎日畑で汗を流していた。何より自然が好きで、自然と向き合っている間は全部忘れる事が出来る。忘れるべきではないという縛りさえ忘れられた。畑での作業は純粋に楽しいと笑う事が出来た。言語は通じないものの方が多く、翻訳機が手放せない。これが誤訳も平気でする。だがおじいの家で寝食を共にするカエデさんが、アイリーの身の回りの世話を手伝った。言葉は通じなくても、身振り手振りで意思の疎通を図り、心が通じると笑い合えた。

 アイリーは、「生きる」と決めたのだ。



 いちごうが廊下を通りかかると、物蔭にアイリーが立っていた。手には写真が一枚。見詰めながら感傷に浸っている横顔と見受けられて、いちごうは咄嗟とっさに見なかった事にしようと言った。足音で気が付いたアイリーは顔を上げた。

「コンニチワ、ダイジョブ、ゲンキ」

 笑うアイリー。いちごうの胸がちくりと針を刺されたような刺激を受けた。いちごうは彼女に近付いた。そして、真っ直ぐにアイリーを見て、彼女の母国語で、

「本当に大丈夫ですか?無理をしなくてもいいんです、泣きたい時は泣いたらいいと思います」

 と流暢に言った。アイリーは瞳を見開いた。

「何故話せるの?上手ね」

「私の基盤はAI、語学堪能」

「そうなの?ありがとう。でも本当に大丈夫。写真見たら懐かしくって。もう全部、破壊されて残っていないけれど。だから半分は悔しくて泣いたのかも。けど立ち止まっている時間はないわ。私は生かされたのだから。みんなの分も前を向いて頑張りたい。私も人へ手を差し伸べられるように」

 そう語ったアイリーは、母国語でありがとうといちごうに伝えて、両手を伸ばしぎゅっと彼を抱きしめてから立ち去った。

 いちごうはびっくりした。そして放心した。やがて胸に手を当てて、考えた。はっとして、突然走り出した。

「奏ー!」

 源三郎宅へ訪問中の奏を大声で呼びながら廊下を走り、姿を見つけるなり傍まで飛んでいった。

「何、どうしたの?!」

「大発見。私はついに正真正銘の男になりました!」

「はい?」

「以前から私の性別が議題にあったでしょう。先生はいざとなったらつけてやるって仰ったけど、なんとなく有耶無耶のままで」

「そうだっけ」

 奏はとぼけた。

「でも今わかった。私は男です」

「どうしてそう思うの」

「アイリーに抱き締められました」

「えっ!?」

「そしたらここがぎゅって絞られたみたいに苦しくなった。それから全身の力が抜けた」

「うん」

「アイリーは女性です。そんなアイリーに心臓をぎゅっとされたのなら、私は男じゃないですか」

「なんだ、そっちかあ」

「何だって何だよう、違うの?」

「いや、間違ってるとかじゃなくて・・こっちの話。それより、いい、世の中はジェンダーレスっていってね、男女の垣根はどんどん低くなってるんだ。誰が誰を好きになってもいいんだってさ」

「ああ、そうか、多様性、ダイバーシティでした」

「そう。だからいちごうがそう云う理由で自分を男だと決めるのはおかしいと思うんだよ」

「それじゃ奏は何を根拠に男だっていうの」

「僕は生物学的に男なんだよ、生まれた時から」

「そっか・・・」

「でもいちごうは先生に性別は男だって、前に証明してもらったじゃない。あの時からいちごうは男だと僕はずっと思って来たよ」

「うん、それは私もそう思うんですが、抱きしめられて、気が動転したから、思わず思い出したというか…蒸し返さなくてもよかったですね、失敬。新弟子検査うける前にね、明らかな兆候があれば良かったんだけど」

「あ、そっか。そうだよね・・・いちごうは男だよ」

「そうだ、私は男だ」

 いちごうは復唱しながら立ち去った。子孫を残そうとする意志、その為の進化は、生存競争の必要がなければ始まらないのか。それとも後回しにされているだけなのか、奏にもわからなかった。肉体も臓器も着々と進化を遂げて、排泄機能も備わった彼の、生殖機能だけは殆ど未発達であるのが、何だか不便に思えた。

 ロボットの性別。人の性別。性別とは何だろう。その根拠は、定義は――生まれ落ちた時点で定められたものは、法の下に正しく、そうでなければ世の理が崩壊する。それが正論だと思っていた。ところが現代社会は個々の思想から成り立つ各自の自覚する性を許容する向きが俄然強くなった。身体的特徴のみが性別を決める時代は終焉を迎えているのかも知れない。多様性が主流になるならば、人類は新たなるステージへ立ったといっても良い。


第四十四回に続くー


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