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掌編 「願い」

 僕は名前を呼ばれ、促されるまま入廷した。テレビで見た事のあるような、裁判官たちの席と傍聴席の間に、僕の立つべき場所が在った。僕は真っ直ぐ前を向き、正面に座る裁判官に顔を見せた。

「それでは始めます。えー、2020年8月20日、菜古間通りのA太さんで間違いありませんね」

「はい」

「それでは判決を言い渡します、A太さんを―」

「ま、待って下さい」

 裁判長は不思議そうにパソコン画面から顔を上げた。

「どうしました」

「もう判決ですか?僕はまだ、何も述べていません。それにあの、ここに至った経緯とか、証拠の提示とかは」

「ああ、そういうのはもうAIがやりますからね、終わってます」

「そんな、でも僕の話は誰にも聞いてもらっていません」

「うーん。でもね、過去の事案とかAIがちゃんと統計出して見てくれるから、何も問題無いですよ」

 そんなはず無いと僕は思った。みんな事情は違うはずだ。統計で僕の最後を決められてはたまったものじゃない。人工知能の力がこんな所にまで影響を及ぼしているとは、思いもよらぬ事だった。僕は懸命に声を上げた。

「そう仰らず、どうか話を聞いて下さい。その上で下された判決にはきちんと従いますから」

 裁判長は両隣の仲間に顔を向けて、二人が頷くのを確認し、また僕の方へ向き直った。

「それじゃあ言って御覧なさい。ただし手短にね。後が閊えているからね」

「ありがとうございます」

 僕は一礼して、淡々と、思うままに口を開いた。先ず言いたかったのは、僕は死のうと思っていたわけじゃないということ。そして、やり残したことがあるから戻りたいということ。それから、相手は無事だったのかが知りたいと伝えた。出来るだけ手短に、要点を纏めて話したつもりだ。裁判官たちは一応最後まで黙って話に耳を傾けてくれた。

「以上ですか?」

「はい」

「それでは判決を―」

「待って下さい!」

「どうかしましたか」

「もう判決ですか?今の話は?今の話は考慮されましたか?」

「ですからもうAIがね」

「僕は戻らなくちゃならないんです、絶対に。お母さんに、弁当の御礼を言い忘れたんです。それに弟が、年の離れた弟が今日帰ったら折り紙で鶴の折り方を教えてくれって言ったんです。それに父が・・父は帰宅がいつも遅いんです。でも、たまには早く帰って来るんだ。それなのに僕はお帰りなさいも言わなかった。今日は早く帰って来るかも知れないんです。僕はちゃんとお帰りなさいって言いたいんです」

 僕はもう必死だった。裁判長へ掴みかかる勢いで訴えていた。

「分かりました。あなたの言い分はよくわかりました。けれどここに、もう判決が出ているのです。我々は未熟な生き物ですからね、間違いを犯します。けれどAIはね、その点賢いし、平等ですからね、失敗もしません。結局優秀なんですよ。我々は従うだけです。それではー」

 僕は脱力してしまった。こんなに懸命に訴えても、何一つ伝わらないのかと思った。もう八方塞がりだ。みんなにはもう会えない。こんなことならあの時、顔をあげていればよかった。手元の情報に夢中になって、何色でもいいから渡ろうなんて馬鹿な真似しなければよかった。ごめんなさい。本当にごめんなさい。僕を撥ねてしまった車の人も、ごめんなさい。僕の所為で大変な迷惑をかけてしまいました。もしも無事だったなら、そっちへ戻って僕が悪いと謝ることができたら、少しでも役に立つと思ったのですけれど、そう云う訳にいかないみたいです。本当に申し訳ありません。

 僕はもう何もかも諦めて、俯いたまま、静かに判決を待った。その時、裁判長の右隣に居る人が、立ち上がって裁判長の席へ近付いた。そしてパソコン画面を指差して、「更新を」と言うのが聞こえた。裁判長は「押すの?」と確認している。そうして裁判長はパソコン画面の左上の方を指で押した。

「これだけは自分でやらなくちゃいけないのでね、今あなたの判決を更新して最新のものにしましたからね。もう間違いなくあなたに下されるべき判決になっていますから。いいですね最後まできちんと聞いて下さいよ」

「はい」

 僕は背筋を伸ばした。神様、ここから願いが届くのか知らないけれど、神様、どうか僕の願いを聞いて下さい。僕は戻りたい。家族の元に帰りたいのです。真面目に生きます。これからは真面目に生きます。ポイ捨てもしません。両親に生意気な口も聞きません。弟とも騙したりしないで遊んでやります。呼ばれたら返事もします。僕はもう生まれかわったつもりで生き直します。ですからどうかお願いします。

「判決。A太さんは体がまだ生きています。その為こちらに居るのは相応しくありません。よって送り返しとします」

 僕は直ぐに動くことができなかった。

「あなたあれでしょう。三途の川渡って来なかったでしょう。大方夢を見ているんですね、夢から迷い込んだ類の方ですね。早く起きて、自分のするべきことをおやりなさい・・・と判決文に書いてあります」

 僕は死ぬほど感謝した。運命にも神様にも、全てに感謝した。

「ああそうだ。お相手の方は無事です。こちらへは来ていません」

 僕は深く一礼して、謝罪と御礼を述べ、法廷から出て行こうと踵を返した。出口付近まで来た時、右隣へ座っていた裁判官が傍まで降りて来ていたので、一礼して立ち去ろうとした。するとその裁判官はすっと僕の傍へ近寄って「まだ暫くは来るなよ」と言った。知ってる声だった。僕は驚いて顔を上げた。裁判官は祖父だった。

「おじいちゃん」と言いかけて、しかし祖父が黙っていろという顔をしたので、何も言わずに立ち去った。僕はAIに助けられたのだろか、それとも祖父の機転に助けられたのだろうか。はっきりとはわからなかった。けれどもし戻ってもまだこの記憶があったら、いや、無くても僕は、仏壇の前へ座って礼を言おうと思った。

「あー、起きたー!お母さん、お兄ちゃんが起きたよー」

 僕の耳に、あどけない弟の声が響いてきて、僕は自分が泣いている事に気が付いた。

                おわり


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