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「KIGEN」第五回



「じゃあその当たったものって何?何処に行ったの」

 渉はそこなんだよなあとつぶやきながら腕を組んで首を傾げた。全ては憶測に過ぎず、素人目にはどうとも判断が出来ない。息子の事となると極端に不安を募らせる智恵美の為にも、これ以上ケガについて語るのは止した方が賢明だ。両親の思慮も我関せずと、とうの奏は朝食の皿へ並ぶさやえんどうに箸を伸ばし、黙って父の皿の中へ移し始めた。渉は何も言わない。それどころか皿へ渡していた箸を縁へ寄せて、さやえんどうが置きやすいように気を回してやっている。三本中二本が移動終えた時、智恵美が聞こえよがしに溜め息を吐いた。自分の箸を掴むなり、たった今移されたばかりのさやえんどうをまとめて奏の皿へ戻す。

「いい加減に止めなさいよ。幾つになると思ってるの。春から中学生でしょう、恥ずかしい」
 奏は帰って来たさやえんどうをじっと見て、今度は皿ごと父の方へ差し出し、少し傾けて見せる。渉は促されるまま、息子のさやえんどうへ箸を伸ばして一本食べた。
「あなた!」
「ああ、ごめん。ついね」
 智恵美の鋭い眼差しが奏に向かって放たれる。
「そんな偏食ばかりしてたら、いつまでたっても大きくなんてなれませんっ」
「・・・・・父さんがさやえんどう好きだからあげただけだけど」
「嘘を吐かない!」
「・・・野菜嫌いでもロボットは作れますから」
 言って奏はトーストへかじりつく。智恵美は掴んでいた箸を一旦箸置きへ下ろすと、これから本格的に叱りますとでも言うように居住まいを正して息を吸いだした。と、すかさず渉が宥めにかかる。


「やっぱり春はいいねえ!智恵美さんの作る朝ご飯は春めいていて美味しいなあ♪ねえ奏」
「うん・・・僕はピーナツバターのトーストがあれば何でもいいよ」
「そう!それにこの目玉焼き、いつも絶妙な焼き加減で美味しいよね、ねえ奏!」

 奏はもぐもぐ口を動かしながら嚥下えんげと同時に一つ頷いた。食事は栄養補給の一環位に考えている奏は食べ終えるのが早い。食パンはあと耳を一辺残すのみである。それをレモネードで飲み下して、目玉焼きを飲み物の様に皿の端から滑らせて口へ運ぶと、これもレモネードで流し込んで早々立ち上がった。立ち上がってから思い出したようにごちそうさまでした、と言って去っていく。渉の台詞にちょっと気を許した智恵美は、その隙にまんまと奏に逃げられて、諦めの息を吐き出すと、気を取り直して箸を取った。渉は労いの視線を向けながら、息子が皿へ残していったさやえんどうをちゃっかりしれっと食べきった。


朝食を終えた奏は、いつも通り研究所へ向かう。家の裏口を一旦出て、研究所用の軽いサンダルを履く。元ガレージの出入り口までは子どもの足で三歩だ。母屋と研究所双方のひさしが張り出して、たとえ雨でも濡れる心配はない。研究所の扉には渉特製のプレートが掛かっている。青地に白抜きの文字で「立ち入り禁止」とある。くるりと返して、赤地に白抜きの字で「使用中」になった。入って直ぐ右側の壁に小さなリモコンが据え付けてあり、慣れた奏は手探りで点ける。元は二本の長い蛍光灯だった物を、渉がLEDのシーリングライトに切り替えてやった。これで手元が一層明るく見える様になった。他にも作業台の高さ調節や研究所の備品など、必要に応じて渉はいつも調達を請負い、奏の望む環境へと整えてくれた。つまり父なくしてこの研究所は成立しなかったといって決して過言ではない。

 明るく照らされた研究所内を見渡して、奏は途端に本来の少年に戻って瞳を輝かせた。

「お待たせ」

 奏の何処へともなく発した言葉の後、掃除用具入れとして購入されたロッカーの扉ががたっと不自然に音を立てた。

 窓の外、電線上でツバメの親鳥がぴいと鳴いた。奏がにこりと笑った。

 麗らかな春休みの朝だった。




 数日前、春休みに入ったばかりの夜。その日も夕食後の研究所で、奏は研究に勤しんでいた。人工知能の育成プログラミングやシステム構築を終えて、AIはパソコン内で成長を続けている。そしてロボット本体も完成が目前に迫っていた。五年生になった時、それまで渉を頼るしかなかった火花が飛ぶような作業も一人でやって良い許可が下りた。肉体労働は全くの苦手で、小学校の自然体験では農家の畑で大根を引っこ抜くこともできなかったひ弱な体だけれど、火器を使う為消火器の扱いを訓練し、研究所内には常時バケツに水を一杯用意している。

 その日の夜は奏が渉の助手の申し出を断って一人きりで作業していた。今夜に限っては、一人で行いたかった。彼の長く製作中であったロボットが、いよいよ完成予定だったからだ。無事完成させたあかつきには、自ら立ち上がり動くロボットと父を対面させて驚かせたいと計画している。

 パソコンモニターには緻密な計算によって導き出された手順が映る。さながらデジタル手術オペだ。そして目の前の作業台には完成間近のロボットが横たわり目覚めの瞬間を待っている。今夜はこのロボットへ心臓部を取り付ける大事な日である。ちなみに人間でいうと脳味噌にあたるAIプログラムを含めた中枢部位は、既に昨日頭部へ取り付け完了した。只今はAI自らが起動前の最終点検を行っているところだ。

「総重量、クリア」
「活動電力、MAX」
「各部位ノ異常数値、ナシ」

「バケツの水、よし」
 奏が付け加える。

「体内装置異常ナシ、AIハ正常二作動シテイマス」

 モニターに正常の文字を確認して、奏はトレーに用意したチタン製の模擬心臓を両手でそっと持ち上げた。


「はじめます」


第六回に続くー



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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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