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1月22日 通院メモ 双極性の躁鬱の波をコントロールするのは、簡単なものではない

昨年の間は、トンネルの中にずっと居たような気がする。
今年になって、というか去年のほんとに年末も年末、12月29日くらいからようやく体調的にも整ってきた。
どうやら、そこがスタートラインみたい。

今、クリニックのリハビリの内容がようやくしみこんできている感じがある。
認知行動療法に取り組んでいても、これまでとは全然違う感じがある。
取り組むことの意味合いも含めて、自分のモニタリングなどとつながっている感じがある。

なにかをするにあたって、健全な肉体というのが大前提なのかもしれない。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
とは、よく言ったものだ。

逆のことを言うと、認知がゆがんでいたり思考が躁の状態や逆の鬱の状態というのは、肉体のどこかに不調が隠れているのかもしれない。
どうもスッキリしない。
ごまかしごまかし、なんとかやっているようでも、やっぱりごまかしはごまかし。
どこかに齟齬が出る。
ボロが出る。

そんなことも、この1週間の調子の波の中から見えてきた。
自分が不調になるパターン。
躁寄りの混合状態で突発的に思考がぐんぐん進み、思考は高いが気分が落ち込み、行動がコントロールできなくなる。
自分の場合は、食欲のコントロールが全くできなくなる。
コントロールできないときは、「どうにでもなれ」と投げやりな気分でもあり、自分の身体に対しても無頓着になる。
食欲のコントロールを失ったとき、満腹中枢がおかしくなって、いくらでも食べ続ける。
その結果、お腹の調子が悪くなったり、睡眠の質が悪くなったり。
そうしているうちに、躁の反動がやってきて鬱へと落ち込んでいく。
身体の調子が悪くなりかけているところに来て、コントロールはできないし、気分は鬱よりになるわけで、もう悪化の一途をたどる状態になる。
そこに、気晴らしにと過活動の状態を作るとなおさら。

そうして、自分がダメになる方向へと自ら進んで行ってしまっていた。
これが、自分の悪いパターン。
この間、躁寄りの状態の時に周りの人に対して攻撃的な物言いをしていたりして、人間関係がギクシャクしてしまっているところに、鬱の波がやってくる。
そうなると、追い打ちをかけて自責の念が強くなり、この世から消えてしまいたい欲求は果てしなく大きくなっていく。

今回、クリニックに毎日通っていることで、そのスパイラルになりかけていたのを止めることができた。
ほんとにありがたいとしか言いようがない。
クリニックのスタッフの皆さんのちょっとした一言で、ストップをかけられた。
これまで積み重ねてきたことが頭に入っていたことと、そのことを自分に当てはめてみて、自分の状態を客観的に見ることができたこと、対処の方法をしっかりと身につける意識を持って取り組めていたことで、理解して気分を落ち着けることができたとも言える。

しかし、怖いなぁと思うのは、身体の調子が元気なこともあり、精神的なところだけ深く落ち込んでいたら、簡単に自分を深く傷つける行動に移してもおかしくないなぁと感じる。
今頃、スパイラルのドツボにはまっていたら、今頃この世には居ないかもしれないというのもあり得ない話ではない。

体調が良くなってきたことで、仕事に戻るのも近いと勝手に思っていたが、まだまだのようだ。
つまりは、これからが本当に双極性障害と向き合い、生きていくためのスキルを頭の中の理論だけではなく、自分の身体の一部として活用できるようになっていくトレーニングをしていかないといけない。
リハビリ担当の先生によると、最低8ヶ月はかかるという。
でも、8ヶ月でその後の人生が豊かになるのならば、しんどいことの積み重ねがあったとしても「どうってことない」と思えるだろう。

まだまだ、これから。

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