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20本買っていたフジカラーC200の最後の1本をカメラに入れた

10本セットを2回に分けて購入していたフジカラーのC200。
ついに、最後の1本をカメラに入れた。

復活させたハーフサイズカメラ遊びで使う事が多かったので、結構な枚数で遊べた感じがある。

表現というのにはほど遠い。
自己満足の世界で終わっているかもしれない。
何もフィルムで撮らなくてもという感じもしないではない。
しかし、フィルムで写真を撮るようになって、ものすごく感じるものがある。
それは、

「ああ、十分じゃないか」

ということ。

確かにデジタルカメラは、本当にものすごく便利。
そして、すぐに確認出来て、デジタル一眼レフならそれこそ色々なことが出来てしまう。ひたすらシャッターを押しまくって、そのうちのまぐれ1枚でもいいから出来の良いのがあれば十分っていう感じになってくる。
しかし、それって自分ではないような気もしないでもない。
カメラが撮ってくれたのだ。
プロのカメラマンでもない。
意図したとおりにカメラを使いこなすというところが出来れば、それこそ表現の幅というのが広がるのもわかる。
しかし、追い求めているものって「そこ」なのか?
そんな「?」が出てくる。

それに対して、フィルムで写真を撮っていると、すぐに確認出来ないからこそ、なにがしかの「間」が存在する。
なんだか写真との「間」であり、時間の「間」であり、光との「間」であり、それこそ様々な「間」が存在している様に感じずにはいられない。

だから、楽しい。

光をレンズを通して捉えた際、光によるエネルギーをケミカルな化学反応としてのエネルギー変換と、物理的エネルギー変換による電子信号のやりとりとの差なのかもしれない。

次の分のフィルムも買ってある。フジカラー業務用100。
このフィルムはどれくらいで使い切るだろうか?

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