「映画・生きる」の主人公である渡辺勘治が造った小さな公園の意味
「今日、道で出会った老人たち」
今日、車を運転していると道のはたに立つ老人たちを見かけました。
老人たちは、歳の頃は80~85ほど位の年齢に見えました。
人数は男女3人ほどで、頭髪は白く顔には年齢ほどの皺も刻まれていたように見えました。
3人は、一本の、のぼり旗を立てて肩を寄せ合うようにして、背中を丸め気味に立っていました。
その、のぼり旗には、真っ白な布地に鮮やかな赤色の文字で「軍事費よりも社会保障を」と書かれていました。
老人たちが立っているのは、歩道もあるか無いかのような雑草も生えているような田舎道の本当に道の端なのです。
老人たちの側を、車たちがそりなりのスピードで過ぎ去って行きます。
ですから、車から見ていると側を通り過ぎる時に、チラリと旗の文字が読める程度のものなのです。
その場所では、先日も同じように立つ老人たちを見かけた事があります。
しかし、その時は、道の反対側であったので、のぼりに何が書いてあるのかは分かりませんでした。
なので、老人たちを見かけた者たちのいったい何人に老人たちの訴えが届いているのかは分かりません。
しかし、この年齢の老人たちであれば、のぼりに書かれている事はきっと自分達の為ではなく、孫の為であったり、その子供たちの為にと思っての行動であることが分かります。
自分たちの為にではなく、後の世の人の為に平和で国民にとって優しい国を残したいとの気持ちからの行動でしょう。
そのように考えますと。
これは、「映画・生きる」のなかで住民たちの訴えに対して、市役所の市民課長である渡辺勘治が、自分の残り僅かな余命を知ったことから。
今まで動かなっかった小さな公園建設が、勘治の働きかけで実現した事と同じなのではないかと思ったのです。
自分の為にではなく、後の人たちの為に・・・。
同じ老人たちでも、国会で偉そうに嘘や誤魔化しを平然と垂れ流し、自分たちの利益になる事ばかりを考えている老人たちとは雲泥の差ではないでしょうか。
結局のところ、若者だからダメ、老人だからダメなのではなく、人の良し悪しは、年齢ではなくその人によるという事なのだと思うのです。
どうせ国会に送るなら、自分たちの事ばかり考えているダメな人たちよりも、みんなの事を考えてくれる良い人たちを国会に送った方が良いのではないかと私は思うのです。
先日、元総理の葬儀に数億円が使用されたとか、祭壇にずらりと並べられた勲章や、沿道にずらりと並んだ自衛官の姿を観ましたが。
私は、晩秋の沿道に、のぼり旗ひとつ立ててじっとこの国の平和や安らぎや安心を訴えかけている老人たちにこそ、手作りの勲章でも良いから贈りたいと思ったのでした・・・。
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「映画・生きる」の主人公である渡辺勘治が造った小さな公園の意味
終り
2020.11.5 11.5 15時50「映画・生きる」の主人公である渡辺勘治は、いったい誰の為に小さな公園を造ったのでしょうか?~「映画・生きる」の主人公である渡辺勘治が造った小さな公園の意味 へ改題
11.5 21時40 一部修正 画像1枚入れ替えと加筆
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