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自己紹介

はじめに



 ご訪問いただきありがとうございます。そのみっく(kindle のペンネームはSONOMI C)です。最初に簡単に自己紹介をさせていただきます。

●住んでいるところ 北海道
●生まれ 1980年代
●家族 夫1  娘 高校生1  中学生1 小学生1
●仕事 ロシア関係の航空業パート→ウクライナ侵攻で失業中
●習い事 書道10年→段を持っているが証明できるものなし
     ピアノ12年→楽譜は全く読めず音を聞いて弾くしかできず
●趣味 旅 水泳 スキー 読書 そろばん 書くこと 描くこと
●特技 4カ国語スピーチ 情報収集 節約 懸賞生活 見たものそのまま描く
●好きな言葉 継続は力なり 足るを知る 倒れる時は前のめり 一日一善
●好きな色 赤

 今までぼんやりと生きてきて、これからもその他大勢の日本人のひとりとして生きていくつもりでした。

 しかし、2023年8月に受けた健康診断で血便と肝臓に腫瘤(しゅりゅう)が2つあるとの指摘。頭が真っ白になり、これは子ども達の成人式は見れないなと覚悟しました。なぜなら、私はワクチン使いまわしと出産の失敗によるB型肝炎感染者で普通の人よりも肝臓がんになる確率がずっと高いからです。

 知ってはいましたが、コロナにより定期検査を何年も受けられない状態が続いていました。再検査の結果が出るまでの1ヶ月間、生きた心地がなくただひたすら今までの人生を振り返ってみました。すると、普通の人が経験できないことをたくさん経験していたこと。そして、ずっと叶えたいと思っていた夢があったことを思い出しました。

 再検査の結果、治療は必要ですが肝臓がんではなくすぐに命に関わる状態ではないこと。そして、まだ海外に行ける状態であることがわかりました。

 しかし、これは私に何かを伝えるために起きたできごとに違いない。今回のことで人生には限りがあることに気づき、やるべきことややりたいことは「今」やろうと心に決めました。行ける状態の時に子ども達を海外に連れて行こうと思い、学校を半年休ませて、今子ども達に違う世界を見せています。予定よりもずっと貴重な体験をして戻ってきました。

 B型肝炎は偏見が特に日本でひどいので、ずっと誰にも言わずに生きてきました。しかし、政府のワクチン事業の失敗によって私は何度も体調を崩し命を落とす可能性を常に背負わされて生きてきました。この過去が今の自分につながっているので堂々と公表することにしました。

  文章に残しておけば、私がいなくなっても子ども達や誰かの目に留まり心に残ることができます。子ども達に伝えることができます。もちろん、これからも子ども達と一緒に学び続けるつもりですが、少しでも多くの人達に私の経験が伝えられたらと思い、noteを始めることにしました。

人があまり経験していないこと

⚪︎フランスとカナダケベック州への留学経験
⚪︎ヨーロッパとエジプトを一周(プロフィール写真は当時のもの)
⚪︎私が働き夫は大学院生で結婚(子ナシ)非公表で4年間夫を養う
⚪︎新婚旅行を懸賞で当てる
⚪︎3カ国で妊娠生活 2カ国で出産
⚪︎複数言語でのスピーチ経験あり
⚪︎Kindleで電子書籍を10冊以上出版
⚪︎ウクライナ侵攻により失業
⚪︎母子山村留学経験者
⚪︎子どもが北海道で保育園バスに置き去り(生還)
⚪︎結核病棟の中の更に隔離部屋で生活
⚪︎ワクチン接種によるB型肝炎感染被害者(2024年に提訴)
⚪︎30代でそろばんを始め3年で暗算珠算ともに1級
⚪︎メキシコでそろばんを教える予定


NOTEで何をしたいか


 2024年4月からスタートしたメキシコそろばんプロジェクトの情報発信を主な目的にしています。2024年2月から2ヶ月間、次女と三女を連れてメキシコに滞在していました。次女はそろばんの上級者です。以下は私がそろばんについて書いた本です。

 メキシコで縁があり、2024年6月にまたメキシコを訪れそろばんを指導してきました。これをその場限りの見せ物にせず、そろばんの技術を伝えメキシコの数学教育に役立てること。最終的には、教育でメキシコの貧困を解決することを目標としています。

 その合間に、海外トリビア、母子留学や海外での出産、B型肝炎キャリアとして経験した差別や偏見、園バス置き去りをきっかけに始めた子どもの安全を守る活動についても書いていきたいと思います。

 私の経験をシェアすることで、誰かをハッピーにできたら幸いです。

なぜメキシコそろばんプロジェクトなのか

 2002年に一緒に旅をしたメキシコ人のカルロスが2015年に亡くなりました。

 イタリアのユースホステルの食堂で偶然隣合わせただけのカルロスとは、お互いに何か「縁」を感じながらも言葉が通じずジェスチャーで会話をスタート。それから私がスペイン語を覚えつつ2ヶ月間一緒に旅をしただけなのに、ずっと連絡を取り合う不思議な関係でした。この旅のエッセイはkindle 「目が合ったメキシカンと欧州一周してみたら」にまとめています。

  彼とともに世界の差別や貧困を目の当たりにし、どうやったら社会が変えられるかをジェスチャーや様々な言語の単語を交えながら議論したことを覚えています。
 彼はオシャレな人で、街ゆく人々のファッション、美術館で各国の衣装や装飾品を見て感銘を受けていました。彼はゲイで、最先端の格好をしていましたが当時のメキシコでは偏見や差別にさらされていたのです。

 彼は旅の終わりに

「誰もが自分らしい格好で歩けるようなメキシコにしたい。自分がメキシコのファッションを変える」

 という夢を抱えてメキシコに戻っていきました。
 カルロスが夢を叶えたら、カルロスとその家族に会いにメキシコに行くという約束をしていましたが私が病気で数年間闘病したため約束は果たせず、20年後にやっと約束通り彼の愛したメキシコを見ることができました。長年の夢が叶ったのです。

 彼は32歳で亡くなりましたが、当時は有名なファッションデザイナーになり、メキシコのファッションの基礎を作るという彼の夢を叶えていました。今のメキシコは自由で、誰もが自分らしい格好で歩いていました。同性同士の結婚も認められています。

 じゃあ、今の私にできることは何だろう?そう考えた時に、

「貧困を教育で解決する」

というもうひとつの夢を思い出しました。貧困を解決するには、お金をあげるのではなく教育を与えて自分で稼げる力を養うことが大切です。

 私は自分の子ども達をそろばんに育ててもらいました。そろばんは、安価で続けられ子どもの基礎力を高める素晴らしい教育です。これをメキシコの貧困地域に伝えたら、教育水準を全体的に上げられるのではないかと考えています。

 コロナのおかげで、そろばんはオンラインでも教えられるようになってきました。英語を使って教えることで、教育格差を減らしていくことができます。

 また、メキシコは親日国であり、元々そろばんに似た道具で算数を教えており日本のそろばんの親和性は高いと考えています。

 全珠連のエールvol.28に私の手記が載っています。


さいごに


 今後どうなるかわかりませんが、私たちのチャレンジをあたたかく見守っていただけると幸いです。長々と読んでいただきありがとうございました。



 


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