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「わたし、平和をつくっているのかも」フォルケホイスコーレ的学び場を日本で実践する理由は、ちょっと大げさだけど。

Hej ! そのまんまフォルケホイスコーレ運営のみくです。

私たちと同じように、デンマークにあるフォルケホイスコーレをモデルに学び場づくりをしている場所が日本にもいくつもあるのですが、お隣のまち東川町でも(株)Compath(なんと来年度は校舎もオープン!)がコースを開講しています。

過去 私自身もCompathのコースに参加して以来、年に2回ほどファシリテーターとして場をホストしているので、自分の町での開催も入れて今年は5回、計45人ほどの全国から集まる多種多様なメンバーと共に、人生のよりみち旅を共にしてきました。

コースを終えて、ひとこと。


12月コースは、真っ白な北海道の中で。


つい先週も無事にコースを終えて、たっぷりの多幸感と共に、その密度の濃さでぐっすりと眠りにつくのですが、、

みんなを見送った帰りの車内で、ふと

「は〜こんな人たちが世界で溢れたら、戦争なんかおきないよねえ。
 わたし、こうやって平和をつくる活動をしたいのかも」


という一言が、口からついて出ました。

初日につくった、自分の”名刺”  みんなの寄り道のそばにそっと立つゆきだるまをイメージ

「平和」ってそんな、大げさな。


「平和をつくる活動」と聞くと、みんなは何をイメージするんだろう。

国際会議を開いて協定を結んだり、プラカードをもってデモで意思を示したり、NGOで戦地へ赴いたり、その団体へ寄付をしたり。いろんな素敵な形がある中で、場づくりをして平和活動なんて、おこがましいんだろうか。

どうしてこんな言葉は口をついて出たんだろう、と思い返してみると、それは10月に富山県のfork toyamaへの視察で、代表の岡山さんにこの話をされたからだと思い出します。

町の真ん中にふっと現れる居心地のいい空間。

日本一ちいさな村 富山県にある舟橋村は、人口が倍増する「奇跡の村」と呼ばれていて、子育て世代を中心に移住者が増えて、村を子どもを主体につくり上げていることで有名な自治体。

そこで、自分の子どもが安心して楽しく通える学童を作りたい!と一念発起したのが岡山さん。駅を降りてすぐ、そこだけまるで森の中にいるような木々の中で、カフェと学童(ゆくゆく2階はコワーキングスペース?)が並ぶ、Hyggeな空間がそこにはありました。

(余談:上川町にも何度も来てくださっているそうで、協力隊の卒業生 KINUBARI COFFEE代表のばりさんが、「みくちゃん絶対ここ行った方がいいよ!」とお薦めしてくれたので、別の教育視察で岐阜まで来ていた足を伸ばしてお邪魔したのでした。)

町や外のひと、みんなで経営するから「みん営」をうたう運営形態は新しく、保育料が無料なだけでなく、地域の大人や企業とコラボレーションしながら、ワクワクするこどもの学びを形にしているその魅力は、この全部がつまった記事の紹介に任せるとして、岡山さんとの印象深い会話に話を戻すと。

出身が長崎だという岡山さんのキャリアをお尋ねした際に、「平和と戦争をテーマにライフワークを考えたいと思うようになったが、平和そのものを伝えるのは難しいと感じた」と語っていて、沖縄出身の私は、すごく共感しました。

そうなんだよなあ。
「戦争」というと、なぜ起こるのか・どう起こるのかのイメージや具体例がたくさん上がる中で、「平和」はある意味 私たちの暮らし地続きの個別化された世界だからこそ抽象的で、明確なミッションに落とし込みづらく、みんなで同じゴールを掲げるのが難しい。

震災で働き先をなくした人にとっては、新規事業の立ち上げが平和活動かもしれないし、安心して子どもを預けられる場がない親にとっては、「みん営」を応援することが平和活動だし、ガザ地区の争いに漠然と不安を感じる私は、映画を観て語り合う場を設けることが平和活動なのかもしれない。

マクロからミクロに視座を変えてみること。
「平和って概念じゃなくて、一人一人の暮らしにあるものだなと感じた」

と、おっしゃった岡山さんの言葉が、すっと自分に入ってきた瞬間でした。

岡山さんは、自分の子どもの学びをどうしたらつくれるんだろう?と考え始め、多様な人と手をとりあって取り組んでいくことをある意味1つの平和活動として捉えて進めているんだろうな、と感じたのです。

フォルケホイスコーレのコース中は、自炊をしながらみんなで食卓を囲む時も


自分が場を紡いできた1週間コースを振り返ってみると、参加していた人数は、人口1億人の中の、たった45人程度なのかもしれない。

でも、たしかな手触りとしての「平和」を、いつもそこに見つける。

それは、参加者一人ひとりどれも違った形をしているのだけれど、ふかふかほくほくとした土台をつくっていくような、そんな感覚。

最終日は、プログラムを振り返って円になって1人一言チェックアウトする。

「自分が大切にしていきたい感性と出会えた」
「人と対話するっていいなって思えた」
「美味しいものを食べて、いっぱい笑って、幸せだなあと感じた」

並べてみると、まるで小学生のような素直な感想なのだけれど、こうしたWell-being その人なりの幸せを、プログラムの中でじんわり5感で体感して表現し、お互いに聴き合いながら、ゆっくり抱きしめるこの時間こそが、私たちの暮らしの本質に近づいていくのではないかと思うのです。

お互いの未来を聴き合いながら、ニーズカードを手渡す夜も。

あなたの暮らしは、「平和」だと思いますか?

おおきな問いだ。

平和の対義語を「戦争がないこと」とするのであれば、日本人の大部分がYESと答えるのかもしれない。

でも、もう少し”自分なりの”平和な状態を想像してみると、わたしの周りにはパートナーや友人とお酒を片手に笑いあい、子どもが駆け回って遊ぶリビングや、誰かがお裾分けしてくれた料理が並ぶ食卓がある。誰かに愛を注ぎ、注がれ、時には相手にイライラしながらも、そこには、やっぱり「暮らし」がある。

そもそも、「暮らし」なんか語る前に、地球という大きな生命体の中に抱かれ、息を吸って吐いていることが有難いことで、感謝やつながりの中で生かされている命だということなんだけど。

そうはいっても、全てが経済合理性の元につくりあげられたこの便利な日々に生きていて、そんなことを肌で感じ取るのは不可能なわけで。

お金を払って何かを得る以外のことが想像できず「〇〇(肩書き)なんだから」〜せねば、という何かと受動的で刹那的な生き方や暮らしが体に染み込んでしまっては、窮屈になっていく。

そんな暮らしにどことなく違和感を感じた人たちが、プログラムに参加することで、大自然の中で普段とは全然異なる人たちと共同生活をし、手触りのある暮らしや生き方を実践する人と出会い価値観を揺さぶられ、そして、あるがままの自分とあなたで対話が重なる喜び。

どんな1週間だった?をみんなで振り返った最終日

「幸せだなあ」と感じる尺度は人それぞれだけれど、
だれと比較することなく、
じぶんのものとしてその感覚を大切に暮らせる場があると、


目の前のあなたの幸せも尊重し、
対話の中で新しい幸せを紡ぎだしていくことができるようになる。
時には困難な場面も、創造的に未来を描く力が湧いてくる。

きっとそれが、わたしなりの平和をつくる活動。

職場の人間関係の不和、長く勤めてた業界のキャリアチェンジ中に、子育ての区切り、就職活動/休学の前、リタイア生活のその前に、どんなタイミングだっていいのだけれど。

その人が「おや?」と小さな違和感を感じて、何か問いが立つ感覚がしたその時に、「寄り道、しにこない?」と誘い出し、その人と散歩をするようなペースで「あなたが、あなたの暮らしをつくる喜び」を感じられる場を創りたいんだなあ。

そして、今年もまたそんな場をもたせていただいたことへのビッグラブと共に、筆を置いて。



年の瀬に、なんだか決意表明のような記事になってしまったのだけど。
みんなは、どんなふうに平和をつくっているんだろうか。
そんなことをじっくり対話したいなと思う。コースでお待ちしています。

「Well-beingとまなび」探究コース(2泊3日)
 2024年 1月6〜8日 学びのもやもやを問い直したい方へ

2024 冬コース (1週間)
 2024年2月17~24日 あたたかいHyggeな時間とちょっとの冒険

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