そのままさや

人生の向き合い方と受け入れ方と忘備録。 あと、いろいろ。 文体気にせずニュアンスで書い…

そのままさや

人生の向き合い方と受け入れ方と忘備録。 あと、いろいろ。 文体気にせずニュアンスで書いてます。 音 https://on.soundcloud.com/cTJnZKqnraj6a1uF6 #双極症 の変化 #弱コミュ障

マガジン

  • 文章ほど細かく書きたくない、けどニュアンスを表現したいときに。

  • ヨーガと筋トレ

    ヨガと筋トレて深めてきたことについて 思ったことを、感じてきたこと

  • 視座のへんかん

    気楽な見方になれたときのこと。

  • 特殊な仕事で学んだこと

    色々な仕事を経験してきたなかで学ばせてもらったことを書いていこうと思います。

  • 対人不安について

    対人不安について考えてきたこと。経過。

最近の記事

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対人恐怖は、自分のことも相手のこともコントロールしようとしてる。

長らく、かなりの対人恐怖に陥っていた。 もちろん今もそうなのだが笑 昔に比べて楽になってきたのでそのことについて書こうと思います。 対人恐怖は、 初対面の人はもちろん、長い付き合いの友達との関係においても起こっていた。 相手からよく見られるように、嫌われないように、必要とされるように 人に会うときは、常に心も体をこわばらせていた。 昔、ありのままの状態でいたときに、 傷ついた体験があったのだと思う。その体験は、自分で選んだことじゃないから仕方ないが。 根っこにはそのま

    • 吐いて吐いて吐きまくる

      吐く 何もかも吐き出す 怒りも悲しみも苦しみも辛さも 内側で渦巻く感情を吐き出す 吐けるだけ吐き出す どんな方法でもいい 自分なりのやり方で吐きまくる 絵でもいい 文でもいい 泣いていい 暴れていい 叫んでもいい 狂ったように吐きまくる 吐くとさらに吐きたくなる どんどんどんどん吐いていくと 奥底のどろどろした膿が出てくる それを吐ききると 全身が一気にゆるむ 空っぽになって 透明になったような気分になる 僕らは、 ただいろんな感情を表現したかっただけだ そしてそれ

      • 自分を癒すためのアート

        表現やアートは自分を癒すために作り出されるのではないかと思う。 知り合いの絵本作家さんは、 若い頃から鬱に苦しんでいて、その自分を癒すために絵を描き始めた。それまで、絵画について学んだことも、書いたこともなかったのにいきなり描き始めたみたい。 書いていく事に、幼い自分が喜び癒されていくって表現していた。 服飾やジュエリーのデザイナーさんたちも似たようなことを言っていた。生きてく中で、しらずしらずに内側に溜まっていく感情を排泄するためにものを作り続けていると。排泄しないと苦

        • ふーてん

          ふーてんのように ふらふらいきる 風のように ふわふわと なににも縛られず 雲になる かっこつけずえらそうにせず どんな人にも同じ態度 地位も名誉もなにもいらない 感性だけが宝物 その日暮らしでいきていく 食べ物着物にこだわらず きのままにきままにいきていく どんなことがあっても それでいい いろんなことをすぐ忘れ 昨日の記憶もまるでない ふーてんのようにいきていく

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        対人恐怖は、自分のことも相手のこともコントロールしようとしてる。

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        記事

          ヨガのアーサナとは

          ヨーガは、いろんなアーサナをする。 アーサナというのは、ポーズのこと。 動物や形を真似したポーズをする。 なぜこれをするかというと、身体の浄化をして、落ち着いて長い時間座って瞑想をするため。それが本来のアーサナの目的。 エクササイズのようにアーサナは現代ではとらえられているが、本質は瞑想のためである。 個人的には、本質とかはどうでもいいのだけど。 アーサナについて、アーサナでわかることについて今日は書いていこうと思う。 いろんなアーサナをすることで 身体のあらゆる部分

          ヨガのアーサナとは

          ええねん

          何も言わんでも ええねん 何もせんでも ええねん 笑い飛ばせば ええねん 好きにするのが ええねん 感じるだけで ええねん 気持ちよければ ええねん それでええねん それでええねん 後悔しても ええねん また始めたら ええねん 失敗しても ええねん もう一回やったら ええねん 前を向いたら ええねん 胸をはったら ええねん それでええねん それでええねん 僕はお前が ええねん 好きでいれたら ええねん 同じ夢を見れたら ええねん そんなステキなふた

          井上陽水

          最近井上陽水を聴いている。 世代は全く違うけど。 聞く前は、少年時代しかしらなかった。 なんか不思議な世界観と癖のある声だな〜としか思ってなかったんだけど、最近それがめちゃくちゃ刺さってます。 なんだろう。 風音のような歌というか、鼻歌の延長で歌っているような軽めな感じ。 メッセージというより、ニュアンスを伝えてくる感じ。 抽象画ような。受け取る側にまかせますよと言わんばかりの。 最近は声の入った音楽がなんだか耳障りになってきて あまり聞かなくなってたんだけど、 井上

          あとになってみないとわからない

          なにか不幸だと思われる出来事がおきると そのことを恨んだりすることがある。 なぜ自分にこんなことが降りかかったのだと 人生を憎んだりもしはじめる。 しかし、いろんなことはあとになってみないとわからないのである。 僕の場合だと、そういう不幸と思われるものごとは悉くよくなっている。というか、全部よくなっている。 精神的に限界が達して、会社が続けられなくなってしまったこと 一生を約束したパートナーとお別れが訪れたこと 双極症になって、お金、ともだち、仕事を失ってしまったこと

          あとになってみないとわからない

          ボディースキャン

          自分の身体をスキャンする。 身体をスキャンすることで、何を自分が感じてるのか、どうしたいのかに気づくことができる。 思考から離れて、身体の感覚をスキャンする。 思考と感覚は両立できない。 意識を思考から、体全体に向ける。 頭の上からつま先までそのときの自分がやりたいように丁寧に観察していく。大きなブロックにわけてしてもいいし、細かく分けてしてもいい。全体をまんべんなくそのまま観察してもいい。時間もその時の気分で。チリチリ、ジワジワ、ピリピリ。いろんな感覚を感じる。どんどんみ

          ボディースキャン

          意識的に発狂する

          僕は意識的に発狂する時間をもうけている。 公共の場でやってしまうとびっくりされる又は捕まる恐れがあるので、カラオケボックスか、防音設備のあるレンタルスタジオを借りてその中で狂います。 社会的役割や、こうすべきこうでなきゃ、所作、言語体系など、あらゆる自分に対して設けた制限を外し、 狂ったように叫び、踊り散らかします。 意味のない言葉を叫び、意味のない音のリズムで歌い、わけのわからない踊りをします。踊りというより、身体を小刻みに震わせたり、手をバタバタしたり、拳を強く握り叩き

          意識的に発狂する

          いちいち感じてみる

          いちいち感じてみる。 呼吸してる時の身体感覚 歩いている時の、 座った時の、 寝転んだ時の、 何かを飲む時の、 何か食べた時の、 水の中に入った時の、 人と話す時の、 悲しい時の、 嬉しい時の、 あらゆる身体感覚を意識的に感じてみる。 どんな時も同じ感覚はなくて、それぞれ違った音を奏でてる。 日常的で、当たり前すぎて、全く無意識的に行ってるこれらのことを意識的にやってみる。 気づいた時にどんどんやってみる。 やってるうちに何をやってるんだろう、何か意味があるの?って思

          いちいち感じてみる

          呼吸

          普段、無意識に行われていることを意識的に感じてみる。呼吸。当たり前にあるもののことを人間は忘れ、おろそかにしてしまう性質がある。 その当たり前がなんなのかを意識的に深く観察してみると色々なことに気づかされる。 まず、目を瞑り、自然な呼吸を観察してみる。観察の途中、思考に気が散ったら、それに気づいてまた呼吸の観察に戻る。それを繰り返す。 鼻から吸って鼻から吐く。なにも操作せずに、ありのままの呼吸で。 一回一回違う呼吸の波を観察してみる。 吸う息のながさ、吐く息のながさ。息の

          かっこつけるのってとてもつかれる

          かっこつけること。 僕はゆとり世代ですが、昭和の名残?みたいなものがまだまだ色濃くあった時代でした。僕は、かっこつけるのがおとこ!男!漢!みたいな、むさくるしさが漂う雰囲気の中、育ちました。 スポーツ系の部活にずっと入ってたことも影響を強くしたのかなと思います。 泣いてはならない!弱音を吐いてはいけない!常に振り向かずに前を向く!男たるもの強くなければいけないんだ!みたいな今となっては、時代錯誤の教えを当時は根っか信じて実践してましたね。※今現在(2024)時代的には、男ら

          かっこつけるのってとてもつかれる

          友へ

          似てるところがあって仲良くなった 臆病なところがにていて居心地がよかった 自分の弱さをお互い曝け出せる関係だった よく二人で旅行にいったしお泊まりもたくさんした 全く気を使わない人だった 10年続いたその仲は どちらか死ぬまでずーっと続くとおもってた ある日友は僕に言った 君は僕を見下しているように感じる ずっと昔から感じてたって 最初いってる意味がわからなくなって 頭が真っ白になった こんな長い付き合いなのに 見下されてる思ってたって 傷つけてしまってたことは素直に

          承認欲求という麻薬

          小さい頃、なにかと注目されたり、称賛されることが多かった。 周りから注目を浴びると、脳がかーっと熱くなり鳥肌が立ち、とても気持ちがよくなってた。幼いながらに、なにか脳内物質がドバッと出ているのが感覚でわかってた。 そして、その感覚のえらい中毒になっていたように思う。 そんなことから、 賞賛されること、承認欲求が生きる目的になっていった。 周りが賞賛しそうなものことを 先回りして努力して装うことを繰り返していた。 例えば、ともだちでピアノがうまい人が周りから拍手喝采されて

          承認欲求という麻薬

          はじめてきたひかぶきちょう

          はじめてきたとき胸がなった 完全に異邦地帯 まるで日本じゃないみたい 朝にきたのもあいまって ジャングルみたいな自然に見えた とってもとっても快晴なのに 道に人が寝転んでる まるで自分の家みたい カラスがたくさんたくさん鳴いていた 怖いイメージが吹き飛んだ 街はとっても汚らしい とってもパワーに溢れてた こんなところがあったんだ 閉塞感がパーっと晴れた ここが歌舞伎町か ああ ここが歌舞伎町か

          はじめてきたひかぶきちょう