そのままさや

人生の向き合い方と受け入れ方と忘備録。 あと、いろいろ。 添削が苦手。 #双極症 #…

そのままさや

人生の向き合い方と受け入れ方と忘備録。 あと、いろいろ。 添削が苦手。 #双極症 #弱コミュ障

マガジン

  • ヨーガと筋トレ

    ヨガと筋トレて深めてきたことについて 思ったことを、感じてきたこと

  • 視座のへんかん

    解放に向けてのモノの見方をかえた記録

  • 特殊な仕事で学んだこと

    色々な仕事を経験してきたなかで学ばせてもらったことを書いていこうと思います。

  • 対人不安について

    これも一つの個性だからうけいれれば終わる話。そういう自分を受け入れていけるまでの道筋〜。

  • 雑談ラジオ

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対人恐怖は、自分のことも相手のこともコントロールしようとしてる。

長らく、かなりの対人恐怖に陥っていた。 もちろん今もそうなのだが笑 昔に比べて楽になってきたのでそのことについて書こうと思います。 対人恐怖は、 初対面の人はもちろん、長い付き合いの友達との関係においても起こっていた。 相手からよく見られるように、嫌われないように、必要とされるように 人に会うときは、常に心も体をこわばらせていた。 昔、ありのままの状態でいたときに、 傷ついた体験があったのだと思う。その体験は、自分で選んだことじゃないから仕方ないが。 根っこにはそのま

    • してきた極端な苦行たち

      苦行をしたら、苦しみから解放される、今とは違う自分になれると思っていたときにしてきたことについて紹介していこうと思います。 一点集中、サマタ瞑想 これは、小学生6年製の頃。受験のために勉強をひたすらするも成績が全く伸びなかったためにしたこと。集中力が足りないことが、学力が向上しない原因と思っていたので。 ひたすらドアノブを見つめる。蝋燭を炊いて炎を見続ける。大体30分くらいを一ターンで、何回かする。対象から注意が他に向かないようにそこにひたすら集中し続ける。その後も何か物

      • きついときつくないの狭間をみつければ、身体は柔らかくなっていく。

        ヨーガ始めて、身体と深く向き合っていく中で 気づいたことを伝えてみようと思います。 ヨーガのポーズを深めていく中で、身体の柔らかさはとても大切になってきます。無理なく続けていれば勝手に柔らかくなっていくのですが、より早く柔らかくしたいなと思っている方に向けてコツを書いていこうと思います。 身体を柔らかくするときのコツは、 ヨーガのポーズの時に、ストレッチの時に、 きついときつくないの間のポイントをみつけて、そこで呼吸を続けるということです。 どうしても早くポーズが取りたい

        • 探求のゴールは、そのままでいいということ。

          探求中の方がこのような題名のことを聞くと、 諦めた人がそう言ってるだけじゃないのか、そのままでいいってあなたがそうだったからってそれを真理のように言わないでと思うかもしれません。そうかもしれませんが、僕の考えを書いていこうと思います。 僕にとって探求の始まりは、 ここではないどこかに本当の自分があるんではないかという今ここの不足感から始まりました。 猛烈に勉強した後に、頭が良くなった先に。 スポーツを極め、勝ち上がっていった先に。 見栄えをよくして、周りから承認を得た先に

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        対人恐怖は、自分のことも相手のこともコントロールしようとしてる。

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        記事

          何もしなくてもいいのだ。

          何かしなきゃいけない。意味のあることをしていないともったいない。何もしていないことは、堕落した人間、諦めた人間がすることでよくないことだ。こんな考えで生きていた時期がある。だいぶ長い間。小学校5年生くらいから、28歳くらいかな。常に何か将来のためになることや、自分のレベルアップに繋がることをしていなければ居ても立っても居られない、そんな状態。今振り返ると、だいぶしんどい時期だったなと回想。心の底で、そのままの自分ではいけない、そんなことを思ってた。こういう状態って、一見努力し

          何もしなくてもいいのだ。

          短距離走が好きだったことを思い出したはなし。

          最近、自分が好きだったこと好きなものをよく思い出す。自分の身体の感覚を意識的に感じるということを続けているからだと思う。 なぜ身体の感覚を意識的に感じると? これについては、別の記事で書いています。 生きてく中で、知識を身につけて、目的の為にしていたことから、 知識を捨てて、ただ無為にする、になってきたから。 それまでは、お金を稼ぐために、勉強をする。痩せるために筋トレ、ランニングをする。健康にいいから、これを食べる。将来のために、今我慢する。 みたいに、目的のために今

          短距離走が好きだったことを思い出したはなし。

          生きる意味みたいなものはいらない。

          長いこと生きる意味を必死に探して、固定して、邁進して、ぶれて、また探して固定して。 みないなことを繰り返していた。 生きる意味を持っていないといけないっていう、強迫的な観念を持っていたし、何か物事が起こることにいちいち意味を付け足したりもしていた。 生きる意味は、我慢することだ。試練を乗り越える。魂の修行だ。人の為になることだ。成長することだ。生命の繁殖をすることだ。とか。 不快な出来事が起これば、これは修行のためだ。とか、昔何かをしてしまった因果が返ってきたのだ。とか

          生きる意味みたいなものはいらない。

          思考と距離ができて、感覚がガラッと変わったはなし。

          体の感覚に意識的になるということを続けていると、思考の世界に自動突入することが少なくなってくることに気づく。 虚構ばかりを追っかけている状態から、 実存するものを感じる状態へ。 そうなってから、 それまで自分が喜んでいたものとは、全く別のものが喜びに変わった。 人からよく見えるだろうと思考で思うものを無意識に喜びとしていたのだろう。その感覚が削ぎ落ちた。 外見重視から、フィーリング重視に。 ブランド志向から、素材志向に。 結果主義から、過程重視に。 拝金主義から、ある

          思考と距離ができて、感覚がガラッと変わったはなし。

          人間関係を作ってこなかった話

          幼少期とか、小学3.4年生あたりまでは たくさん友達がいて、毎日のように遊んでいた。 小さい頃の人間関係はとってもシンプルで、どっちが上下とか比べないし、差別がないというか。少なからずはもちろんあると思うけど、その度合いは低かった。 その時期を過ぎた後から、 全く友達と仲良くしなくなった。 中学受験をする事になって、塾に通いだし、偏差値社会を覚えたこと。 野球のチームでキャプテンになり、責任感が与えられて勝ち負けに重きを置くようになったこと。 そんなことから、どっちが上

          人間関係を作ってこなかった話

          気分というのは必ず移り変わる。必ず、である。どんなに悲しくても、嬉しくても、すぐに慣れてしまう。気分は嗅覚と似ている。嫌だなという匂いも放っておけば感じなくなる。移り変わるということが、気分の本質だ。だから、気分が落ちたら、落ちたな、と思っておけばいい。

          気分というのは必ず移り変わる。必ず、である。どんなに悲しくても、嬉しくても、すぐに慣れてしまう。気分は嗅覚と似ている。嫌だなという匂いも放っておけば感じなくなる。移り変わるということが、気分の本質だ。だから、気分が落ちたら、落ちたな、と思っておけばいい。

          ドロップアウトって、終わったやつ、みたいに使われるけど、ほんとは、幸せの始まり。

          世の中に、なにか共通認識のようなものがあり、 その共通認識の枠の外に外れる人を強烈に揶揄する言葉、ドロップアウト。 私は 社会とまじれない、ドロップアウト。 人と仲良くすることができない、ドロップアウト。 社会的弱者と呼ばれて、ドロップアウト。 働きたくない、ドロップアウト。 精神を壊してしまって、働けなくなった、ドロップアウト。 大多数が共有してるようにみえる正解と考えられる通り道がそこにあって、その道から外れたものを揶揄するように使われる言葉。 一言で、強烈なパンチ

          ドロップアウトって、終わったやつ、みたいに使われるけど、ほんとは、幸せの始まり。

          わたし感覚が消えたとき、あたりまえの感覚を思い出しただけ、すごくあたりまえの。

          わたし感覚があるから、 苦しめられる。 わたしはいない。なので、苦しむわたしはいないのです。 と、YouTube、本とかで、いわれてたり書かれてたりしてたのを、聞いてた読んでたんですけど、非二限の教えが何を言っているのか、全くよくわからなかった。 わたしはいない。 だから苦しみも喜びも、あらゆることは現れて消えるだけです。そこに、わたしの感覚というものがないのです。ただあるだけです。 ???? え、まじで、どういうこと笑 全くいっている意味がよくわからなかったけど、 無

          わたし感覚が消えたとき、あたりまえの感覚を思い出しただけ、すごくあたりまえの。

          その場の影響をもろに受ける、もろさとすばらしさ。

          今、沖縄にきています。 何度目だろう、あれこれ10回以上沖縄にきている気がする。 日本の中では、一番きている場所。 ちなみに、海外だとタイ。 なんで、沖縄が好きかというと 沖縄にくると体と心がゆるむ感じがあるから。タイも同じく。 その場所のもつエネルギーに 包まれるのだと思う。 人より神経質な分、気が張り詰めやすいので、 緩んでいる場所を求めているのだと思う。 昔から感受性がつよく、自分の合う合わないのセンサーが鋭かった。 悍ましく病んでる人の隣とかにいたら、吐き

          その場の影響をもろに受ける、もろさとすばらしさ。

          いっぷうかわった職務経験

          色々な職務経験があるとおもいますが、 僕はあまり聞かないような職業に携わってきたので、箇条書きで書いていこうと思います。 ホストクラブ 18才〜23才まで。大学在学しながら、アルバイトで勤めました。どっぷり世界にハマってしまったこともあり、大学よりホスト中心の5年間。一つの店で連続一年間No.1。移籍後の店舗で、年間の売り上げ成績で、700人いた中で1番を取らせていただいた経歴あり。謙遜とかでなく、これは一人のお客様が凄くて、ただただ運がよかったです。 ホストで働く男の

          いっぷうかわった職務経験

          タバコに命を救われた話

          僕は、14の頃タバコを始めた。 強迫的なぐるぐる思考が止まらず、死のうかと思うほどきつかったことから、自暴自棄になって、タバコを吸い始めた。 タバコを初めて吸った時のことを鮮明に覚えている。 強烈なヤニクラにあって、ひと吸いしたあと、倒れそうになり、そのままベッドに吸い込まれるように倒れた。 頭がぐらんぐらんし、浮遊感、頭のなかが真っ白になる感覚。 体はしんどいかったが、そのしんどさのおかげで、頭の中のぐるぐる思考から逃れられ、その日からタバコに依存するようになった。

          タバコに命を救われた話

          どんな思考もあっていい、ずっと思考を排除しようとしてた話

          幼少期、とくに思春期から思考がぐるぐる騒がしくて、 苦しくなることが多かった。 騒がしいというレベルではなく、現実が見れなくなるくらい思考に取り憑かれてしまっていた時期がある。完全に思考中毒で、思考の中で、生きていた。 楽しい思考ならいいんだけど、 苦しい思考ばかりで、とても大変だった。 思考だけの世界にいるわけにもいかないので、 思考を無視して、現実世界と向き合っていくのだけど、ことあるごとに思考の音が大音量で鳴り響き、何もできなくなることもたくさんあった。 そんな

          どんな思考もあっていい、ずっと思考を排除しようとしてた話