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承認欲求という麻薬

小さい頃、なにかと注目されたり、称賛されることが多かった。
周りから注目を浴びると、脳がかーっと熱くなり鳥肌が立ち、とても気持ちがよくなってた。幼いながらに、なにか脳内物質がドバッと出ているのが感覚でわかってた。
そして、その感覚のえらい中毒になっていたように思う。

そんなことから、
賞賛されること、承認欲求が生きる目的になっていった。

周りが賞賛しそうなものことを
先回りして努力して装うことを繰り返していた。

例えば、ともだちでピアノがうまい人が周りから拍手喝采されていたら、自分もピアノを習い始め、好きって思い込んで努力して、その彼よりも弾けるように装う。
とか、勉強ができる人がもてはやされていたら、自分も勉強を好きと思い込んで、努力して。

みたいな。

どちらもそのこと自体が好きでやってるわけではなくて、
承認されることが目的なので、ある程度できるようになってすごい!って言われるようになったら、そこがゴールなのでそれ以上の努力はできなくなった。

すごいと承認されることで、その都度
脳のかーっと熱くなることに依存していた。

承認されそうなことならなんでもよくて
形を変えてそれを繰り返していた。

モテて称賛されるように、身なりや所作を常に気にしたり、最新のファッションのトレンドを一生懸命勉強してたり。その時代のモテる人のトレンドに合わせて雰囲気を変えたり。これに関しては、少なからずみんなあると思うけど、整形をするほど。

お金を持ってる人がすごいって言われる歳になったら、稼ぐ方法を必死に探して、時には腹黒いことをしてまでお金を手に入れたり。

会社を何個もやっている人がすごいと思っていたら、そうなれるように何個もやる。

みたいに、
その時その時によって承認されそうなことを探して、それを必死に手に入れられるように努力して、承認を得られたらそこで飽きて。

それの繰り返しだった。

こういうことを何度も繰り返しているうちに承認欲求という麻薬の虚しさに気づいていくようになる。

まず、自分が素直にしたい、やりたいということをベースに取り組んでないので、ある程度できるようになったらすぐ飽きてしまって、それ以上の努力ができなくなること。

出来るフリ、好きなフリをして
その時周りにいる人たちと関わっていくことがしんどくなってくること。嘘から始めたことだから、ほんとうに向き合ってる人の真っ直ぐな熱意と自分の浅はかな思いの乖離に苦しくなること。

いくら承認されても、持ち上げられても
ありのままの自分ではなく、装った、作り上げた自分なので本当の意味で人との関係性も築けないし、逆に虚しくなってくるということ。

承認欲は麻薬のようなもので、もっともっとと欲しくなる。満たしても満たしても一瞬の快楽だけで、本当の意味で満たされないこと。

承認欲は、誰しも持ち合わせているものだし
それ自体が悪いわけではないと思います。
小さい子供は、親から承認されたいから
みてみてーって甘えたり、聞いて聞いてーって色々報告したり、かわいい欲でもあるんだけど、
承認はあくまで副産物であって、それ自体を目的にすると苦しくなるよというはなしです。


ありのままの自分で、素直な思いで行動する先にたまたまあったりなかったりするもので、そういうものを追いかけるのではなく、
自分の素直な気持ちに心を開いて、自分が自分自身を承認してあげることがなにより大切なことだと思います。

そうでないと、僕のように虚しくなるから。

僕は、何度も繰り返した虚しさの先に承認欲求という麻薬を断ち、少しずつ自分と仲直りをして、本当に好きなこと、純粋にしたいことに向き合い始めました。

そうなってから少しずつ感じる
内側から湧き出る喜びは、麻薬とはまるで別物の無限のエネルギーだなと感じています。

この先もっともっとほんとうに自分がしたいこと、やりたいことが湧き上がってくるのがとても楽しみです。それをなにより大切に生きていこうと思います。

こういう風に思えるようになったのも、承認欲求という麻薬を過剰に接種していたからなので、そのことにも感謝をしています。

今日は承認欲求という麻薬について
僕の体験談を元に書いてみました。

では、またまた〜。




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