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ボディースキャン

自分の身体をスキャンする。
身体をスキャンすることで、何を自分が感じてるのか、どうしたいのかに気づくことができる。

思考から離れて、身体の感覚をスキャンする。
思考と感覚は両立できない。
意識を思考から、体全体に向ける。
頭の上からつま先までそのときの自分がやりたいように丁寧に観察していく。大きなブロックにわけてしてもいいし、細かく分けてしてもいい。全体をまんべんなくそのまま観察してもいい。時間もその時の気分で。チリチリ、ジワジワ、ピリピリ。いろんな感覚を感じる。どんどんみていく。よーくみていくと、感覚は現れては消えていく、と気づく。ある場所の感覚が弱かったり強かったりする。とりあえず感覚の世界にダイブする。ダイビングで海に潜るように、体の感覚をどんどん観察していく。毎回毎回全く違う感覚。同じ時は一回もない。感覚に興味をもってどんどんみていく。普段感じようとしなくても、感じてくれている感覚。無意識に感じている状態から意識的に感じてみる。

これをどんどんやっていくと、
自分の内側の感覚に敏感になっていって、
好きなことや、したいことに気づいてくる。
外側に答えがあると思って探し続けてたことが、内側にあることに気づく。
自分の内側と外側が一致していく。

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想センターも
このような瞑想方法の仕方をする。
時間が固定されているのと、長すぎるのが苦手だった。徹底的にやるのが向いている人はいいと思う。
僕の場合は、自分のリズムでやりたいときに、やりたいようにやるのが向いていた。

僕はずっと思考の中を彷徨っていて、
身体感覚を全く感じれなかった。

何がしたいとか、何を感じてるかとかも全くわからずに、思考でこうしたいはずだ、こう感じてるはずだと決めつけてそれをたよりにしていた。そのせいで生きている心地が全くしなかった。
何が食べたいとか、何が美味しいとかもわからなくなってたほど。

頭の中の司令官は、
親からの教育、兄弟間の観念、学校の教育、メディアの扇動など、ありたらあらゆるところから発せられる正しさのようなものを徹底的に伝えてきて、枠の中に押さえつけた。そうしないと、周りから嫌われる人間になってしまうという恐怖から。司令官の徹底的な監視に怯え、どんどん萎縮して、しまいに身体の声がぴたりと聞こえなくなっていた。

そうなったときに、
死にたくなってしまって、もがき苦しんだ。心と身体を無視してるとそうなるんだとおもう。

そうなって、司令官からの洗脳が解けて
少しずつ身体の感覚に目を向けられるようになった。感覚に気づいてゆけるようになってから、生きるのがまた楽しくなった。

今も司令官は偶に現れるんだけど、
ありがとうとお伝えして、受け取らないようにしてる。


今回はボディースキャンについて
書いてみました。ではまたまた〜。

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