見出し画像

呼吸

普段、無意識に行われていることを意識的に感じてみる。呼吸。当たり前にあるもののことを人間は忘れ、おろそかにしてしまう性質がある。
その当たり前がなんなのかを意識的に深く観察してみると色々なことに気づかされる。

まず、目を瞑り、自然な呼吸を観察してみる。観察の途中、思考に気が散ったら、それに気づいてまた呼吸の観察に戻る。それを繰り返す。

鼻から吸って鼻から吐く。なにも操作せずに、ありのままの呼吸で。
一回一回違う呼吸の波を観察してみる。
吸う息のながさ、吐く息のながさ。息の温度。どこに当たっているのか。
目には見えないが、吸う息がどこまで届くのか、吐く息がどこから出てきているのか、それを感じてみる。わからなくても、感じようとする。

次に、吸う時にどんな感覚になるのか。
吐く時にどんな感覚になるのか。観察してみる。僕は、吸う時に満たされた感覚になり、吐く時に安心する感覚になる。人それぞれの感覚があるので、自分の感覚を深く観察してみる。

次に、目一杯吸って、目一杯吐くことを繰り返す。もう吸えないというところからさらに吸い込む。もう吐けないというところからさらに吐く。その時にどんな感覚になるのか観察してみる。普段あまり呼吸を感じてない人にとって、強制的な呼吸は、大きく感覚を感じることができるので観察しやすくなる。
僕は、続けていると身体の中のスペースが広がってゆき、内側が熱くなってくる。吐けば吐くほど、その後より多くの呼吸が入ってくる。内側を曝け出せば出すほど、受け入れることができることに気づく。
あくまで、僕の感覚だけど、
人間関係も同じだなと思ったりする。
人は自分を曝け出せる場所を居場所にする。そして、多く受け入れることができた場所を居場所にする。そんなことに呼吸を通して気づいたりもする。
吐けば吐くほど安心して、吸えば吸うほど満たされていく。
どういう発見があるかは、人それぞれ。
思考という虚構からの気づきじゃなくて、呼吸という実体験の身体感覚からの気づき。

その後、自然な呼吸に戻す。
その自然な呼吸を観察する。最初にしていた呼吸と今している呼吸の違いを感じてみる。

しばらく観察して、日常に戻る。

このように
普段意識してないであろう呼吸に対して意識的になってみると色々な気づきが訪れる。もちろん最初は意識を呼吸に向けることに慣れていないので、あちこちいろんな思考に引っ張られてうまく観察できないのだが、何回も何回もやっていくと呼吸の響がどんどん大きくなっていき、まるで広大な海をみているような感覚になる。こんなに広大なものを与えられているのかと、はっと驚く瞬間がある。呼吸に対して敬意をもつようになる。生きていることが、呼吸を与えられていることがどんなに素晴らしいことなのかということに体感で気付かされる。頭で色々考えて、どうやら素晴らしいものだ、生きてるだけで丸儲けだ!とかではなく、実体感として感じれる。

普段僕たちが当たり前にできていることって、無意識にしてるから忘れているのだけど、その無意識にしていることを意識的にするだけでまるっきり世界が違ってみえてくる。外側ばかりに向けてた意識を内側に戻すことで、こんなに神秘的なことが常に起こっているのだと気づく。

今日は呼吸について、思うことを
書いてみました。

ではでは〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?