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冬至前の、ふるい時代のおわりの日

こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!


昨日は、月1回会う友だちといっしょに、パン屋さんをしている友だちのお店に、行ってきました。

友だちふたりは、中学も高校もべつべつで、もともと知り合いではなかったのですが、わたしをとおして接点ができて、3人で話をしていて、とても楽しかったです。


なんとなく、冬至から時代が変わるらしいね、というお話になりました。わたしは、占星術のことはわからないのですが、わたしが感じている変化のことなどを、お話しました。

話していて、このような話題を、友だちとできることそのものが、時代の変化をあらわしているような、気持ちになりました。


時代の変化、というのは、たとえばどんな感じか、ということは、最近書かせていただいています。

昨日、友だちと話をしていて、やってみたらいいようなこと、を感じましたので、noteでも書かせていただいてみますね。


パン屋さんの友だちは、お店をしていますので、とても忙しいです。まだ小さい子どもさんがふたりいて、毎日てんてこまいです。

それを、どんなふうに、変化させることができるか、どんなふうに、とらえていけばいいのか。

こうしなければならない、ふつうはこうするものなのだ、こうしないとお金が入ってこない、という考えは、ふるい時代のものなのだそうです。

あたらしい時代では、そういったものは、いったんリセットして、ゼロから世界を、もういちどみてみましょう、ということなのでしょう。


まっさらなところから、「これが叶ったら、ほんとうに、最高に幸せだな」「こんな毎日をすごしてみたいな」ということを、思い浮かべてみる。

だめもとで、だまされたつもりで、自由に楽しく、夢を描いてみる。

あたらしい時代、というのは、そういったことが、叶っていくような、時代のようです。


会社づとめをしていて、ほんとうにしんどかったときに、「どんな毎日をすごすことができたら、幸せだろう?」と思い浮かべて、紙に書きました。

そのときに書いたことは、のんびりゆっくりしていて、わたしのペースですごすことができている、いまの生活のようなもので、よく考えたら、いまそのころの夢が、叶っているようなのです。

純粋に、こうなったらいいな、と感じたことを、紙に書いていました。


でもその前に、やってみたことがあります。まずは、「いやなこと、やりたくないこと」を、紙に書きました。

当時、通訳学校の先生が、やってみるといいよ、と勧めてくださったことです。

いやなこと、やりたくないことを、リスト化していくと、わたしの傾向というものが、なんとなく、感じられてきました。

やりたいことは、変化していくのだけれど、やりたくないことリストに書いたことは、ずっとぶれずに、わたしの基礎として、いつもあるような気がします。

そのリストをつくるまで、なんとなくもやもやとしていたものが、リスト化することによって、だんだんと浮かびあがってきました。


そのあとで、「こんな毎日だったら、幸せだな」ということを、書きだしました。

ひとつでも、ふたつでも百個でも、いいのだと思います。

こんな家で、こんなふうに、こんなことをしていたい。

お休みは、週に何日で。お仕事の日は、何時から何時まで、はたらいて。

ときどき、こんなことをして、年に何回かは、こんなことをする。

といったことを、思いつくままに、書いていきました。

もしも叶うとしたら、というふうに、軽い気持ちで、書いてみます。



うまくいかない、生きづらいことが長いと、夢を描いてみることに、抵抗があったりしますね。

いまでも、わたしは、積極的にそのようなことを、する方ではないのです。基本的に、将来のことは、なにも考えていなくて、そのときそのときを、大切に、感謝をして、生きています。

そうしているうちに、ときどき、将来のことを、イメージした方がいいと感じるようなときがあります。

そんなときには、軽い気持ちで、なんとなく、やってみています。

あとは、たまごをあたためる鳥のように、叶うといいな、という気持ちを、やさしくやさしく肯定して、あたためていきます。


これからの時代、というのは、ほしいと思ったことが、自然と叶っていく時代、なのだと感じています。

ほしいと思っていなくても、叶うこともあるのだけれど、ほしいと思うことによって、叶うことも、あるようなのです。

ほしいと思う、ということは、能動的なもので、これからの時代には、能動的なものが、必要になってくるような、気がしています。


これまでの時代は、きっと、受動的で、やりなさいといわれたことを、やっていれば、うまくいくことができていました。

これからの時代は、「どんなことでもできますよ、どうぞ」というふうに、自由が与えられ、能動的に、やっていこうというふうに、なっているようなのですね。


「どうしたら、そんなふうに、思えるようになるの?」と、友だちが言っていました。

わたしは、「気がついたら、やりたいことができて、夢を描くこともできるようになっているよ。それが、あたらしい時代、ということみたいだよ。」と答えました。



気がついたら、できるようになっていた、やっていた、というのが、あたらしい時代という感覚

あたらしい時代では、「そんな信じられないようなことが、ほんとうに起きるのですね」ということが、わかってくるようです。

あたらしい時代の風にはこばれていて、気がついたら、やりたいことができていた、というような。

軽いところで、すべてがおこなわれていく。

ふんわりとしていて、おだやかで、さわやかで、軽やかなエネルギーを、感じています。


いまは、信じられない、とお感じの方も、1年後のいまごろには、変わってらっしゃることと思います。

なにもしなくても、気がつけば、変わっていた。

やろうとしていなくても、やさしく、はこばれていく。

それが、あたらしい時代の特徴、というものなのかもしれません。


わたしも、こうして書かせていただきながら、まだ、これまでの時代の感覚が、のこっているのを感じています。

そうした気持ちも、自然と、癒されていって、自然な形に、おさまっていくのでしょうね。それが、あたらしい時代というもの。

こつこつとできることを、ひとつひとつ、行っていく、という中で、その変化があるのだとしたら、とてもうれしいことです。


明日は、冬至ですね。

自然では、冬至が一年のはじまり。

グレートコンジャンクションなどもあり、古い時代が終わっていく。

今日は、古い時代のさいごの日、ということなのかもしれません。

心を落ちつかせて、あたらしい時代を、むかえたいです。

こうして、あたらしい時代を、むかえることができることに、感謝の気持ちでいっぱいでいます。

友だちのパン屋さんで買った、シュトーレンをいただいて、冬至を、お祝いをしたいと思っています。


今日もありがとうございます!

Sonii

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