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はじめて、感謝ができるようになった日のできごと

こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!


だいぶ前のこと。京都に、住んでいたことがあります。

嵐電の竜安寺道駅ちかくの、一軒家に、当時の彼といっしょに住んでいました。

四条などの街中からは、だいぶはなれていて、少し北へあがると竜安寺や金閣寺、近所には、妙心寺。しずかで、京都らしくて、いいところでした。


妙心寺のまわりには、たくさんの臨済宗のお寺があり、住んでいたおうちの大家さんは、そのうちのお寺さんのひとつでした。

毎月、お家賃を持参すると、奥さまが、お寺の中にお通しくださり、お茶を出してくださいました。落ち着く空間。おいしいお茶。

わたしは、神社やお寺にいくと、とても落ちつくので、月にいちどのお家賃の日を、楽しみにしていました。


お仕事は、自転車ですこしいったところにある、大きな会社に、派遣でおつとめすることができました。

まったく知り合いのいない京都への引っ越し。不安でしたが、派遣会社の方も、職場の方も、親切にしてくださり、とてもありがたかったです。


京都の夏は暑く、冬は寒い、というのは本当でした。夏は、湿気がこもります。冬は、ひょうが降ったり雪が降ったりします。

すこし北にあがっただけなのに、街中とは、気候がちがうような気がしました。

わたしは子どものころから、川や海のちかくに住んでいましたので、ときどき川や海の近くに行きたくなります。そんな時は、自転車で鴨川までいって、京都の歴史ある川の風景を楽しみました。

の京都は、独特の雰囲気があります。もののけのようなものが、あちこちにいるような。むかし生きていた人の気配が、いまだにしているような。京都は、みえる世界とみえない世界の境界線が、夜になると、薄くなるような気がします。京都御所あたりは、とくに。


幕末の京都に、一時期はまっていたことがあります。それまで、新選組?坂本龍馬?薩長同盟?と、なにもしりませんでしたが、調べてみるとおもしろくて。

幕末に、京都にいたら、どの思想を支持していただろう?と、想いをはせてみたり。

幕末に興味がでてからは、京都を散策するのが、もっと楽しくなりました。飲み屋街だと思っていた木屋町には、藩邸がたくさんあったこと。龍馬はここに立ち寄った後、暗殺されたのかとか。池田屋や、新選組の屯所になってた壬生寺、八木邸、西本願寺。新選組に惹かれて、歴史の跡地をめぐったりもしました。

いろいろなお寺にも行きました。大徳寺など、のお寺が大好きです。京都は、北にあがるにつれ、坂になっていますが、自転車でだいたいどこにでも行けます。京都は、自然や、歴史、神社仏閣巡りなど、わたしの大好きなことが、つまった場所でした。



そんな京都ぐらしも、急に終わる時がきました。

いっしょに住んでいた彼と、わかれることになりました。急にいわれて、動揺をして、眠れなくなり、食べれなくなりました。

眠れなくなるとこんなにやせるんだな、ということを、はじめて知りました。

あまりにも憔悴していたからか、職場の人が、ほんとうによくしてくださり、話をきいてくださいました。

京都に来て、彼以外の知り合いは、職場の人と派遣会社の人、くらいしかいなかったのです。ただの派遣さんのわたしを、みなさん親身になって、たすけてくださいました。


ひとりで住むには、大きすぎるおうちでしたので、お寺の大家さんにも、退去をしたい旨を、言いに行かなければなりませんでした。

わたしはひとりで、大家さんのお寺に行き、このような理由で、引越しをしなければならなくなりました、ということを、お伝えしました。またつらさがこみあげてきて、泣いてしまいました。

すると大家さんの奥さまは、「ずっと、どうしてあんな彼とお付き合いしているのか、と思っていました。あなただったら、もっといい人がいるのに。わたしにも、娘がいるけれど、あなたがわたしの娘だったら、とめていたかもしれない。」とおっしゃいました。

わたしは、とてもびっくりしました。お家賃は、彼といっしょに持参していましたので、大家さんの奥さまは、彼のことをみていたのでしょう。

彼に未練があったわたしは、ひとりで京都に住みつづけるつもりでいました。お仕事もあるし、京都も好き。もしかしたら、彼がもどってくるかもしれない、と思ってもいて。


すると奥さまは、「ご実家に帰られるといいですよ。そこで、ゆっくりとして、立て直していきましょう。」と言ってくださいました。

わたしは、ロンドンに留学してから、実家を出ていました。いちど出た実家にもどる、というのは、考えてはいませんでした。もどってはいけない、と思っていたのです。

奥さまにそう言っていただいて、背中を、押してもらうことができました。

なにもかも、うまくいかなくて、中途半端。

突っ走ってきたけれど、とてもつかれていました。

実家に帰りたい。ゆっくりと、心と身体を休めたい。ほっとしたい。

それが、わたしの本音だ、ということに、奥さまのことばで、気がつくことができました。


引越しや退職の手つづきなどは、おどろくほどスムーズにいきました。彼との関係をつづけようとしていた時には、あれほど、困難なことがいっぱい起きていたのに。

実家に帰ることも、家族は快く了承してくれて、とてもありがたかったです。


あの日、なにも食べることができないわたしに、奥さまが、焼いたさんまと、大根おろしと、おいもの茎の煮物を、持たせてくださいました。

ひさしぶりの、手料理の味が、身体にしみわたるようでした。


ひとのやさしさ、ひとのことば。

ときには、とても大きな意味をもちます。

傷ついたり、つかれていたり、しんどかったりする時なら、なおさら。

だれかのことばで、救われるものが、たくさん、あるのだと思います。


わたしは、その出来事があるまでは、感謝をする、ということがありませんでした。

すべて、「あってあたりまえ」と思っていたのです。

でも、知らない土地で、こんなにやさしくしてもらうことができた。

人生をリセットすることができるなら、わたしは、こんなやさしいひとたちのようになりたいし、やさしいひとたちに、ご恩返しをしながら生きたい。

そう思うことができました。


それまで、自分のことしか考えていなかったけれど、はじめて、そんなふうに、思うようになりました。

とても、つらい出来事だったのですが、そのおかげで、今のわたしがあります。

実家があることも、本当にありがたいです。

今も、実家に住ませてもらっているから、このお仕事をつづけることができているのだと思います。

この出来事あたりから、わたしの人生は、大きく変わりはじめました。


みえているすべてのものは、うつろいでいくから、いつまで実家に住むことができるのかも、わかりません。

今お付き合いしている彼は、アメリカ人なので、将来は、アメリカに住むということに、なるのかもしれないです。


わたしには、わからないことだらけだけれど。

だからこそ、毎日毎日、小さな感謝をして、小さな幸せを、感じていたいです。

やさしくしてくれた、ひとたちのためにも。つないでもらった、わたしの命のためにも。世の中に、ご恩返しをするためにも。

なにかできることはないかと、日々、思っています。

でも、大きなことはできないので、感謝をしたり、noteを書いたりして、小さなことをこつこつと、積み重ねています。

今、わたしがこうしていられるのは、たくさんのひとたちに、たすけてもらったおかげです。

つらいこともたくさんあったけど、今は、とても幸せです。

いつも、そう思って、感謝をしていたいです。


少しでも響くことがありましたら、とてもうれしいです。

今日もありがとうございます!

Sonii

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