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雑貨帖

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いろんなことを書き綴ります。 無名人の日常です。
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#エッセイもどき

仕事って?

私は事務という仕事がてんで得意では無い。書類作成も苦手だし、根回しだって得意じゃない。なんならば仕事なんてやりたくは無いし、定時になれば終わってようがなかろうが帰りたくなる性分で、基本的に怠惰なタイプなのだ。
そのくせ、こだわるとなかなか止まらない。でも事務仕事でこだわりが発露した事はない。部屋の片付けなり、本の並べ方でこだわりがでることはあっても、事務仕事で文字の並び方や縦横比なんて気にする

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中国道と山陽道と

山陽道と中国道

私のふるさとは山口県山口市、古くは大内氏、毛利氏の統治を受け、戦国期は中国地方の覇者となるも関ヶ原で敗北し、その後恨みつらみを抱きながら江戸の400年を過ごし、明治維新を遂げたどろどろの山口県出身だ。

現在、私は岡山県がバブルの頃に調子にのって建設して失敗した吉備高原都市に住んでいるが、いつも実家に帰るときは山陽道を利用している。
吉備高原都市から通称「吉備新線」と呼ばれ

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上賀茂

 上賀茂は私にとって、非常にゆかりのある場所だ。

 2011年3月。私は山口県山口市の実家から、着慣れないスーツを身にまとい、スーツケースと小さなかばんを持ち新幹線で京都駅に向かった。

 市営地下鉄から北大路駅に、そこからタクシーを使い柊野別れへ。別れの交差点から徒歩数分。小さなお米屋さんの入るビルの3階が私の部屋だ。

 私は新しい土地に来たらとりあえず散歩をする。私が住んでいた上賀茂という

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ふるさと

ふるさと

私が実家を離れたのは中学校を卒業式した15歳の時。
遠方の高校に進学することが決まり、中学校の卒業式を終えて母方の祖父母の家に下宿し始めた。

高校を卒業したら次は京都の大学に進学することが決まり、大学を出たあとは岡山の事業所に就職し、実家で暮らすことはいまのところ可能性はなくなった。

私が高校の頃から実家に帰ると必ず写真を撮るのがこの山だ。
この山を見ると実家に帰ってきたという気分になれる。

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