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ふるさと

私が実家を離れたのは中学校を卒業式した15歳の時。
遠方の高校に進学することが決まり、中学校の卒業式を終えて母方の祖父母の家に下宿し始めた。

高校を卒業したら次は京都の大学に進学することが決まり、大学を出たあとは岡山の事業所に就職し、実家で暮らすことはいまのところ可能性はなくなった。

私が高校の頃から実家に帰ると必ず写真を撮るのがこの山だ。
この山を見ると実家に帰ってきたという気分になれる。

幼い頃、私はこの山が日本一の山に見えていた。
山の頂上の岩肌の先には何があるだろう、数本長く延びた木にはなにか不思議な力があるのだろう、もしかしたら山の先には別の国があったり、異世界にいけたりして。

そんな妄想や空想を膨らませていた。

そしてあの山は常に傍にいた。
私が小学校にいくにもまず目にはいる。
小学校から下校するときには山に向かって歩く。
中学校もあの山の麓付近にある。

川土手沿いの細い道を友人と自転車を漕ぎながら、あの山に向かって走っていく。
青春の一時をあの山は見守ってくれていた。
私はそう感じていた。

大学に入り、貧乏学生の私は新幹線に乗れず、高速バスもなく帰省するために大阪南港からフェリーに乗り、新門司港から山口に向かう。
キャリーケースを引きずりながら朝の山を見て、ただいまと呟く。

大人になっても変わらない。
岡山から車で帰ってきて、家の前に車を停めて土手に上がる。

山に向かって、また一声。

「ただいま」

そして、暖かな実家の扉をくぐっていく。

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