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死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目すぎるから


2月半ばのある夜、ベランダに出て煙草を吸っていた。

わたしの部屋は賃貸マンションなので、室内での喫煙は禁止事項になっている。

それでも、わたしは物思いに耽る時、煙草の煙を燻らせないと物足りなさを感じるので、寒空の夜でもベランダに出て、煙草を吸う。

ご近所に副流煙が流れる事を意識して、ベランダは、ブルーシートで全面覆っている。そして、2階のベランダの下を往来する人の事を考えて、なるべく人の居ない時間帯を見計らいながら、蛍族になる。


狭い下町の住宅街に張り巡らされている電線の線の隙間から、いくばくかの星の光が垣間見える深夜だった。

あの星の光は何億年前に輝いたのだろう。宇宙の悠久の時を経て地上にたどり着いた青い星の瞬きを見ていた時、

ふと、母のことを考えた。


母には五年以上会っていない。わたしが離婚した時、母はわたしを実家に受け入れてはくれなかった。


家族なのだから、本当に困っているときには助けてくれる筈だ、とわたしは安易に思っていた。


しかし、現実は違った。

わたしは、DVが事件化して、福島県内にあるシェルターに保護されてから1ヶ月半後、福島の西会津町という山間の田舎町の町民住宅に身を寄せた。

そこは、当時高校二年生だった息子が、児童相談所から、里親に引き取られて住んでいた町でもあった。

シェルターにいた頃、大雑把に息子の居場所を知り、西会津町という場所はどんな所なのか、知りたくなって、その場所に居を構える事を決めたのであるが、

冬は零下10度まで冷え込む寒い地域だと知り、数ヶ月そこに住んでから、県を跨いで、新潟市に移ることにした。

新潟市で住み込みで働ける場所を見つけた。住み込みという謳い文句であったが、実際には、ワンルームのアパートが用意されていて、家賃は四万五千で、給料から差し引かれていた。


ようやく住み込みの仕事にも慣れ、福島と新潟市を往復しながら、夫との離婚調停も済ませた2015年10月のある日、

母から携帯に連絡が入った。

「どこにいるの?居場所を知らせて」

そんな感じの連絡だった。

母はいつも、わたしが困っている時には何も手出しせず、ことが収まってから、わたしの過去の痛みを深掘りして傷を深くする。

いつもの事だと思って、

「知らせる必要は無いわ。お母さんはわたしを助けてくれなかった。わたしは一人でここまでやって来た。わたしが落ち着くと必ずあなたは、わたしの幸せを撹乱させる。わたしはわたしを幸せにしない家族なんかいらないのよ」

確か、そんな事を言った。

母から連絡が来た後は必ず、妹からも連絡が来る。わたしは、母と妹が、わたしのいない所でわたしの事を迷惑がっている話をしているのが分かる。

何故なら、

母は、認知症だからだ。

認知症になった母は、わたしには妹の悪口を言い、妹にはわたしの悪口を言う。何故そんな事を言うのかと言えば、母は自己保身に走っているからだ。

母にとって子供とは、将来的に自分の身を養ってくれる存在にしか過ぎなかった。だから、長女のわたしは、男子に生まれてこなかった事を常に嘆かれていた。


「あんたが男だったら、家を継いでわたしの面倒を見てくれたのに」

母は持ち家に住んでいた。その持ち家を誰が継ぐか、と言う事をいつも気にしていた。

「わたしの面倒を見てくれた子にこの家をあげるのよ」

いや、相続には慰留分と言うものがありますから。父が亡くなり、母が土地家屋の2分の1を相続し、わたしと妹には4分の1ずつの慰留分。母亡きあとは、わたしと妹が2分割する。法律ではそのように決められている。

しかし、母にはそれが通じていない。

それが通じていない母の状況を見越して妹が動く。母の認知症が疑いなくなった時に、彼女は母の通帳を自分の手元に抑え、自分は母の後見人となり、母を介護施設に送った。

そのことは、いい。妹が母の面倒を見たのは事実であり、わたしも彼女には感謝している。

わたしが引っかかっているのは、それがわたしが存在しないものとして、わたしの秘密裏に行われたと言う事実なのだ。

家族なのだから、そういう大事なことこそ、逐一報告し合い、お互いの納得を得て進めて欲しかった、とわたしは思う。

話を元に戻そう。新潟市時代のところ迄。

母から連絡が来てまもなく、妹から連絡が来た。

「あんた、どこにいるの?あんたが離婚したり、家の中に出たり入ったりするから、お母さんが動揺して認知症が進むのよ。お母さんが認知症になったのはあんたのせいだから。あんた、離婚して家に戻って、家を継ごうと思ってるでしょ?お母さんを見てるのはわたしなの。

これから先もお母さんの事はあたしが見るから、あんたは今後一切、家のことに口を挟まないで。家はわたしが貰うから、あんたは財産権放棄しますって一筆書いて送って」

俄には信じられないだろうが、これがわたしの現実だった。

わたしは彼女の言う通りに一筆書いて郵送した。一筆書く代わりに、今後一切妹とは会わないということを条件として。


母は幾つになっただろう?

星を見上げながらわたしは思った。


数えてみると、丁度88歳。

家族仲が良かったら、米寿のお祝いしているのだろうな、と思ったが、家族仲が良く無いのは、わたしのせいでは無いので、ここには無い幻の幸せのイメージを追うのはやめた。


いつか、その日は来るのだろうな。

漠然と思った。多分、それは全て妹の手でコントロールされ、わたしの預かり知らぬところで行われるのだろう。


それもまた、良し。

自分に他人はコントロールできない。

自分にコントロールできるのは、自分の心ひとつだけである。

お母さん、長生きしてくださいね。

わたしは星に祈った。今、ここにあるのは母がわたしを産んで育ててくれたから、だからわたしは泣いたり笑ったり、人を愛したり憎んだり出来る。


星を見上げながらわたしは思う。

全ては宇宙意志が知っている。だからその自然の流れに身を委ねよう。


わたしは煙草を吸い終わって、夜の眠剤を服薬し、安らかな眠りに着いた。



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