ロボットでも動物でもない「人間らしさ」の研究
人間と他の動物との違い
「人間らしさとは何か」
という問いに対し、今までは他の動物との違いを挙げることが多かったと思う。
欲求に対し、理性で制御できる。
道具を作り、扱うことができる。
論理的な思考ができる。
言語を介してコミュニケーションをとる。
しかし、現代の技術では、これらはロボットにも可能なのだ。
(…急に真面目な話が始まって読む気が失せた人がいたら申し訳ないが、私は今期放送中の「VIVY」というアニメにハマっている。
それでAIとかロボットとかに今まで以上に興味関心があるというわけで、意識高い系な話をしに来たわけではないので安心してほしい。)
人間とロボットとの違い
人間の脳については、まだまだ分かってないことが多いらしい。
「人類は月には行けたのに海の最深部には行ったことがない」という皮肉があるが、そもそも自分らの身体のことすらもよく分かっていないのだ。
「感情」や「心」と呼ばれるものも、そんな脳の働きの一部であり、そのメカニズムについてもまだまだ分かっていない。
まだまだ分かっていないから、もちろん人間の作るロボットにも「感情」をプログラムすることはできないのだ。
人間は、論理的に判断することが出来るという点が他の動物との相違点ではあるが、ロボットほどすべてを演算で判断できるわけではない。
動物ほど情動的にもなれず、ロボットほど理屈っぽくもなれない。
人間とはそういう中途半端さを持つ生き物だ。
人間らしさとは
欲求や感情を理性で抑えられるからこそ生まれる感情もあり、そしてそのせいで悩むこともある。
嘘をつくことができる動物は稀だが、嘘をつけるから罪悪感を覚える。
嘘をつくことで、嘘をつかなければよかったと思うような結果にもなる。
自分に嘘をつき、感情を押し殺して理性的になることもできる。
理性的になりすぎて自分の欲求や感情が分からなくなることもある。
情動と理性、つまり動物っぽさとロボットっぽさの間で悩むのが人間なのだ。
たとえば「浮気を許せるか」という話題は、非常に人間的だと思う。
動物的に考えれば、性欲が湧けば性行為をしたくなる。
人間は年中発情できる動物なので、年中性的欲求を満たす相手を探していると言っても過言ではない。
だから性的衝動に駆られた人間は、恋人以外とも性行為をしてもおかしくはないのだ。
でも、浮気をされたら寂しい。
合理的、論理的に考えれば「人間は浮気をするものだ」と諦めるべきだ。
しかしそれでも、素直な気持ちは「浮気をしてほしくない」。
このような理性と感情の板挟みの悩みは、非常に人間らしくて、恥ずべきではないのだと、さまざまなSF作品を見て思えた。
こういった悩みは尽きないけれど、他の動物ともロボットとも違うからこそ悩むんだなぁと俯瞰できるようになって、少し気持ちが楽になった。
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