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左手薬指のきらきら、どんな人と交換したいかなって

ちょこちょこnote内でも"結婚"というワードを出してしまっているように、最近結婚についてよく考える。こんな私はあんまり好きじゃない。


やっぱりいちばんのきっかけは、いちばん仲の良い友達が結婚したことで、これまた別のいちばん仲の良い友達が結婚をしたくて悩んでいるから、で。
私にとって、2人がいちばんの友達。
そんな2人が人生の転機を迎えている。

そっか。人生の中で結婚というものは、割と多くの人たちが考えることで、訪れるものなんだな、それが多くの人の普通なんだな、って思った。


それから私の周りにいる人たちを思い浮かべたら、仲良くしてもらっている人たちの8割?9割ぐらいが既婚者だった。私より年上の人ばかり、というのもあるけれど。

前職の同期、何年も前からお世話になっているセレクトショップの皆さん、まつぱのお姉さんも、エステのお姉さんも、職場の人たちだってみんなそう。


あれ、みんな結婚してるや、って最近はっとした。遅い。



みんなの左手薬指にはそれぞれのきらきらが存在していて、そのきらきらは、いちばん大切な人を想う気持ちとその人の存在を示しているもので、みんなの薬指を見る度に私はいつも優しい気持ちになる。

大切な誰かの存在を周囲に示すことができるって、結婚指輪しかないような気がして。

誰かに大切にされるって、本当に綺麗で優しくて美しい。
だけど、誰かを大切にすることも、同じように、それ以上に強くて美しい。

それが成り立つ形、誓い合う形が結婚なんだとしたら、認めたくないけれど最近の私はやっぱり憧れているみたい。

こんな自分は好きじゃない、だけどここでしか言えないから残しておく。私はすこしずつ結婚がしたくなっている、たぶん。やっと、ようやく。


でもこう思えたのは、私の周囲の人たちが正しい結婚の形を見せてくれているから。私の両親とは違う。

みんなが私に「結婚ってそんなに悪くないよ、心配しなくていい、大丈夫だよ」って教えてくれるみたいに。





「どんな人がタイプなの?」と聞かれたとき、どう返すのが正解?正解とかないのかもしれないけれど、どう説明したらいいのか分からなくて。

優しい人、穏やかな人、元気な人、爽やかな人、みたいに簡潔に答えることができない。し、頑張って説明してもなかなか共感してもらえない。


たぶん、ここにいる人たちは理解してくれる人が多いだろうと信じて書くけれど、精一杯の簡潔な説明だと"言葉から見える部分と、言葉に隠された見えない部分を大切にしている人"かな。全然簡潔じゃないね。

それは、上手いこと言える人とか取り繕える人のことではないし、こう言ったら喜ぶかなって先回りすることでもなくて。相手が無意識に隠す気持ちを丁寧に扱ってくれる人、というか。

やっぱり説明が難しいな、上手く言えない。



「大丈夫」という人に、「本当は大丈夫じゃないでしょ」と言える優しさももちろん素敵だけれど、ありがたいけれど、「なんでも聞くから話してごらん」なんて言葉に、温かい飲み物を添えることのできる人に私はなりたくて。この言葉のニュアンスの違い、理解してもらえるかな。

「まぁ平気!」と笑う人はそう思うことで自分を奮い立たせているのかもしれないから、美味しいパンやスイーツを「これ食べて明日もがんばろうね」って差し出せる人でいたい。がんばってね、じゃなくて、一緒にがんばろうね、って。

贈りたいのは言葉で、他はおまけのようなもので。


「いつでも話してね」に「ありがとう」と言ったものの、なかなかその機会は訪れないものだということも分かるから、そう伝えたなら責任を持って定期的に「どう?元気にしてる?」「困ってない?」って私から言葉をかけられる人でいたい。いつでも話せる機会をつくることのできる私でいたい。


でもこれってたぶん、私がしてもらいたかったこと。
だから、私がまずできるようになりたくて。

私がなりたい"理想の自分"を身につけている人に出会ったとき、あ、この人のことをもっと知りたいって思うんだろうな。理想の自分の数だけ、タイプがあるということなのかな。


たとえ同じ気持ちになれなくても、恋人になれなくても、そんな人に人生の中で出会えたなら大切にしなくてはいけないと思う。

だけどやっぱり最近の私はよくばりで、そんな人ときらきらを交換したいと思ってしまう。

いつからこんなによくばりになっちゃったかな。
だからこんな自分は好きじゃない。
でもこれが本音らしい。嫌になっちゃうね。





 元気で毎日暮らしてますか
 朝は起きられているのでしょうか
 野菜もきちんと食べていますか
 つらい想いはしてませんか

 頑張ってって言いながら
 あまり無理しないでねって
 思っています

 心配になる事も寂しくなる事もあるけど
 元気でいてくれたら

 愛する人がどこにいても
 心から笑えますように
 少しくらい嫌な事があっても
 今日を笑って終えてくれたなら

 ただそれだけで それだけでいい
 こっちは心配いらないから
 たまに疲れたら帰っておいで
 あなたの好きなものを作って
 待っているから

ささえる人の歌 / back number



いい曲って、いい歌詞だなと、語彙力のないことを毎回思う。

大切な人たちを思い浮かべて聴くこの曲が好きで、この曲が不意にかかったときに思い浮かべる人がやっぱり大切で。


私がなりたい"理想の自分"、をすでに持っている人のことが好きというのはそうなんだけれど。

それよりも無意識のうちに、ある人の前では理想の自分でいられてしまう、という瞬間があるような気がする。


それが好きということなのか
ただ人に優しくできる自分でいたいというだけなのか、
今はまだ知らなくても
気づかないふりをしていてもいいかな。



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