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夏休みの宿題。保護者、担任、あなたのスタンスは?

夏休みに突入。
私が担任をしている時、子どもたちによって宿題への取り組み方は様々…。
始まってすぐにエンジン全開で、「7月中に終わらせる!」と燃える子、
計画をしっかり練って、コツコツとこなす子、
楽観的で、最後にまとめてがんばる子などなど…。

宿題を出した張本人の担任の先生、保護者の子どもを見守るスタンスも様々だと思います。私が考える、近くで見守る大人のあるべきスタンスを、独断と偏見で申し上げます。

結論:決意させ、後悔させろ

私が働いた小学校では、自分の担任するクラスの中で、提出物関係が苦手なおうちに、夏休みのはじめと終わりに電話連絡をする謎業務があった。もちろん私は一度もそんなことしたことないのだが、ベテランが行うその謎業務を見て、若手の教員もそれに倣って行っていた。

私と同年代で、小学生の娘を持つママから聞いたことには、担任から電話着たときに「今日の分、やらせました。」と言うために、たいそう厳しく
「宿題やりなさい!電話来るよ!」
と怒鳴ってやらせているそう。

ちがうでしょ。
      ……と思う。

そもそも、この大日本国の教育のマニュアルである学習指導要領には、小学校は宿題を児童に出さなければいけない、なんて内容は書かれていない。書かれているのは、家庭学習の習慣が身に着くように児童にあった指導をすることである。これ、すべての大人が大前提として頭に入れておきたい。

だから、日常的に出される宿題というものは、家庭で学習する習慣を身に付けるために、自分に合ったやり方で取り組んでいくもの。人それぞれ、自分に合った学び方があるからね。
(私は、傍らにコーヒーがあれば頑張れるかな。)

では、夏休みなどの長期休暇で出される、あの大量の宿題には何の意味があるのでしょうか?11年間教員をしてきた私ソダチネの結論としては、「ない」である。夏休みの宿題に、意味は「ない」である。

学校サイドとしては、6月ころになると、夏休みの宿題用テキストを業者に注文する。保護者が学年の様々な活動のために月々支払っているお金を使って購入している。480円くらいが相場だろうか。
夏休み明けに、子どもたちが提出した宿題をサラッと見ると大体わかるのだが、「あぁ、こりゃ最終日に慌てて答えを写したな。」「完全にお母さんの字じゃん!」などとかわいそうになる。
480円使って、時間と筆記用具の無駄遣いをしているという印象である。もちろん、しっかりとコツコツ学習し、力を伸ばしてくる子もいる。ただ、そういう子、家庭では、きっと学校でテキストを買わなくても、自分で自分に合った教材を本屋さんで購入できると思う。職員会議で、夏休み用のテキストを学年で一括購入するのをやめないかと提案したことがあったが、ものの見事に「昨年度も買ったんだから、今年も買おう。お金が余っちゃう。」とのことで却下された。

と、教員だった私がグチグチと言っているが、保護者サイドとしてはどうなのだろうか?
何をさせたらよいかわからないから、学校から出されるテキストをさせればよいという安心感があるのかもしれない。確かに、気持ちはわからなくもない。ゲーム、スマホ三昧になるくらいなら、宿題があった方がよいと思うかもしれない。

ただね、やっぱり大事なのは、子ども自身がどうしたいかだと思う。
だから、私は「決意させ、後悔させろ」と、教員と保護者に向け叫びたい。


①決意させる

教員なら、夏休み3日前くらいになったら、クラスの子どもたちに向けて、夏休みにやりたいことを考えさせよう。
「いつもは後回しにする宿題を、コツコツやる」
という子がいるかもしれない。とてもすばらしい決意だと思う。
「とにかく虫とりをしたい」
といった子も、意欲を認めつつ、「虫とりだけなら夏休みじゃなくてもできそうだね。夏休みは長いから、そのつかまえた虫、いつもの100倍、詳しくじっっっくりと観察してみたら?○○君の観察日記、先生は読みたい!」と返すかもしれない。その子の中に、夏休み中にやりたい決意ができたらよいのである。
難しいのが「ゲームをとことんやる」と言った子に対してだろうか。担任の腕の見せ所である。

ここで、子どもたちに「やりたいこと」から、より深く考えさせるために、担任はこう子どもたちに問いかけよう。
「なるほどOK、質問を少し変えるよ。」
「みんなは、夏休み明けにどんな自分になっていたい?

これでも「ゲームが上手な自分になっていたい」と言うようなら、その子は本気でそう思っているかもしれないから、受け入れよう。もし、1人がそのように言ったことで、たくさんの人がつられてふざけるように同じ答えを続けるようなら、それは担任と子どもの間に信頼関係が無いのかもしれない。本気度、目力が足りないのかもしれない。先生の「夏休み明けはこうなっていたい」を語った後に、もう一度同じことを聞いてみるのも良いかもしれない。とにかく、子ども自身がどうしたいか、どうなりたいかを考えて、夏休みに取り組むことを決め、やりきろうと決意することが大事だと思う。

くれぐれも、担任は引き出すことに専念すること。
「えー、○○君は~~をした方がいいんじゃない?」なんて反応してしまうのは三流の教師がすることだ。あくまで、決めるのは子ども。誘導しても子どもは鋭いからバレるし、信頼関係が崩れるかも。


保護者の立場からしても、あくまで決めるのは子どものスタンスでいたい。でも、親は、親なりの願いを伝えていいと考えている。担任は他人。でも親の言葉は、半分自分の言葉。子どもがしたいことが宿題じゃなくても、じっくり時間をかけて子どもがやりたいと言ったのなら、協力したいというスタンスでいてほしい。
「へえ、バラを育ててみたいんだ。いいね。一緒に頑張ろう。」
という感じで。
くれぐれも「宿題も終わらせられないのに、そんなことしてる場合じゃないでしょ!」とかはやめてあげてほしい。今の若い子たちに足りないのは基礎学力じゃない。興味をもつ力だから。
興味をもてたことをみとめて、やらせてあげよう。夏休みにそれをさせてあげられないなら、子どもは家を出るまでやりたいことができなくて親の言いなり、つまらん大人になるんじゃないかな。


②後悔させろ

「後悔させろ」と表すと意地悪に聞こえるが、これは、自分が宣言したこと(決意)に責任をもたせることを意味している。自分が決めた目標を、やり遂げるか否かは、すべて自分(子ども自身)にかかっているのである。
子どもに失敗させるのはかわいそうだと言われたこともあったが、失敗でこそ深く学べることを私自身、身をもって理解している。
そもそも、失敗しない計画を立てて、それができたからといって、新しい自分に成長できるのだろうか。そう。この「後悔させろ」には、目標を決める時に、「達成できるかあやしい目標」にさせるという意味合いが実は含まれている。

教員は、子どもが達成できそうな目標設定に手を貸してはいけない。
「こんな自分になりたい」といった、その姿になるために必要な目標を、ちょっと難しいかもしれないけど、失敗はつきもの、やってみよう、と背中を押すべきだと考えている。

保護者は、設定した目標を何とか達成させるために、口うるさくなっては決してならない。むしろ、目標設定したら、あとはノータッチで良い。
達成するために子どもが相談してきたら、必要なものを与えてやったり、家にあるものを提供したりと大いに協力してやってほしい。親に相談せずに黙々と取り組んでいたら、余計なことをせず見守ってほしい。自分でしたいのだなと遠くでほほ笑むだけで充分。
繰り返ししつこいようだが、夏休み残り数日になり、達成できそうもないから子どもに代わって親がやってあげるなんてことは絶対にしないでほしい。
「自分で決めたことが、なぜかわからないけどできてしまった。あぁ、お母さんのおかげか。」
これほど残酷で、無駄なことはない。


最後に
夏休み最終日。明日から学校という時に、子どもの夏休みの宿題が終わっていなくても怒らないでほしい。宿題が今の自分にとっては重要度が2番手3番手だったのかもしれない。それに、ケロッとしているように見えても、子ども自身が一番、「やっちまったぁ…」と焦り、反省しているはずである。それで十分だろう。

担任たちよ。夏休み明け、いろいろな事情をランドセルに詰めて子どもたちは登校する。宿題を全くやっていなくても、登校してくれただけで最高ではないか。宿題よりも大事な何かがきっとあったはずである。

まさか、小麦色に焼けた元気な姿よりも、宿題を見たかったわけではあるまい。

担任は、ただ嬉しそうに子どもの目を見て
「どんな夏休みだった?楽しかったこと、教えてよ。」
と問いかけよう。

やっぱり、学校って楽しい!

その気持ちを守りたい。
それができないなら、宿題なんてやめちまえ。

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