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家があるのにホームレス、これが辛い。

先日、NPO法人抱樸(ほうぼく)奥田理事長の講義を受けた。

ホームレス支援で就労と住居をあてがう。
しかし住宅が得られて支援完了ではない、と。
ここまでは知ってるつもりだった。でも全然わかってなかった。

ホームレス状態では「死ぬなら畳の上で」と言っていた人が、住まいを得ても安心できず、部屋の片隅にうずくまって「死んだら誰か看取ってくれるのかな?」と不安を漏らす、というエピソードを知った。心の安寧には、やっぱり人が必要。繋がる人が居ないと不安が果てしない。孤立感は辛い。

1995年に大阪市で「ホームレス襲撃事件」が起きた。凶行に及んだ少年は小中学校時代にいじめられていた。事件後、ホームレスのおじさんは言った。「家に帰っても帰るところがない。誰からも心配されてない。俺はホームレスだからわかるけどなぁ」と。

被害を受けた側なのに、加害者の気持ちがわかる。同朋のように加害者をいたわる。どうして? おじさんは、少年の心の安住地がなかったこと、家があれども心はホームレスだったことを知っていたのだ。

住居がないのはハウスレス。
心の拠り所がないのがホームレス。
大事なことを学ばせていただいた。

心のホームの喪失は、引越・転校・転職直後の孤独感とは訳が違う。

いじめ、引きこもり、不登校、自殺、孤独死…全部、心の拠り所がないことが原因。就職による人口流出、過疎化、少子高齢化も根本は同じ。それが臨界点を超えてホームレス襲撃。。。それはあまりにも悲しすぎる。

人として接する。一般名詞でモノ扱いしない。
障害者、ホームレス、転校生…

今月から高校進学する甥っ子も中学校では不登校だった。学校にホームを見いだせなかった彼も環境の犠牲者かもしれない。昨年度の「都道府県別 1,000人当たりの不登校生徒数」に現れた数字上の改善が微かな希望だ。

スカッと晴れた春の城下町、風はまだ冷たい。

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