【“何”を届けたい?】焼き菓子屋そぼくな。原点のシフォンケーキ。誕生の日。【episode10】
今から約8年前。24歳の夏の出来事。
『ゆきちゃん、お店のお菓子担当してくれへん?』
と
無理やり?勝ち取った菓子の製造責任者という立場。
ただ同期のオープニングスタッフが流れるように去って行った為とも言える。(笑)
けれど店をお金が回る様にむりやり持って行ったのも事実で。
(市場のおっちゃん達のおかげ!今でも本当に感謝しきれない。)
どういう事?と思った方は前回の記事を読んでね。↓
『何種類か店に合うレシピの案出しといて。』と言われ。
家に帰り、すぐに学生時代に書き留めた菓子のノートや本をあさりまくり。
『何、作ったらいいんやろう?何がこのお店に合うかなぁ?』と、
もう本当に本当に、ワクワクが止まらなくって。
嬉しくって。たまらなかったのを今でも覚えてる。
とは言え。
朝は5時に出勤し市場へのパンを仕込み。
市場でしっかり売った後、
もろもろの店の仕事を終わらせてから
やっとその後に
オーナーシェフとの菓子の相談や試作。(試作は時給に入らない)
“”ただ仕事は増えたけれどお給料は一緒。“”という状況で。
今、またこの条件をぶつけられたら絶対キレるし即辞めるけど(笑)
でも。
当時はほぼ実力もないヤツに任せてくれるだけ、本当に本当にありがたい。と。
それでもいい。
やっと菓子を作るという仕事に携われる!!
めちゃくちゃ毎日、寝不足でも舞い上がっちゃって。
どんな形でも菓子を焼く事に携われるなら当時は何でも良かった。
(最初に提案したマカロンパイは呆気なく却下だった(笑)↑)
無我夢中で試作と話し合いを繰り返した。
気づけば店に朝5時から18時頃までいることは当たり前の毎日になっていた。(当時一歳の息子は保育所ばかりの毎日で。本当に感謝かない。)
その頃いた数少ない友人やバリスタ時代の先輩には
『そこ絶対辞めとけ。』って言われまくたけれど(笑)
それでも楽しくって楽しくって。
そんな私の為を思っての助言も無視しまくり(笑)
今思えば周りの声さえ聞こえないくらい夢中になれて
本当に幸せやったと思う。
『必死』って『必ず死ぬ』って書くから必死は良い事ではない。
ってよく言われるけどさ、
私はそうは思わなくって。
『人間みんな必ず死ぬ。』だから『必死』になるくらい、
夢中に人生を生きろって事なんじゃないかな?って今は思う。
だって体感として、
『必死』は『使い方』によったらめっちゃ幸せだと感じたから。
さてさて。
試作の毎日が始まりました。
提案もいろいろとしたのですが
オーナーシェフのご主人のTさんが
シフォンケーキがめちゃくちゃ好き。という
そんなマーケティングも何もない、理由だけ(笑)で
シフォンケーキを最初にお店の看板のお菓子の商品にする事となりました。
『あぁ!シフォンケーキなら19歳のアルバイトの時に仕事で経験しているので、できますよー!』
また私も軽い感じで受け。
(今この過去を振り返るとオーナーも私も“誰に届けたいのか?”が明確じゃないからすごいよね^^;)
とりあえず、焼いてみる。
本当にどこにでもあるフッツーーーーー!のシフォンケーキを。
そしてご主人のTさんに食べて頂く。
の、ですが、、、、!
『違う!もっとこう、ふわふわで~、、、でもしっとりで。なんちゃらかんちゃら。。』
こだわりがめっちゃ強く、全然通らない。(笑)
でも、これがその時の私には良く、
『絶対ウン!と言わせてやる~!!!』
と燃えるに燃え(笑)
もう、試作じゃなく実験を始めまくります。
オーブンの温度を変え続け、
焼成時間を変えまくり。
水分量を増やしたり減らしたり、、、
『どんだけやるねん!!!』て怒られそうなくらい試作しました^^;
仕事終わりに
厨房に残り
作っては食べ作っては食べ、、、を繰り返し。
その試作の中で
『Tさんは口どけが良くってふわっとしてて。けれどもしゅわり。と【後には残らない】そんなシフォンが良い。んよなぁ。』と
自分なりにTさんがシフォンケーキで求めている『おいしい。』を解釈するようになりました。
そして、
そこの『目指す味』を先に頭の中で決め、
素材達のバランスを組み立てて(レシピを作って)焼成していく。
という、考えが自分の中に芽生えました。
【既存のレシピ】→【菓子を焼く(シフォンならただシフォンのレシピを引っ張ってくるだけのシフォンを焼く)】
の、思考停止の考えから
【まず、どんな菓子を生み出したいか?(届けたいか?)】
→【素材を組み立てる作業(レシピ作り)】
→【菓子を焼いてみる】
→【焼きあがる】
→【失敗】or【成功】(現実に出来たものは理想通りか違うか?)
→【またtry!】
→【理想の菓子(届けたい菓子)を焼きあげる!】
に、
考えが少しずつ変化していきました。
ただ、既存のレシピを混ぜて焼いた!では結局、誰に届けたいか?が明確ではないから誰の心にも響かない(=売れない)
という事になんとなく気づいた瞬間です。
この当時の私の場合だと
Tさん(シェフの旦那様)の心に響かなければ商品を店で売る事はないわけで。
ただ【シフォンケーキのレシピ】をなぞり、焼いて、
「はい、どーぞ!」とやってもそりゃ売る許可はおりない。(売れないとも思う)
めちゃくちゃ、めちゃくちゃ!!
当たり前のことだけれど
【何を届けたい?】を明確にして菓子を焼き届けることの大切さ。
を
身に染みて体験した、シフォンケーキの試作の日々でした。
もちろん、お給料なんか発生していないし
この時点で一円にもなっていない。
学費の借金は返さなきゃあかんのに!
アホです(笑))
けれども。
本当に職人として。
菓子屋として。
大切なマインドを頂いた日々でした。
もちろん、店のシフォン(商品)を生み出さなくてはいけないので、
材料はお店のものを使用させて頂いていたのです。
だからお店側も
名もない私に(リスクをとって)賭けてくれていたと
今振り返れば感じる事なので
とても、とても、今でも(いろいろありましたが)感謝しています。
シェフ、ありがとうございます。
そんなこんなで。
やーっとTさんのお口にあうシフォンが出来ました。
これが、
24歳夏。初めてレシピから考え、人に菓子を売る事を経験した瞬間です。
思い出すのは。
試行錯誤した日々で。
売り出したその瞬間の喜びよりも
なぜかその試行錯誤で
【意図するものが出来上がったその瞬間】の方がインパクトが強かった。
たぶん、それは、
一人でも誰かの心に響いてくれた。という瞬間を目にしたからで。(この時はTさん)
誰かに菓子を焼き届ける、という本質的な大切なところはココなんだ。
と
実感したからやと思う。
結局、試行錯誤するなかで産み出したシフォンは
一般的な広く知れ渡ったシフォンのレシピとは、かけ離れたレシピになっています。
(また考えるレシピ集で紹介しますね→https://note.com/sobokunayuki/m/m2d74aa7ad143 )
『普通』、『当たり前』、『常識』、『基本』の枠で
シフォンケーキのレシピを
なぞっていたら絶対に焼けることのなかったシフォン。
『基本』は大切と言われるけれど
『その基本は何の目的の為の基本なんやろう?』と時には疑い、
自分で試してみる(そして失敗もしてみる)大切さもいるなぁ。
という事もこの時に学んだ気がします。
そして
そんな、
その時に出来上がったシフォンは
今の焼き菓子屋そぼくな。のシフォンケーキの原点
になっています。
そして
このシフォンケーキからたくさんの出会いがありました。
私にとって、この頃から
作り出した菓子が人との大切な縁を繋いでくれている。
そんな想いが続いてます。
当時は雇われなので私が作ったとは紹介れず
【○○の店のシフォンケーキ】と紹介されます。
(めっちゃ当たり前やけれど、めっっちゃ悔しかった出来事もあった。)
それでも【ゆきちゃんのシフォンが食べたい】と店頭に買いに来て下さる方は私が担当していることを知っていて。
この店をその後離れ、違う店に転職した時も
お客さんが付いてきてくれたのです。
そして、この時から8年。
今でも変わらず
#焼き菓子屋そぼくな 。でその当時のお客様からシフォンのご注文をくれています。
値段は
この当時は1ホール500円。
今は1ホール3240円。(大きさ一緒)
6倍もする値段のシフォンを変わらずに大切な日にご注文をくれています。
もちろん、その当時使用していたものよりも
素材も質のいいものを使用しております。
しかし、
お客さんにしたら大きさも同じで違いはわかりにくいはずで。
それでも。
近くにシフォンケーキを売っている所なんてあるだろうに、
わざわざご注文を頂く事、本当に本当に、感謝しかないです。
だからこそ傲慢にならず
この時に得た有難い気持ちを忘れずに
お届けしたいものは何か?
目の前の人にむけて精一杯菓子を焼き、お届けする。
という、当たり前のようで当たり前では無い事を。
シフォンを焼く事で忘れずに心に留めて
これからも焼き菓子屋そぼくな。進んで行きたい。と思います。
読んでくれてありがとう!
焼き菓子屋そぼくな。
ゆ季
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