27-29歳。店、仕事、に対しての自分なりの価値観を持ち出した。そして、新たな道へ。【episode15】
育休から復帰してからは色々あった。
オープンしてから3年ほど経過していた店は
オープンした時よりも、0から、、
いや。
マイナスからのスタートの様だった。
まず、育休を復帰してから意識したのは、
みんなの声かけ。挨拶。お客さんが見えたらすぐに店頭に行く。
当たり前な事だけれど、そんな所からだった。(T-T)
けれど、そんな事さえ上手く行かなかった。(もう飲食業関係ないレベル^^;)
と言うのは、復帰をすると
私より10歳や30、40、50歳上の方ばかりになっていたのです!
で、プライドばかり高い人が多く。
プライドを持つこと自体は悪い事では無い。
しかし、
職人としてのプライドがあるからこそ、お客さんがいてくれる有難さは忘れちゃいけない。
職人は作れればいい。売れるかどうなんかは知らないよ。それは店(オーナー)の役目でしょ。と年上で思っておられる方は多く。
ましてや何十歳も下の小娘に、支持されるなんて持ってのほかのようで。
『あんたの言い方が気にくわない。』と、的を外した内容を言われる始末。
だが、年上さんたちはやりたい放題の嵐で。
完全に店が学級崩壊。の状態^^;
(色々とあったけれど店の風評に影響があるのでこれ以上は書くのをやめておきます^^;)
それでも。
みんな良い所もあるのも知っていたし、
やっぱりこの店に来てくれているお客さんが大好きで。大好きで。
この店に恩もあるので、この店を少しでも改善してから店を抜けよう。
そう、心構え。
地道に、地道に。
最初は自分だけでも、プロとして、挨拶や仕事、掃除を徹底した。
(ごめん、めっちゃ当たり前の事書いてるけれど、これ出来ていないお店、まだ結構あるよね。。)
どれだけ素早く効率よく焼きまくっても。
作る工程に基本に忠実だったとしても。
例えば。
包丁がいろんなところに置きっぱなし。(片付けながら仕事しない。周りの気遣い全く無し)や、
挨拶がない。
スタッフ間の声掛けが無い。
自分のポジションだけやれば後は知らない。
焼いたけれど売れたか売れないなんて、どうでも良い。
何なら帰りたい。
でも、お給料だけちょうだい。
。。。。。
みたいな、心構えだったら絶対、ぼろが出るんです。
菓子やパンの表情も全然良くないし、それは必ずお客さんに伝わる。絶対。
でもこんな店めっちゃ多い。
こんな人めっちゃ多い。
そりゃ、上がそんなだから
みんな飲食業に憧れ持って入るのに心や身体壊して辞めちゃうんだよ。
もっと、
人を幸せにする仕事をしているんだから
作り方の工程の基本とかよりも(大事だけれど)
その前の
人として、人と接する思いやりの在る行動の基本、出来ていない人多すぎる。
その当時、なんでこの仕事してるの?って何回も年上すぎるスタッフに問うたかわからない。
私だって完ぺきではない。
だからこそ、ご縁を(スタッフにもお客さんにも)大切に。
心ある仕事をしよう。
例えオーナーシェフがそれをしなくても。
きっと、この店は成長できる!
と、またグッチョクに仕事していった。
(その時の気持ちを綴っていた↓)
少しずつ少しずつ、店は明るくなり。
けれどその分、私と言うものは消費する。(笑)
やはりオーナーが変わらないと
店の性格はどんだけスタッフが頑張っても変わらなくて。
相変わらず、レストランの卸先に適当なパンを卸すことも多く。
シェフの代わりに納品間違い、仕込み間違いで謝りに行く事もしばしばで。
当のシェフは逃げっぱなしですぐに面倒な事があれば帰っちゃう。
相変わらずのお給料も。スタッフ全員に対して適当で。
スタッフが良くなってきても。
スタッフが店の為に良くしよう!と頑張っていても。
結局シェフのそんな適当な態度にみんな疲れて行った。
結局、育休に入る前と同じ状態になっていた。
だいぶ身体も心も、そして私自身疲れて行った。
10年以上風邪もひいたことが無いのに高熱が出たり(けれど夕方まで一人でバゲット焼いていたのも良い思い出^^;)
頭がくらくらとしたり。立てなくなって家に帰ると玄関で倒れたり。
限界が来ていた。(その時の想い↓)
改めて何がしたいんだ?自分。と何度も自分に問い直した。(↓)
復帰して1年経ったくらいの頃。
新しいスタッフが入ってきた。
5歳上のお姉さん。
その方はパン屋を5年経営してから、まだ学びたい!と
愛媛にある店を閉め。大阪まで修行をしに来ておられたパワフルな方だった。
この方(Tさん)との出会いが私を救ってくれた。
Tさんは本当にパンが好きで。
こんな人見たことない!!ってくらいに
パンの生地を触る時。
仕込む時。
どんな時も手からハート♡が溢れ出てくるくらい、幸せそうに仕事するんです。
でも、もちろん趣味ではないので、仕事の効率、作業も手早い。
そしてお客さんへの心配りも、お言葉選びも素敵で。
卸先のスタッフとの会話、やりとりも上手。
Tさんの
相手の背景をくみ取って話を聞く姿勢と伝え方、パンへの愛情は本当に凄まじく。
仕事をしていて、学ぶことが本当に多かった。
同じような価値観で
同じ方向を向き。
尊敬し。
人と仕事をする楽しさ。は、こんなにも、充実感があるものなんだ!と
初めて
店を循環させる楽しさ、を味わった気がします。
(その時の気持ちがが過去ブログに残ってました↓)
その時に、
店を経営し人を雇う時が来たら絶対同じ価値観の人と働こう。と決めました。
違う価値観の方と仕事をすると
どこの方向性にも店が動かなくなり、結果、店は成長もしない。
良く言われる当たり前の事やけれども、価値観の擦り合わせは店を活動させていく中でとても大切なんだと、Tさんと働く中で体験して実感しました。
(だから、こうして、自分が大切にしている価値観や想いをブログに記載しています。上記で述べたようにいくら仕事の所作だけ出来ても、心のありようや人と接する(仕事する)上での価値観が違うと、ずれが生じる。の雇われの間に経験させて頂いたので、同じ失敗は自分の店ではしたくない。)
でもでも。
それでも。ですね。
結局。
いや、やっと。
29歳。晩夏。「退職する」と、決めました。
ここは私たちの店ではない訳で。
結局オーナーがやる気が無ければ全て無駄になるのです。
心も身体も疲れ果て。厨房でのめまいも収まらず。
これ以上ここに居ても吸収されるだけだ、
自分の価値は上がらない。違う道で挑戦する時が来たんだ。と
育休復帰後約2年で退職しました。
本当はね、
他に雇ってくれる所なんかあるのかな?(この時にもまだ自分で店をする勇気はなかった)
っていう不安もあって。この店にしがみ付いている自分もいたんです。
だからこそ、この店をしっかり守りたい!とか思っちゃってて。
けれど、この店、私の店ではない。
どれだけ頑張っても、私の思うようにはならない。
限界のギリギリまでやって。
その時にふと、
「もう充分やれる事やった。ここでは全力を尽くした。」
って思ったんです。
そしたらそれからは、清々しくって。
前を向いてた。
けれど、
私がこの店を辞める事で「焼き菓子の卸はもうしない!」とオーナーが言いだした。
今思うとめちゃくちゃなのですが^^;
その納品先にお詫びをしに行った。
今思うと私がオーナーでも無いのだから、私が謝りに行く事もしなくて良かった^^;
けれども、
やはり、使いたい!と菓子をお届けさせて頂いたことは有難かったから。
急に卸がなくなってしまうお詫びの気持ちもあったけれど、お礼もちゃんと伝えておきたかった。
そしてその時、お礼とお詫びの気持ちを自分で表現しよう!と想い。
お酒が好きな取引先の人だったので(何度もお会いしていたので知っていた)
その当時から、実はもう完成していた
#ブルーチーズとはちみつのフィナンシェ を焼いて
「おつまみにして下さい。」と持っていく事にした。
私の精一杯の気持ちだった。
卸先でお詫びとお礼を伝え、食事もそこで頂くことにした。
カウンターに座り、
その店のオーナーと、奥さんと、店長と、楽しくお話した。(納品先はとてもいいお店でした)
その後
おやつに、その場でブルーチーズとはちみつのフィナンシェを食べてくれる事になった。
すると、
卸先のオーナーが
「うま!!!」
「これ商品にならんかな?」
と!
私は嬉しくなって
「良かったら、レシピ教えましょうか?」と答えていた。
卸先オーナー
「え?いいの?!じゃぁ来週お菓子教室ここで開催して!」
と、
トントンと話が決まり。(↓実はnoteにもレシピあり)
結局、その当時、卸ていた
#ガトーショコラ でもお菓子教室を開催することになった。
(↑この子の原型もこの当時から生まれていました)
卸先のオーナーや奥さんは、
「そんな大切な商売道具のレシピを!」とてもビックリしていたけれど、
私はこちらの都合での自分勝手な取引中止が申し訳なく。
せめてものお詫び。の気持ちだった。
お役に立てる事が何よりも嬉しかった。
そして。その後。
お菓子教室は無事に開催され。
そのまま、縁があり。
29歳、秋。
この卸先のカフェで専属パティシエとして働く事になるのです。
その続きはまた次回に。
読んでくれてありがとう!
ゆ季
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