マガジンのカバー画像

タンブルウィード

31
ーあらすじー これは道草の物語。露木陽菜(ツユキヒナ)は地元山形を離れ、仙台に引っ越してきて三年目。自宅とアルバイト先を行き来するだけの淡々とした日々を過ごしていた。ある日、誤…
運営しているクリエイター

#生き方

23

陽菜はコラフの店長への電話を切って身支度を整えた後で部屋を出た。 エアコンで整えられた心地よい空間から一転し肌に刺さるような寒さと雪景色が目の前に広がる。ほんの数分前まで黒く光っていたアスファルトの路面も一面に白い絨毯が敷かれ殆ど別世界の様に陽菜の目には映った。月の光を吸い込んだ雪が蛍の様な柔らかな明るさを寒さで硬くなった中空に向け放っている。 ほとんど口元まで覆っていたマフラーの具合を確かめビニール傘を開くと、陽菜は雪道を駅に向けて歩き出した。 敷地から出る直前、何気なくア

22

しん、と静まった月の無い夜。雪は降り続いていた。 東北大学の校舎の窓には、点字みたいにぽつぽつと疎らに灯りが点っている。 長い旅を終えた人間が古巣に戻るときに見る家の灯りには、必ずいつでも迎え入れてくれるような穏やかな温もりが窓の明かりからなんとなく感じられるが、大学の窓達にはそうした温もりの様なものは感じられず、きっとその明かりの点いた部屋の中では何かしらのやらなければならないことに追われている講師や学生が居るからなのだろう。 顔に吹き付ける冷気と澄んだ闇のせいだろうか、じ

21

12月。 アルバイトを終えて帰宅した陽菜は、22度に設定したエアコンの風が流れる室内で今夜もノートに向かっていた。 壊れた電動ハブラシみたいな鈍い音が時折エアコンから鳴り響いている。 雑音の原因は不明だが、この部屋のエアコンは冬場に限って妙な排気音を出すのだ。 実際にはもう馴れたものなのだが、夜の静寂の中では際立って聴こえる雑音は集中力の妨げになる。陽菜は今夜もイヤホンを耳にペンを執っていた。 ノートに綴られたもののうち既にもう幾つかの小説は完成していて、短編集という形に落ち

20

二週間後、中崎からのメッセージで地元新聞の朝刊の中に松島のGOISHIについての掲載がある事を知った陽菜は、普段買わない新聞の紙面を部屋で眺めていた。 コラフでのバイトから帰宅して中崎からそのメッセージを受けた時は既に夜も遅く、新聞はまだ残っているのかという不安を抱えながらコンビニに走ったところ、間一髪それらを撤去しようとしていたデビと店の前で鉢合わせた。 日本語能力試験や学校の授業でコンビニの夜勤を休んでいたデビとはしばらくぶりの再会ではあったが、彼は陽菜の顔をちゃんと覚え

19

陽菜を前にして突然喜びだしたサメ頭の女性に、中崎らは目を丸くしていた。 驚いた様子の彼らに陽菜は事情を説明すると、偶然の再会を驚かれたが、それは陽菜自身も同じことだった。 こんなことが本当にあるんだ、という感情が渦の様に頭の中をかき回している。 水無月は神秘的な光景でも見るような目を二人に向けながら、今回の再会と福浦島が縁結びに所縁がある事を引き合いにだし、この出来事はまるで映画のワンシーンのようだと微笑みながら話した。 丸子ちゃんはしばらく大袈裟にはしゃぎながら陽菜に寄り添

18

携帯の画面を見つめながらタチバナくんは海沿いの道を歩いていた。 今日はタチバナくんにとって待ちに待った日だ。 登録者2000人をもつ女性配信者《サメ肌のはっちゃん》 彼女と今日、もしかしたら直接会えるかもしれないからだ。 色が落ちかけていた髪の毛は気合いを入れて染め直してきたし、駅前で買った大人っぽいジャケットとシャツはおろしたてだ。鼻毛はもちろん眉毛だってきっちり整えてきた。 肩から下げた移動に特化したサイドバックには充電切れを起さないようにモバイルバッテリーをしっかりと用

17

ゴリランジェロこと中崎重栄からの折り返しの電話はそれから二、三週間後の夜にかかってきた。 話によると水無月コウタロウとの交流会は、本人の希望で市内のイベントホールや商業施設などではなく意外にも市の外で開催されることとなった。 個人的に著名な小説家が何かイベントを開催するとなれば、各土地土地の中でも際立って来場者の多い商業施設内などが興行的にも主流だと思っていたし、例え内々での会にしても駅前などに隣接する宿泊施設の大広間を貸しきり、テレビなどで見る如何にもな雰囲気で催すものだと

14

橘君は苦笑しながら目の前に差し出されたうまい棒を見つめていた。 牛タン味。牛タンかあ。。俺、コンポタが好きなんだよなあ。 「若造。ちょっと付き合え。」 狐の様に細い目をしながら仏頂面のクボはそう言った。 喫茶コラフは青葉祭りの影響もあり今日の営業は久しぶりの大繁盛で、店の外にまで珍しく列を作っていた。 ただでさえ急がしいのに癖の強いクボと働いたことで、橘君の疲労は顕著に顔に出ていた。なんだか髪の毛もしゅんとしている。 今日は帰ったらシャワーを浴びてソッコー布団に飛び込んでやろ

12

「デビと陽菜ちゃんは先に降りて祭り行ってて、うちは車停めてきちゃうから」 市街地から少し離れた道路脇に荒々しく車を停めると、まゆは後部座席の二人へ言った。 新緑の銀杏並木が立ち並ぶ道路の向こうからは、既に賑やかな音が陽菜たちのところまで微かに聴こえていた。 長い時間を待っていたとばかりに聴こえる笛や太鼓の協奏曲は、照り付ける日差しを浴びて高いところで響いている。 まゆは助手席に散らばった大学の資料やファイルに気付くと、エンジンを切る事もせずに隣へ体を曲げた。 シートベルトを外

11

橘(タチバナ)君は、苦笑しながら電話口の店長の話を聴いていた。 先日出したアルバイトの休日申請が、一度穏便に通ったと思われたが、急遽出勤して欲しいという内容の電話だった。 何か先だって予定があった訳ではないのだが、こういった話しが月に度々ある為、タチバナ君は便利なスペアパーツの様な気分だった。 部屋の姿見に映るのは雷に打たれた様な毛色の、こんがりと肌の焼けている、見事な眉毛を蓄えた青年だ。 「またクボさんすか」 握ったスマートフォンの裏面を、人差し指でカチカチと叩きながらタチ

10

「さ、入って」 部屋の壁に無造作に貼られた見たことのない文字のメモ達、何処かの国の言語なのだろう。上にルビがふられている。陽菜は流し目にそれを見つめた。 まゆはガラステーブルの上に置いてある大小様々な小物を片付けている。香草の様な香りが部屋からほのかに漂った。 初めて訪れた隣人の部屋は、同じ間取りにも関わらず陽菜とは全くの別世界だった。云わば隣国の民家を訪れている様な心持だ。 かかとを使って靴を脱ぐと、陽菜はまゆの部屋へ踏み入れる。慎重な様は貰いたての子猫のようだった。 「お

アジアのどこか。深く生い茂る木々を抜けると絵本に出てくる様な木造の小さな店が在る。 霧の中で匂いだけ頼りに導き出した答えの様な、淡く頼りのない印象だった。 店の前に立つと象形文字を横に引き伸ばしたみたいな焼印が、扉の横に押されているのが見えた。 どういうわけか、生い茂る野草達は店の周りだけ一面ペンキを撒いた様にトウモロコシ色だった。焼きたてのパンみたいな匂いが鼻をくすぐる。 ドアを開けると店内は外から見るよりずっと広く、大木を切った上に板を乗せた様なテーブルには幾人かの男女

玄関先で一通の手紙を見つめながら陽菜は立ち尽くしていた。 どこか遠くの国の海辺の街が描かれた封筒の宛名の欄には初めて字を覚えた子供のような筆跡で「小峰まゆ」とある。 自分宛ではない手紙が何故自室のポストに投函されていたのか陽菜は封筒の住所欄へと目を移した。 陽菜の住むアパートは二階建てでワンフロアに七部屋が並列している。陽菜の住む部屋の番号は101だったが、手紙の住所には107と書かれていた。 しかしながら陽菜も最初は筆跡の癖も相まってその数字が1なのか7なのか少し躊躇ってし

0.5=7

再び陽菜が彼女に目線を戻したタイミングで演奏が終わり幾人かが手を叩いて彼女の歌声を称えた。 「ありがとうございます。改めまして、りさと申します。不定期でこの場所で歌ってます。今歌った曲はBob DylanのBlowin' in the Windという歌です。」 彼女は目線を下に落したり時々目の前の人々に向けたりを繰り返しながら話した。 「、、わたしは東京の会社を辞めて仙台にやってきました。次の曲はその時私を後押ししてくれた曲です。聴いてください。」 そう言うと彼女は次の曲を演