マガジンのカバー画像

タンブルウィード

31
ーあらすじー これは道草の物語。露木陽菜(ツユキヒナ)は地元山形を離れ、仙台に引っ越してきて三年目。自宅とアルバイト先を行き来するだけの淡々とした日々を過ごしていた。ある日、誤…
運営しているクリエイター

記事一覧

29

言葉がでないという感覚。目の前の風景に陽菜は茫然としていた。 変色した立ち入り禁止の立て札が隆起した泥の上に突き刺されている。 変わり果てたコラフは朽ち果てたままで目の前に立っていた。 記憶の中で最後に観た時よりも何処となく小さく縮んでしまったように思う。 小さく深呼吸をすると燃えた木々の匂いが未だに漂ってくるようだった。 通りを歩く人々の中、陽菜以外立ち止まる人は誰もいない。この場所にこの風景は当たり前になっていた。 ここに来る道中、取り壊しが進んで真っ更になった跡地を頭の

28

地下鉄を降りて地上へ出る。 陽の落ちかけた歩道が一面茜色に染まっている。 通りを歩く人々の顔をなんとなく眺めて歩きながら、陽菜はあの雪の日の出来事を回想していた。 かじかんで真っ赤になった指先。 頭や肩に薄く積もって溶けた冷ややかな雪の感触。 白い息。夜の闇。 書き上げていた小説は、クボさんとミカミネさんの一件ですっかり頭から抜けてしまい結局お店に置いたまま、あの火事で焼けてしまった。 コラフを最後に出て帰りに立ち寄ったデビさんのコンビニで 一個だけ残っていた大きな豚まん

27

おつかれさまぁー。 ノックをすることなく事務所へ入ってきた女性は、溜息の入り混じった声で挨拶をする。 背後の気配に反射的に顔を向けると、先に休憩を始めていた陽菜は、テーブル上におもむろに広げていた荷物を手早く目の前にまとめた。 おふかれふぁまれふ・・・ 残り一口にしては大きすぎたサンドイッチを咄嗟に口へ詰め込んだために、不恰好な挨拶を返してしまった。 両腕をぶらぶらとさせて気だるげに歩く彼女は陽菜の隣のパイプ椅子を引きずり寄せ、乱暴な音を立てながらドカッと腰を降ろした。 着

26

「昔から、、姉さんは俺達みたいな出来損ないを気にかけてくれていたんです。」 大男は喉の奥からしぼりだすような声で、低く丁寧な速度で言った。 「…ミカミネ!!」 途端に黙っていたクボが口を開き、目を見開いて隣の大男を睨み付ける。 突飛な声に陽菜とタチバナくんは一瞬体を強張らせた。 ミカミネ。。男はそういう名前らしかった。 彼は一度軽くクボと目を合わせてから小さく頭を下げて見せた。 鉄砲を構えられて命乞いをする熊みたいな潤んだ目をしていた。 そこからなにかの意思を汲み取ったのか、

25

陽菜は雪のついた前髪を指先で払った。 「クボさん、なんでここにいるんだろう。」 路地での予想外の状況に思わず口から言葉がこぼれる。 陽菜にとってコラフの前でクボを見かける状況というのは実に珍しかった。仕事の時以外、つまりここでは陽菜の様に何かしら別の用があった場合、クボはコラフにプライベートで立ち寄る事は一度も無かったからだ。 自らがシフトに組まれていない時に野暮で立ち寄ったという話も店長やタチバナ君から聴いた事が無かったし、陽菜自身が目にした事が無いだけかもしれないが、いず

24

「広瀬通り、広瀬通り。お出口は、右側です。」 座席から腰をあげた陽菜はポケットの中の切符を確認し、列車を後にした。 地下鉄の駅構内は、外から持ち込まれた雪のせいでぐったりとした湿り気を帯びていた。 往来する人々の靴底から溶けた雪がそこら中でワックスを撒いたように通路一面で光沢を放っている。 小走りに陽菜の横をすり抜けて行った男性は足元をすくわれ転びそうになっている。 スケートリンクを歩く様な慎重な歩みで足元を気遣いながら進む陽菜は、地上への階段を一段ずつ踏みしめて上り、夜の

23

陽菜はコラフの店長への電話を切って身支度を整えた後で部屋を出た。 エアコンで整えられた心地よい空間から一転し肌に刺さるような寒さと雪景色が目の前に広がる。ほんの数分前まで黒く光っていたアスファルトの路面も一面に白い絨毯が敷かれ殆ど別世界の様に陽菜の目には映った。月の光を吸い込んだ雪が蛍の様な柔らかな明るさを寒さで硬くなった中空に向け放っている。 ほとんど口元まで覆っていたマフラーの具合を確かめビニール傘を開くと、陽菜は雪道を駅に向けて歩き出した。 敷地から出る直前、何気なくア

22

しん、と静まった月の無い夜。雪は降り続いていた。 東北大学の校舎の窓には、点字みたいにぽつぽつと疎らに灯りが点っている。 長い旅を終えた人間が古巣に戻るときに見る家の灯りには、必ずいつでも迎え入れてくれるような穏やかな温もりが窓の明かりからなんとなく感じられるが、大学の窓達にはそうした温もりの様なものは感じられず、きっとその明かりの点いた部屋の中では何かしらのやらなければならないことに追われている講師や学生が居るからなのだろう。 顔に吹き付ける冷気と澄んだ闇のせいだろうか、じ

21

12月。 アルバイトを終えて帰宅した陽菜は、22度に設定したエアコンの風が流れる室内で今夜もノートに向かっていた。 壊れた電動ハブラシみたいな鈍い音が時折エアコンから鳴り響いている。 雑音の原因は不明だが、この部屋のエアコンは冬場に限って妙な排気音を出すのだ。 実際にはもう馴れたものなのだが、夜の静寂の中では際立って聴こえる雑音は集中力の妨げになる。陽菜は今夜もイヤホンを耳にペンを執っていた。 ノートに綴られたもののうち既にもう幾つかの小説は完成していて、短編集という形に落ち

20

二週間後、中崎からのメッセージで地元新聞の朝刊の中に松島のGOISHIについての掲載がある事を知った陽菜は、普段買わない新聞の紙面を部屋で眺めていた。 コラフでのバイトから帰宅して中崎からそのメッセージを受けた時は既に夜も遅く、新聞はまだ残っているのかという不安を抱えながらコンビニに走ったところ、間一髪それらを撤去しようとしていたデビと店の前で鉢合わせた。 日本語能力試験や学校の授業でコンビニの夜勤を休んでいたデビとはしばらくぶりの再会ではあったが、彼は陽菜の顔をちゃんと覚え

19

陽菜を前にして突然喜びだしたサメ頭の女性に、中崎らは目を丸くしていた。 驚いた様子の彼らに陽菜は事情を説明すると、偶然の再会を驚かれたが、それは陽菜自身も同じことだった。 こんなことが本当にあるんだ、という感情が渦の様に頭の中をかき回している。 水無月は神秘的な光景でも見るような目を二人に向けながら、今回の再会と福浦島が縁結びに所縁がある事を引き合いにだし、この出来事はまるで映画のワンシーンのようだと微笑みながら話した。 丸子ちゃんはしばらく大袈裟にはしゃぎながら陽菜に寄り添

18

携帯の画面を見つめながらタチバナくんは海沿いの道を歩いていた。 今日はタチバナくんにとって待ちに待った日だ。 登録者2000人をもつ女性配信者《サメ肌のはっちゃん》 彼女と今日、もしかしたら直接会えるかもしれないからだ。 色が落ちかけていた髪の毛は気合いを入れて染め直してきたし、駅前で買った大人っぽいジャケットとシャツはおろしたてだ。鼻毛はもちろん眉毛だってきっちり整えてきた。 肩から下げた移動に特化したサイドバックには充電切れを起さないようにモバイルバッテリーをしっかりと用

17

ゴリランジェロこと中崎重栄からの折り返しの電話はそれから二、三週間後の夜にかかってきた。 話によると水無月コウタロウとの交流会は、本人の希望で市内のイベントホールや商業施設などではなく意外にも市の外で開催されることとなった。 個人的に著名な小説家が何かイベントを開催するとなれば、各土地土地の中でも際立って来場者の多い商業施設内などが興行的にも主流だと思っていたし、例え内々での会にしても駅前などに隣接する宿泊施設の大広間を貸しきり、テレビなどで見る如何にもな雰囲気で催すものだと

16

9月。猛暑の後の急な肌寒さが押し寄せた晩、その電話はかかってきた。 音楽を聴いていた陽菜は携帯の呼び出し音に気付かず、微細な振動をかろうじて感じることで咄嗟にイヤホンを外した。 自室の丸テーブルにノートを広げていた陽菜は電話をかけてきた番号未登録の相手を液晶越しに思案しながら、壊れ物を扱うようにゆっくりと通話ボタンを押した。 「はい、もしもし、露木ですが。」 しまった。相手が誰か分からないという状況なのに、変に気を使った為か自分の苗字を堂々と名乗ってしまった。が、もう遅い。