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陽菜を前にして突然喜びだしたサメ頭の女性に、中崎らは目を丸くしていた。
驚いた様子の彼らに陽菜は事情を説明すると、偶然の再会を驚かれたが、それは陽菜自身も同じことだった。
こんなことが本当にあるんだ、という感情が渦の様に頭の中をかき回している。
水無月は神秘的な光景でも見るような目を二人に向けながら、今回の再会と福浦島が縁結びに所縁がある事を引き合いにだし、この出来事はまるで映画のワンシーンのようだと微笑みながら話した。
丸子ちゃんはしばらく大袈裟にはしゃぎながら陽菜に寄り添うと、まるで愛犬と戯れるように何度も抱き締めてきた。
呉石達へかけた迷惑のことなどもうとっくに忘れているようだ。
同窓会などのように予定されている再会ならまだしも、今回の再会は様々な事象が重なったことから陽菜の頭は混乱していて、どこか再会の実感をもてずに他人事のように感じていた。
気になることがあまりにも多すぎるのだ。
「露木さん、あとは我々だけで済ませますから今日はもう帰ってもいいですよ。おともだちと積もる話もあるでしょうし。」
中崎は二人の様子を見て気を使ったのか陽菜達のそばへ近寄ると言葉をかけた。かなり強引な展開に一瞬困惑したような顔をしていたものの、優しく笑みを作りながら話す顔は二人の再会を自分のことのように喜んでいるようにも見えた。
「中崎さんすみません。ありがとうございます。」
陽菜は頭を下げた。
「あとは私が話をしておきますから。」
中崎は顔をあげた陽菜の肩を叩くと水無月らの方へ戻っていった。
水無月はなんとなく状況を察したのか中崎から話を聴く前に手を振って二人を送り出そうとしている。
北多川と呉石は微笑んでいるような、ちょっと呆れた顔をしていた。
陽菜は改めて彼らに頭を下げ挨拶をすると丸子ちゃんと共に店を後にした。
丸子ちゃんはひとしきり喜んだ事に満足したのか、携帯電話の画面を食い入るように見つめながらなにやら作業を始めたようだった。
よほど携帯を頻繁に使用しているのか操作する手の動きは陽菜よりも遥かに早く、まるで何か手に職をつけた人の動きでも見ている様な気分だ。
冷たい潮風で少し赤らんだ横顔にはどことなく昔の面影が見えるような気もするが、やっぱり陽菜はなんだか本当にこの子があの丸子ちゃんなのか半信半疑だった。

福浦橋の手前まで来た二人の前に人だかりができている。
陽菜と肩を並べて歩いていた丸子ちゃんは思い出したように声をあげると、携帯電話をしまってその輪の方に走り出していった。
後を追って見てみると、どうやら先程GOISHIの前に集まっていた丸子ちゃんのファン達のようだ。サメの被り物が片手にぶらさがっているのが見える。
走り寄る丸子ちゃんに気づいた彼らは笑顔を作ると、颯爽と握手を求めた。
呉石から店の前で注意され、警察を呼ぶと声をあげられたためか、それとも単に無関係な野次馬が多かったのか分からないが、さっき店の前で見た時よりもファンの数が減っているように陽菜には思えた。
横から流れてきた会話を聴いていると、橋の前に残って待っていた彼ら数十名は仙台から来ていた丸子ちゃんファンの小さいコミュニティーとのことで、他の連中はさっさと帰ったとの事だった。
生配信の登録者の数が2000人というのは数字だけで見れば相当なものに感じていたが、実際に現地にまで会いに来る熱心なファンというのは自身のプライバシーを憂慮することもあって限りなく少ないようだ。
丸子ちゃんは別にその事を気にする様でもなく、日常茶飯事とでもいうように素っ気無く聞き流すと彼らと別な話題で盛り上がっている。
先ほどのように他人の敷地内で熱狂的に喜んだりしたかと思えば、極端に冷静になって急に居なくなってしまったり、まるでオセロの裏表みたいに感情の変化が顕著な彼らの感覚が、陽菜にはいまいちよく分からなかった。
ひとしきり会話を楽しんだ丸子ちゃんがこちらに戻ってきた。

「陽菜ちゃん今夜ってなにか予定ある?」
丸子ちゃんはサメの被り物を外したいのか顎の下をマジックテープをまさぐりながら話しかけた。
「今日は、なにもないよ、仕事も休みだから、、」
サメの被り物を外してダークブラウンの髪をなびかせた丸子ちゃんから華々しい香りがこちらに流れてくる。一仕事を終えた後の様な女性らしい所作。なんだかめっちゃ都会的だ。と陽菜は思う。
「え、ほんとに!じゃあ今夜泊まってもいい?」
丸子ちゃんはサメの被り物をぶんぶん振り回しながら言った。
セミロングのボブヘアーが風に舞う綿帽子みたいにふわふわと揺れている。
「えっ、、きょ、今日? 丸子ちゃん、それはちょっと急すぎるよ。」
「いいじゃん、久々に二人だけで色々話したいし。仙台駅に荷物預けてきたから一緒に帰ろうよ」
丸子ちゃんは陽菜が住んでいる場所もろくに聞こうとしないで話を進めている。宿泊地は決めてこなかったのだろうか。
「うーん、、でも、部屋汚いよ、食べ物もないし、、」
早起きの反動で色々と投げっぱなしのままにしてきた部屋の光景と、何も入っていない空の冷蔵庫を思い浮かべ陽菜は言った。
「いいよいいよ、大丈夫。わたしそういうの気にしないから。食べ物も近くでなにか買ってけばいいよ。」
丸子ちゃんはそう言うと再び携帯を取りだし、陽菜に向けてサメの被り物を投げ渡した。
突然のことに驚いた陽菜は手を伸ばして受け取る仕草を取ったが、素早い反応の甲斐なくサメは陽菜の手の間をすり抜け、福浦島の砂地の上に着地した。
砂だらけのサメに駆け寄り振り替えると、丸子ちゃんは携帯の画面を見つめながら福浦橋をさっさと渡り始めている。
陽菜は無意識に溜息がこぼれた。
高校生の時はさほど気にはならなかったが、やはり丸子ちゃんも陽菜を振り回すタイプの人間らしい。
思い返せば丸子ちゃんが急に居なくなったあの曇りの日も、今みたいに私は亀の信之助と一緒に教室に取り残されていた。
あの時はどうすることもできなくて、ただ受け入れることしかできなかった。だけど今の私は、丸子ちゃんを追いかけることができる。
つぶらな瞳のサメの被り物を拾い上げ砂を払うと、陽菜は丸子ちゃんの後を走って追いかけた。


「うん、そう。今日さっき決めたの。一泊だけだから」
14時発仙台方面へ向かう列車内で、丸子ちゃんは携帯越しの相手に声をあげていた。
「大丈夫だって、心配しないで。明日の朝イチの電車で帰るから。お土産もあるから、ね。今電車だからまた連絡する。」
そう言って電話を切った丸子ちゃんは浅いため息をついて鰐革のバックに携帯を投げ入れた。
午後の暖かな日光が差し込む窓際席に座っていた陽菜は、心配そうな顔で向かいの席に座る丸子ちゃんを見つめた。
「大丈夫?」
陽菜の言葉に丸子ちゃんは顔を上げると、ぎこちなく微笑んだ。
「彼氏がね。すごい心配性なの。」
自嘲するように言う。
「丸子ちゃん、、彼氏、いるんだね、、」
意外、と言うような言葉が咄嗟に陽菜の口からこぼれそうになる。
丸子ちゃんはバッグに投げ入れたスマホを再び取り出すと、しばらく何かを操作して画面を陽菜へ向けた。
液晶画面には、植物園のようなビニールシートに一面を囲まれた空間で、一本の樹木を挟んで立つ丸子ちゃんと一人の男性が映っている画像が表示されていた。
「これ、彼氏。」
画像を見つめていた陽菜へ丸子ちゃんは言った。
彼氏、、と陽菜は思う。
丈の長い白衣を身に纏った長身の男性は、どう見ても丸子ちゃんよりも年上でいて、正直お父さんと娘という印象を写真から見受けていたからだ。
「えっ、、丸子ちゃん、、この人、何歳なの?」
「47、、だったかな。。なんで?」
丸子ちゃんからの質問返しに陽菜は口ごもる。
聞き返されてみれば別にそれ以上の疑問など何も無かったからだ。
年の差がある事に全く関心がないという丸子ちゃんの落ちついた反応。
こちらに向けられた不思議そうな視線と声が、年齢的な距離を気にした自分を幼く感じさせ、浅はかな好奇心からの質問をした事が陽菜は急に恥ずかしくなった。
あどけなさが残る再会の後だからか、丸子ちゃんがふいに見せた態度が強烈に大人っぽく感じられたのだ。
「ううん、なんでもない。。真面目そうな人だね。付き合って長いの?」
陽菜はゆっくりと取り繕うように言った。
「んー。一年くらいかなあ。東京で知り合ってさ。陽菜ちゃんの言うとおり真面目な人。。くそ真面目。」
陽菜の前に差し出した携帯を再び手元に戻した丸子ちゃんは、また何か操作をしてから改めて陽菜へ画面を見せた。

遥華ちゃんはいつも急過ぎるよ。
次は前もって相談してから決めよう。
その場その場での感情的な選択は
余計なリスクの原因になりかねないから。
電車を降りたら連絡してね。



「こんな文章送ってきてさ。私の事心配してくれる気持ちは分かるけど、堅苦しいし、ちょっと子供扱いされてる気分。」
丸子ちゃんはそう言って、またため息をついた。
「はるか、、ちゃん。」
メッセージの内容について何か言葉を探す陽菜だったが、冒頭の見慣れない名前が気になり意図せず口から言葉が漏れる。
「あーそうそう。それそれ。わたしの事も"ちゃん"付けて呼ぶのもなんか嫌なんだよね。付き合ってからずっとなんだ。」
丸子ちゃんの言葉をよそに、陽菜は過ぎ去りし高校時代を回想していた。

「香川から来ました。望月遥華です。」

桜、揺れるカーテン。黒板の文字。

モチヅキ、ハルカ。

分厚い丸眼鏡をかけたショートカットの少女は、そう名乗った。
秘密の場所に隠されたスイッチを押されたように、回想する陽菜の頭には高校時代の光景が次々に湧いて溢れてきた。
そうだ。。そうだった。。
思い出したのは丸子ちゃんの本当の名前だ。
それは、曖昧だった記憶の通り"丸子"とは全然関係がない名前だった。
サメ肌のはっちゃん。遥華。だから、はっちゃんか。
再会から陽菜の中にずっと存在していたひとつの引っ掛かりが無くなった事を合図としたように、列車内には発車を告げるアナウンスが流れた。
油圧式の自動ドアが音をたてて閉まると、列車は重い腰を起こすように軋みながら慎重に動き出した。
「丸子ちゃんって、、遥華ちゃんのあだ名だったね。」
「ん?」
「わたし、、高校の時から呼び馴れてたからその名前でずっと呼んでた」
丸子ちゃんは、陽菜の言葉に少し微笑むだけだった。
彼女にとっては、もしかしたら自分の名前もあまり重要なものではないのかもしれない。
なんだ、そんなことか、とでも言いたげな、陽菜は丸子ちゃんの笑みからそんなことを感じていた。
それからスマホをバッグにしまい込み席へ座り直した丸子ちゃんは、今の自分の生きている環境について色々な事を陽菜に話し出した。
高校時代、家庭の事情で引っ越しが急に決まったこと。
転入した高校を卒業した後、本格的に爬虫類研究に取り組み始めたこと。
配信業は自分に自信をつけたくて始めたこと。(丸子ちゃんはそう言っていたが、直前に話された元カレを見返す事が本当の原因だと陽菜は思っている)
松島から仙台へと戻る列車の中で、陽菜は高校生から大人へと変化していく一人の女性の人生模様を見聴きしていた。
駅から駅へ、二人を運ぶ列車はさながらタイムマシーンのようだった。
列車が前に進むのと同時に丸子ちゃんは陽菜の中で望月遥華へと成長してゆく。
豊かな表情を交えながら話す丸子ちゃんは、陽菜が仙台にやって来て過ごした同じ年月の何倍も濃い時間を、東京で過ごしてきたことを感じさせた。
写真を見せてもらった年上の彼氏は、都の大学で依頼講義などをしている植物学者らしい。
仲睦まじく見えたツーショット写真は、二人で撮ろうと意図したものではなく、立派に成長した幸福の木を記念に撮影したものだと笑って話された。
当時施設のビニールハウスの中で彼と会話していた丸子ちゃんは、成長が著しい樹木の画像記録に付き合わされた。が、身長が高かった彼では画像として見映えが悪く、小柄な丸子ちゃんは木の全長を計る対比物としてピッタリらしかった。
当時から研究に熱心な彼にとって異性である丸子ちゃんは、樹木の前に在っては単なる物差し代わりだったというわけだ。
人の心は不思議なもので、丸子ちゃんは彼のそういった研究者らしい熱心な姿に折々違和感を感じたりもしていたものの、それが徐々に異性として惹かれていったと話してくれた。
陽菜には共感も含めてまだよくわからない話だったが、丸子ちゃん曰く恋の始まりというのは大体そういうものらしい。
そんな丸子ちゃんは、今都内で爬虫類を保護する社団法人組合に所属しているとのことだった。
シャダンホウジンクミアイ。なんかかっこいい。
トカゲを象徴としたデザインのシンボルマークが押された名刺には、丸子ちゃんの本名である望月遥華の表記と西日本支部所属という小さな文字が名前の上に綴られていた。
陽菜は手渡された名刺をしばらく見つめる。
「丸子ちゃん、すごいね。昔から亀とかカエルとか好きだったもんね。」
陽菜は高校時代の丸子ちゃんの姿を目の前の女性にダブらせた。
見た目こそすごく変わったけど、丸子ちゃんは丸子ちゃんのまま未だに爬虫類に夢中みたいだ。
「今は爬虫類をペットで買う人も普通になって、数も増えてるじゃん?皆がいい飼い主なら平和なんだけど、そうもいかなくて。色々問題、課題、いっぱいあるんだ。上の方で規制とか作るやつらは現場の事なんて何も知らないでルール作るから、結構大変なの。」
丸子ちゃんは悩ましげな顔で言った。
「飼い主」という言葉に、陽菜は高校時代に丸子ちゃんに置いていかれた亀の信之助を再び思い出した。
半ば強引に世話を押し付けられた当時の話をしようとも思ったが、今の丸子ちゃんはあの出来事を払拭するために活動しているような気がして陽菜は考えを改めた。

「ところで、陽菜ちゃんは今仙台でなにしてるの?」
丸子ちゃんの質問に陽菜は現実へと引き戻される。
列車内に次の到着駅を伝えるアナウンスが流れた。

今、わたしが仙台でしていること。。
なにをしているんだろう。
自分自身、明確な目的があってこの土地にやってきたわけじゃない事を丸子ちゃんに説明するのが陽菜には憚られた。
理由が無い訳じゃない。好きな小説家への憧れだ。
だけど、高校時代から今まで真っ直ぐに爬虫類と向き合い、恋愛や社会貢献をして生きてきた丸子ちゃんの話を聴いて、自分自身の今までがなんだかひどく茫漠で情けないものに感じたのだ。
なんの目標も目的もなく、場所に対する憧れだけ。。
わたし、なにしてるんだろう。。
当時は図鑑ばかり眺めていた丸子ちゃんのことを変な人だなんて思ったりもした。今だってサメの被り物をした配信で他人の庭に侵入して騒ぎを起こしたりして、、。
でも、大きな眼鏡をかけていたあの頃の丸子ちゃんは、今、わたしよりずっとずっとちゃんとした信念を持った望月遥華という大人の女性になっていた。
陽菜は急に丸子ちゃんが眩しく感じて、胸元へ向けていた目を逸らした。
「そのノートなに?」
傍らのトートバックからはみ出していたノートに気付いた丸子ちゃんは、質問に答えられないでいる陽菜をそっちのけでそのノートを手に取った。反動でトートバックのバランスが崩れる。
「あっ、ちょ、ちょっとまって!」
丸子ちゃんは陽菜の表情を見て何か悟ったのか、にゅーんと口元を上げると飛び掛る陽菜から体を逸らし、顔の上に持っていったノートをぱらぱらとめくりだした。付箋の様に張り付けていた取材メモ達が蛇腹のように丸子ちゃんの顔目掛けて伸びている。
「丸子ちゃんだめだって!」
「なに、いいじゃん」
陽菜が焦って席を立ち上がった衝撃でバランスを崩していたトートバックは倒れ、中身が車内へどっと零れ落ちてしまった。
ガチャンとひとつ固い音が鳴り、二人は同時に床を見る。
筆箱から顔を出したペンや小物に混じって一際目立つクボのカセットプレイヤーが口を開けていた。列車の揺れでペンたちは方々へ転がってゆく。
「あ!!やっばい、どうしよう」
焦った陽菜は床に落ちたプレイヤーを急いで手に取るとへこみやボタンが取れていないかどうかを確かめた。幸い抜け落ちたりはしていないようだったが、元々本体がかなり古いものなので今付いたのか分からない傷が多く、細かく確かめようとするとかえって不安になるばかりだった。
丸子ちゃんも自分の行動が原因となった事を気にしたのか、咄嗟に陽菜のバックから隣の席にまで転がっていったペンを追いかけて拾い集めている。
陽菜達の座っていた座席の近くには他の乗客がいないのが幸いだった。
丸子ちゃんはこれで全部かなぁと小声で漏らしながら戻ってきた。
「ん。陽菜ちゃんなにそれ」
大事そうに両手でプレイヤーを触っている陽菜を後ろから覗き込んだ丸子ちゃんが言った。陽菜にとって珍しいと感じるこのプレイヤーは勿論丸子ちゃんにとっても珍しいものに違いなかった。
陽菜はなんとなく詫びる様にプレイヤーの表面を優しく撫でると、目の前に転がっていた消しゴムを拾い上げる。
「私、今仙台の喫茶店でバイトしてるんだけどね、そこにお客さんで歌を歌ってる人が来てて、その人に音源をもらったんだけどさ。」
こんな小さな消しゴムあったっけ。。陽菜は筆箱に形の違う三つの消しゴムと丸子ちゃんから受け取った触り心地の異なるペンをしまい込むとトートバックの中へ戻した。
改めて座席に座りなおし、開いたままだったクボのプレイヤーからテープを取り出して丸子ちゃんへ見せた。
「ほら、これ。カセットテープなんだ。今時めずらしくない?まだ売られてるんだね。」
丸子ちゃんは陽菜のテープをふんだくると、おぉ。。と文字通り研究者の様な難しい顔をして顔の前にかざしてみている。
自分自身もカセットテープを見た時はちょっと驚いて凝視してしまったが、丸子ちゃんのちょっと大袈裟な所作に陽菜は微笑む。
「それを聴けるプレイヤーっていうの私持って無くて、そしたらバイト先の先輩で変な人いるんだけど、、その人が貸してくれたの。このプレイヤー。」
変な人とはなんだ。新人。失敬な。陽菜の脳内でクボの叱責が聴こえる。
「すごいなあ。。。」
「え?」
丸子ちゃんは顕微鏡でも覗く様に顔の前にカセットテープを近づけ、列車の窓から差し込む日の光を使って透明な中身を観察していた。
「色んな人の工夫とか努力が見える気がするの。この小さなテープの中に。」
陽菜は丸子ちゃんを見つめる。
「仕事してるとさ、何をするにもデータとか実績とか利便性を重視して効率的な方を選んで動くようになっちゃう。てか、本当は自分で選んでなくて社会がそういう風になっているからただ身を任せてるだけかもしんないけど。」
列車はまもなく東仙台へ到着する旨のアナウンスを流している。
「そういう毎日の中にいるとね、高校生の時に直接生き物に触れていた時の喜びとかザラザラした皮膚の感触とか温もりとかがなんだかすごくどうでもいいものみたいに感じてきちゃう。」
丸子ちゃんはそう言ってカセットを顔の前から離すと陽菜へ向き直った。
「うん、でも、私はやっぱこんな風に手に触れて、目に見えるものに魅力を感じる。陽菜ちゃん、これちょっと動かしてみてよ。」
丸子ちゃんは急ににこにこしながら陽菜へテープを差し出した。
受け取ったカセットをプレイヤーにセットし、フタを閉める。カチン。という金属が噛み合う音がする。
「丸子ちゃん隣に来て。」
陽菜はそう言うとプレイヤーから伸びたイヤホンの片方を丸子ちゃんへ向ける。丸子ちゃんはへいへいと楽しそうにそれを受け取って陽菜の隣へ腰掛けた。
プレイヤーの再生ボタンを押す。本体の小窓から中に納まっているカセットテープが見える。再生のスイッチによって命を吹き込まれたようにテープの両方のビスが均等な速度で回転し始めた。
丸子ちゃんは小さくおぉ。とこぼして陽菜の手の中で動くその小さな光景を微笑みながら見つめると、なんか可愛いと言って指先で突っついた。まるで信之介をからかっていた高校生の時みたいだ。イヤホンの奥からスーという空気音の様なものがしばらく聴こえ、やがて暖かなギターの音色が二人の耳に流れてきた。りさの新曲「タンブルウィード(仮)」だ。
並んで腰掛けて一つの時を共有する二人は年齢や立場や環境は変われど、高校時代のあの日のままだった。陽菜はりさの歌声を聴きながら丸子ちゃんへ顔を向ける。丸子ちゃんもそれに気付いて顔を向けると微笑んだ。
列車は間もなく仙台へ到着するアナウンスを流していた。


自費出版の経費などを考えています。