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それ子供の命奪います。



子育ては、過酷極まりないハードワーク。


子供が成長して大きくなったとて、子育てがラクになることはない。

まず、赤ちゃんのうちはほぼ全介護状態。そこに弟や妹が生まれ、さらに弟や妹が生まれたりすると、もう自分の時間どころかトイレも自由に行けない、お風呂もご飯を食べる時間もない、睡眠すらもおびやかされる毎日。

母たちが意識朦朧の中、自身の生命維持すらもあやぶまれる毎日をなんとか乗り越えられるのは(乗り越えてはいないかもしれない、頭はストレスと不安と発狂している)、子供達のこの世のものとは思えない「愛らしさ」その1点に尽きる。かわいすぎなんだよね。
てか、この世のものとは思えないかわいさ。この子達の命を守ってるとかそんな高尚な気持ちは全く持ち合わせておらず、ただかわいい、愛らしいこの人たちを抱えて毎日をこなしてる、そんな感じ。

そしてこの頃の記憶はない。
人間の記憶は脳みその海馬というところに収められるそうだ。が、基本的にはしっかり睡眠をとらないと記憶は消去されてしまう。
この時期の母親たちがまともな睡眠をとれてるとは思えない。6時間寝続けることはこの時期の母親たちにとっては、あこがれに近い状況である。
2〜3日とにかく好きなだけ寝ることが、この頃の私の夢だった。いまだ叶っていない😑

やがて子供も成長し、介護状態を脱し歩けるようになり身の回りのことができるようになってくる。小学校、中学校と成長するにつれ物理的な忙しさは和らぐ。

しかし一方で、子供の未来は具体的に見え始めてくる。それについての悩みや不安、選択が増える。小さかった頃の悩みとはまったくの別物。
子供には子供の意見があること、親の見えていることと子供の見えていることは違うこと、要素が多すぎて悩みのレベル感が違ってくる。

子供がいくつになっても子育てがラクになることはない。

先にも述べた通り、子供の年齢がまだまだ小さい頃は特に、自分の生命をおびやかされるほど過酷な子育てが母親たちの思考回路を麻痺させ、子供を否定し叱責し続けたり、怒鳴ったり、果ては叩いたり、自分自身の感情コントロールができないほどに追い詰められる。
そして1日の終わりに子供達の寝顔を見て激しい後悔と、自分の不甲斐なさ、未熟さに自信を無くしていく。

そうやって世の母たちは戦争のような毎日を過ごしている中で、ホッとする?癒しの時間、情報収集としてSNSを活用する。

なんでもない投稿が多い中、時折、自分をなぐさめてくれる投稿を見つけてはつかの間、癒される。
それだけなら良いのだが、ああ、私はこのままで良いんだという勘違いもしてしまいそうな投稿が多いことに生意気ながら懸念する。

子育てが過酷なのはどうしようもない事実。どんなに過酷な中でも子供がかわいいということも事実。
しかし、だからといって子供を叱り続けたり怒鳴ったり叩いたりすることは避けなければいけないことであり、そこを仕方ないよね、でも可愛いと思っているし、毎日あなたはがんばって育ててるんだから大丈夫だよ!と片付けてしまうのは違う。

その母たちのいっときの安らぎが、共感ドラッグが、子供の人生を変えてしまうことを、その未熟な発信者たちは知らない。
子育て系のインフルエンサーで思春期を超えた子供を育てているような人はほとんど見かけない。

今やっていることの結果は小学校にあがってから、特に思春期以降に出てくる。そこから明暗はわかれ、それこそ間違ってしまっていた場合、取りもどすには親の根気が必要だ。

子供が小さい頃、子供に甘えてしまった親が思春期を超えた自我を持ったデカくなり、可愛げもうすれてしまった子供にたいして忍耐を持って接する事ができるだろうか?
はなはだ疑問に思う。

しかし、そんな未来につながるとはつゆ知らず、安心を与えてくれる「仕方ないよね!」系の投稿はいいね!やフォローが集まりやすい。共感ドラッグはユーザーにも投稿者にも甘美だ。

仕方ないよね、で、すませてはいけない理由を自戒も込めて書いてみようと思う。(私のやってることはすべて自戒しかないのだけど‥😅)

※つづきは独断と偏見の塊になっておりますので課金にてクローズドとさせてもらいます。


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