倒立する塔の殺人(レビュー/読書感想文)
倒立する塔の殺人(皆川博子)
を読みました。2007年の作。
皆川博子さんは1929年(1930年とも)の生まれだそうです。まもなく御年100 歳を迎えられるということになりますが、今なお旺盛な創作活動をされています。1986年には、『恋紅』で直木賞を受賞。手掛ける主なジャンルとしては幻想文学のイメージが先行するかもしれませんが、生み出された作品群のなかには本格ミステリの傑作も多くあります。
戦前生まれで今も本格ミステリのフィールドに足を置く作家さんというと、ほかには『完全恋愛』(2009年)、『たかが殺人じゃないか』(2020年)など多数の著作で知られる辻真先さん(1932年生)が浮かぶくらいでしょうか。
皆川博子さんの作品をそれほどたくさん読んでいるとは言えない私ですが、ナチスドイツによる不老不死の研究施設に端を発するめくるめく幻想譚『死の泉』(1997年)や、18世紀ロンドンを舞台にバラバラ殺人事件に向き合う解剖医を描く『開かせていただき光栄です』(2011年)は今も印象に残っています。いずれも皆川さんの代表作に数えられます。
さて、『倒立する塔の殺人』です。
本作を手に取ったのは、紀伊國屋書店さんの復刊企画がきっかけです。現在、対象店舗限定で年内先行発売中です。
(上記リンク記事参照)
少し前に投稿した記事では飛鳥部勝則さんの復刊企画を紹介しましたが、書店さん主導で「紹介したい本」の復刊を版元に働きかけるという流れはとても素敵だなと思っています。
ちなみに今回の『倒立する塔の殺人』復刊企画にあわせて発表された書店員さんの推薦文はこちら。
さすがプロの書店員さん。お見事な惹句。短いフレーズにもかかわらず強く興味を引き立てられます。見習いたいセンスです。
『倒立する塔の殺人』は、大きくふたつのパートで構成されています。ひとつは、戦中戦後、過酷な時代のミッションスクールに通う少女たちの交流劇。もうひとつは複数の少女たちの手で書き継がれる小説が作中作として挿し込まれるパートです。この作中作のタイトルが「倒立する塔の殺人」。日本のミッションスクールに派遣されてきた外国人教師が不審死を遂げた前任者の「倒立」に狂う過去を追うという筋書きです。
そして、「倒立する塔の殺人」の書き手のひとりである少女が、空襲警報下、いるはずのない場所――チャペルにいたために空爆の犠牲になったところから物語は大きく動き始めます。
誰のために何のために「倒立する塔の殺人」は書き継がれているのか。作中作「倒立する塔の殺人」のなかで描かれる「倒立」現象に狂わされる人物らの謎とは――。
本作では繰り返し「倒立」という言葉が出現します。もちろんこれは作中作のタイトルの一部であり、また、ミステリ的な謎のモチーフでもあるわけですが、同時に本作のテーマにも密接に関わっているようです。
反発。反逆。叛逆。翻意。「倒立」はこれらを包含したモチーフであるようです。それは人間であれば異種はもちろん同種にも向く感情であり、終戦を挟んで劇的に転換(倒立)した日本という国家の価値観に翻弄された少女たちの生き方をも表します。
戦時の少女たちの描写はまぎれもなくその時代を生きた皆川さんの筆だからこその生身の説得力を持つわけですが、その極上のリアリティのなかに、ときに純粋文学に反する(倒立する)意味でも用いられる機構的――本格ミステリ的な趣向をあえて織り込む創作姿勢に私は名状しがたい作家の信念のようなものを感じるわけです。
山田正紀さんは、大作『ミステリ・オペラ〜宿命城殺人事件』において、「この世には探偵小説でしか語れない真実といふものがあるのも、また事実であるんだぜ」という台詞をとあるキャラクターに語らせましたが、さて、探偵小説――今日でいうミステリーでしか語れない真実とは何なのか。ほんとうにそんなものがあるのか。私にはわかりません。
真偽はさておき、そういう考えもあるのだと頭の片隅にとどめおき、「まぁ、楽しく読めたらそれでいいじゃん」と次の書を手に取る私です。