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【結婚と恋愛】自立だけだと上手くいかない共生する難しさ


こんにちは凪/なぎ です

有難い事に

最近は以前からやっていたデータ形式の取り組から
電話を介した本格的な占いも複数の方がお声をかけて下さるようになってきました。



希望者の方々の胸中を打ち明けて貰いながら1人ずつ見ていますが、やはり悩みも千差万別。


以前の様なファイル形式の公開よりも

コラムのような執筆傾向の用が
個人としての人間性も垣間見えるだけでなく
読み手の皆さんも円滑に読んで頂けるのではないかと思い


今回このような形で文面にて記して行こうと思います。

(頂いたお悩みや問題関しての掲載や公開は勿論許諾を得た上で行っています)


自立だけでも上手くいかない女性心と上の空



恋愛や結婚に関してありがちな悩みではありますが、
自立し過ぎるのも点で上手くいかない傾向が高いよ。

と言うのが本日の主題です。

とりわけ相談者の方も女性の方や歳を重ねていらっしゃる方のお悩みも少なくありませんが経験則としても傾向面としても

経済的/社会的に自立していらっしゃる方も勿論多いです。

自身で生活基盤を整え穏やかな生活や暮らしを営む…でも中々恋愛が上手くかない。結婚まで漕ぎつかない。

そんな似たような悩みは少なくありません

総じて言えることが自立心と言いますが

一人で何でも解決しようとする能力や意識が高すぎる方が多いんですね。


勿論私たちは自身で悩みや苦難と各々が向き合い乗り越えて行かなければなりません。
それは幼少期から生涯変わる事のない普遍的な事実です。

ですがパートナーと人生を歩む、共生するというフェーズになる場合

各々の楽しさや幸せだけでなく苦しみや苦悩を一緒に背負いながら、或いは向き合いながら生きていく上で

非常に大きな弊害となる訳です。


男性の庇護欲、護りたいと思う瞬間


男性脳と女性脳とはよく言ったものですが、一般的に恋愛や価値観も含めて主に会話単位で明確な違いがあるとは
よく聴く話ですよね。


しかしながらパートナーとして関係性を対等に育んで行く場合、相手側の本能的に求める事に関しても一定の理解度があると円滑に関係性を創っていきやすいです。

というのも男性には一般的に、庇護欲があります。
全ての男性に共通する訳ではありませんが

自立した男性であればあるほど、将来を見据える人であればある程

自分が(男が)愛する女性を護りたい
俺が大事にしたい
俺がこの特別な女性を一生大切にして見せる


と言った庇護欲が存在します。


読み手の方の中には護ってどういう事?何から護るの?

だったり、あーーーー昔言われたことあるな。

って方も少なくないなでは無いでしょうか?


女性をエスコートしたりリードする男性に惹かれる方が多い様に、

この男性の庇護欲や本能的な護りたいと思う気持ちに対して一定の理解度を持たれている方は経験則的にもかなり少ないです。


自立するほど短所を隠す大人達



自立というのは総じて個人単位での問題解決能力の高さに概ね比例する所があります。

そして、社会的精神的に成熟すればする程
その解決能力や感情のコントロールが熟練されていきます。


結果として自身の短所や弱さと言った部分に対して
自己の範囲内で折り合いをつけ一人で問題に向き合おうとする方が男女問わず往々にして多いのは言葉にするまでもありません。


一人で抱え込み処理出来る能力自体が悪いのでは断じてありません。

むしろ特筆すべき能力と言えます。

が、パートナーとの関係性となると話は異なってきます。


何故ならば恋愛であれ結婚であれ楽しいや困難と言った
苦楽を共に抱えながら共生していく事を視野に入れる訳ですから。


この手のお悩みが来た時によく言葉にする事があります。

自分自身の本当に弱い部分、見せたくないと思っている部分をそのまま蓋をしてしまうと、結局はその人という人間の個性を損なう事と同義でその人自身が見えなくなってしまう。

相手の腹の中心の内が分からない個性が見えない相手に対して貴方はどんな気持ちを抱きますか??


弱さを見せるのと甘える=縋(すが)るのは違う


男性の庇護欲と言うのは複雑かな、

俺がこの人は護るんだ!!と特別にするんだ!!と思った時に半ば本能的に湧き出る源泉のようなものです。


ならどんな時に感じるかと言うと

相手の心の内に触れられた時に他なりません。

そしてそれは必ずしもポジティブな部分だけに触れられた時ではないのです。

要は相手の清濁併せ呑む感情に、心の深淵に、奥底にあるドロドロした感情に、悩みや葛藤に、焦燥感や焦りに、


弱さとでも形容すべきその人の内部に触れた時

相手の人となりに触れた時に初めて知覚し認識し、庇護欲として生じる事に他なりません。


女性がパートナーに対して【関係性の構築】という観点で特別視するのとは対照的に

男性の場合は【相手の多面性を自分が理解している】時に特別視をします。
(モラハラや所有物の様に扱う利己的な思考は別)

故に、
自分だけが○○さんの○○を理解出来ている!するんだ!
この○○さんの屈託の無い笑顔は俺だけのもの

と感じている時にこの人のパートナーなんだと言う実感とでも言うべき優越感だったり特別視をするのです。



総じて言えることは男性にとって庇護欲というのは

女性のように関係性の構築だけでは中々湧き出る物ではなく相手の内部=相手の本当の部分に触れ寄り添う事によって

初めて成立します。



ここが崩れてしまうとそもそも破綻していたり全く垣間見えない場合


俺じゃなくていいんだろうな…
○○さんの笑顔を創れる相応しい人は他にいる

俺じゃ役不足なんだ

と言った女々しさとは根本的に違う敗北感のような自身の器量不足、容量不足の無さに思い悩み

中長期的に関係性が解れて行く事は話を聞いていても本当に多いですし

そもそも男性側に関してはみんな同じことを言います。

むしろ同じことしか言わない位共通しています。

(勿論男性女性に限った話ではありませんが、女性の場合はパートナーが孤軍奮闘していてもそれを支えていればいいと思う方が極めて多い為)


そしてそういった悩みになる場合のパートナーは殆どの場合


自立心の高すぎるが故の自己解決能力の高い女性=弱さを見せない

関係性が非常に多いです。


弱さを見せるのと、甘える=縋(すが)る
*ここでは混同すると分かりにくいので縋ると表記します

のは根本的に異なります。

縋るのは文字通り、利己的で自分の為の行動です。
しかし弱さを見せるというのは利他含めた相手の為の行動でもあります。


自立した人間程この弱さと縋るを混同しすぎている場合が多いです。
と言うよりもしています。


結果として
弱さや短所を他人に対して伝えるのは人として情けない事だ良くない事だといった刷り込みに近い認識があります。

今まで一人で頑張ってきた弊害とも言えますね。

しかしながらそうは問屋が卸さないもので、

「共生」していく上ではそこを履き違えていたは上手くいかなくなってしまうのは先に述べている通りです。

共生する為には自身の弱さを伝達するコミュニケーションが必要なのです。


相手を分かろうと、優しくする為に、相手の為に弱さを提示する強さ



一般的に弱さを見せるというのは後ろめたい事であったり、ネガティブであったり、
半ばあまり迎合しがたいという世の中的な意識の刷り込みがあります。


しかしながら弱さと甘さの違いでも話したように

時として弱さを見せるというのはコミュニケーションを円滑に進めるスパイスになり得ます。


もっと言ってしまうと
決して利己的なエゴではありません。

相手を分かろうとする時、相手のことを考える時もっと相手を知りたいという知的欲求心が沸き立ちますが 

相手の事を分かろうとするのは対外的な事だけでは決してありません。

相手のことを分かろうとする為に、
相手に優しくする為に、
相手を大切に扱う為に、


自身の弱さを提示するという強さに他なりません。

そして弱さを見せることは決して自分本位な悪いことでは無いのです。



皮肉にも弱さを見せる事は悪いことだという自身の枷が
巡り巡って他者に胸中を明かさなければ傷つかないという自己保身に他ならないのです。


自分の為ではなく
相手の為に弱さを見せる

万人が受け入れてくれる訳では無いかもしれない。
糾弾されたり否定されるかもしれない。

それでも自身の内面と折り合いを付け、傷付くことを厭わない強さとも言える脆さを垣間見た時

たまらなく人間として愛おしいと感じてしまうのも

美しいかな人間の性なんです。


PS.
長々とコラム形式で書いてみて万人受けするのか些か疑問に思う所があります。今後の活動方針の材料になります感想引用ネットで書いたり送って下さると幸いです


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