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【小説】土に落ちた汗は光り消えた

 太陽の明かりが黄色がかり始める午後四時。我が校の体育祭は紅団が勝利を収め、無事に終了した。

 湯木明里が教室に戻ると、既に半数以上のクラスメイトが帰ってきた。ハチマキが机の上に散らかってたり、写真を撮っているものもいたり。そして、汗とグランドの匂い。それらを感じることはこの先もうないのだと思うと、高校生活最後の体育祭が終わったことを痛感した。

「明里、私たちも写真撮ろ」

 そう呟きながら、一緒に戻ってきた山口由香はスマホを取り出し、画角の調節を始めた。明里もその九対一六の画面により良く写ろうと試みる。加工とJ Kの組み合わせは世界最強だと日々考えている二人は上手く盛れると、ようやく席に着いた。

「いやあ、終わっちゃったね」
「そうだね」

 口ではそう答えるが、明里にとってはまだ終わっていなかった。もちろん、行事としての体育祭は終わり、みんなと楽しめる体育祭は終わった。しかし、体育祭という行事のおかげで明里だけがまだ楽しめるイベントがまだ残っているのだ。だから明里の体育祭はまだ終わっていない。

 ジャージ姿のままの先生が教室に入ってくると、立ってしゃべっていた生徒たちは各々の席に戻っていく。先生は持っていた紙袋から缶ジュースを取り出し、次々と机に並べ始めた。

「先生の奢りだ」

 その一言で、再び教室は熱気を取り戻す。もちろん明里も由香も例に漏れず、騒ぎながらじゃんけん大会に参加するのだった。

 全員にジュースが行き渡ったところで、学級委員と体育委員が締めの挨拶をすることになった。明里もファンタグレープを持ってもう一人の体育委員である迫田諒の隣に並ぶ。

 学級委員の二人ともお疲れ様などを言って、マイク代りの赤ペンが明里に回ってきた。しかし、明里も特別なことを言うわけじゃない。楽しかった。もうないと思うと少し悲しい。普通の言葉。でもそれでいいのだ。普通が一番いい。

 赤ペンを次の諒に差し出す。渡すときに彼の手が明里に一瞬だけ触れ、思わずさっと手を引いてしまう。嫌われていると思われていないだろうか、と心配になり寮の横顔に目を向けるが、清々しい顔で話をしていた。ただの杞憂で何よりだ。

 やがてそんなホームルームも終わりを迎え、生徒はそれぞれの鞄を持って教室を去り始めた。

「じゃ、明里、私たち先に行ってるからね」
「また後でね」
「頑張ってね」
「片付けだよね。頑張るよ」

 もー、と頬を膨らませながら由香も他の子のように教室から出ていく。彼女らは一足先に打ち上げ会場である焼肉屋へ向かうのだ。

 一方、明里と諒の体育委員二人は会場の片付けをしなければならず、二人でグラウンドへと戻る。

「いやー、紅団も勝てたし、リレーも入賞。いい運動会だったな」
「体育祭だって」
「同じじゃん、運動会も」
「運動会って小学生までだよ」
「運動会も体育祭もやってることは同じだよ」

 時々、こんな風に謎のこだわりを見せる諒が、明里は好きだ。しかし決して恋愛の好きではない。幼馴染で仲が良い、という関係でもない。明里と諒は高校になってからずっとクラスが同じ。そういう関係。

 明里は諒の人柄が好きで、諒と話していて楽しい。彼のことが好きだ。でも恋愛に発展したいかというとそうではない。由香を始め、周りの人は皆それは恋だと言う。明里も真面目に果たして恋なのかと考えたことがあるが、何度考えても過去に感じた恋心のそれとは全く異なった。

 明里の気持ちに名前をつけることはできない。

 グラウンドに出て、委員長から指示されたテントに向かう。明里と諒はそれを解体し、本部に持っていけば仕事終了だ。

 この高校のテントはなぜか他校と比べて小さい。そのため男女二人での解体は余裕であった。

「いいか、外すぞ」

 明里が返事をすると、諒は器用に留め具を外す。その後、二人で脚を畳んだ。

「明里はテントの方畳んでて。俺が骨の解体するから」
「わかった。よろしくね」

 明里は言われた通り、リボン結びの紐を解き、テントを剥ぎ取る。今日は風が少し強かったためか、大量の砂が付着していた。グラウンドの砂はいいけれど、布に付いた砂を触るのが明里は苦手だ。まあ、後で洗えばいいのだと自分に言い聞かせ、畳む作業を開始する。

「ねえ、諒」
「ん?」
「はあ?」

 意味わかんねえとでも言いたげな顔で諒は苦笑いした。

「片付けとか楽しくねえよ」
「いやー、なんかエモいじゃん。みんなはもう帰ってるのに、体育委員だけ残って片付けとか。青春してる気がする」
「うーん……、そう聞くとエモいってのはわからんこともないな」
「でしょ!」

 最初は明里の言動に理解不能という態度をするくせに、説明をしてみるとちゃんと理解してくれるところが好きだ。でもやはり、それは恋心ではない。

 結婚をするならば、そういう人の方がいいと話を聞く。確かに、諒とずっと一緒にいたいと思う。ずっとこの時間が続けばいいのにと思う。

 そうどれだけ考えても、明里にとって諒はちょっと特別ないい友達なのだ。

「私、諒のこと好きだよ」
「俺も明里好きだよ」

 そんなことを言い合って、ゲラゲラと笑う。それでいい。

 ロープで縛ったテントを持ち上げる。夕方といえどまだ暑く、額から汗が流れ出る。その汗は明里の顎先から離れ、夕日を反射して光ったかと思うと、グラウンドの中へと消えていった。

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