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噴水と鐘の木、そして、ソフトクリーム

 ニュースの見出しに、懐かしい場所の名前を見掛けた。幼い頃を過ごした町にあった、象徴的な建物の名前。

 名前を見た瞬間、沢山の思い出がよぎった。私が住んでいた町の、少し大きな駅のすぐ側の、変わった形の建物。少しおすましして出かける場所。

 昨夏、報じられていたのは、その思い出深い建物の取り壊しが決定した、というニュースだった。

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 生まれたその町で暮らしていたのは、小学校五年生までだった。昭和四十年代から五十年代にかけての事だ。四十年から五十年くらい前の話だ。

 当時としては、かなり最先端のデザインの建物だったと思う。ホテルとレストランと結婚式場、それからコンサートホールと展示場とスポーツ施設、それらが併設された複合施設というものも、当時は珍しい物だったのではないだろうか。

 年に一度か二度くらい、祖母の習字の発表会があったのが、その建物だった。叔父の結婚式もその建物で執り行われた。それ以外でも、何かの折には訪れる場所だった。多分、あの頃、あの町で暮らした事のある人なら、何かしらの思い出がある場所だろう。

 私の中では、その建物は、「噴水と鐘の木、そして、ソフトクリームの場所」として、記憶されている。

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 噴水があったのは、建物の入口手前にある、テラスの様な場所だった。

 直径三メートルくらい、高さ三十センチくらいの、円形の台座があり、中がくり抜かれて、水が張られていた。そこに仕掛けられていたのは、凝った噴水では無かったけれど、子どもの目を惹くには充分だった。

 台座の中心には、柱が建てられていて、鐘を模したオブジェが、柱に沢山ぶら下がっていた。子どもの目には、柱とオブジェは、水中から生えた鐘の木の様に見えた。

 台座の縁は、巾が二十センチほどで、大人が腰を下ろすのに、丁度良い大きさだった。という事はつまり、ちいさな子どもが平均台の真似事をするのにも、丁度良かったりもするのだ。

「噴水の縁に乗るんじゃありません!」

 同行している大人達にしてみれば、子ども達が噴水に落ちたりしては、たまったものではない。両親も祖父母も、子ども達が噴水に近づかない様に、かなり目を光らせていた。

 それでも、台座の縁に立って、きらめく噴水と「鐘の木」を、飽かずに眺めたのは、一度や二度では無かったと記憶している。

「これっ!」

「いけませんって、言ったでしょ!」

 祖母や母に叱られる声も、今は懐かしく微笑ましい記憶だ。

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 生まれて初めて「ソフトクリーム」というものを食べたのも、その建物の二階にある、ラウンジだった。ソフトクリームの記憶が強烈過ぎて、他のメニューを全く覚えていない。

 確か、小学校一年生か、二年生くらいだったと思う。祖母の習字の発表会の時だっただろうか。

 初めて口にした時、この世にこんなに美味しいものがあるのかと思った。

 今でこそ、その辺のショッピングモールのフードコートでも、普通に売られているソフトクリームだけど、当時は、そんなにあちこちで見かける事は無かった。

 カップアイスともかき氷とも全く違う、口にした瞬間に、ふわりと消えてしまう、甘くて冷たくて濃厚な味わいは、当時の私には、夢の食べ物にしか思えなかった。

 今は、全く珍しいものではなくなって、食べようと思えば、あちこちで食べる事が出来るけれど、大人になってから、軽い乳製品のアレルギーが判明してしまった今の私にとっても、ソフトクリームは、やはり夢の食べ物だ。子どもの頃の幸せな記憶の中の食べ物だ。

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 大人になってから、一度だけあの建物を訪れた事がある。いや、この言い方は、正確ではない。正確に言えば、側を通り過ぎた事がある、と言うだけの話だ。

 結婚の準備に追われていた、二十年近く前の話だ。その頃はちょうど、今までの社会人生活の中でも、いちばん仕事が忙しい時だった。全く、何だってあの時期に結婚を決めてしまったのか、と、後から思ったりもする程に。

 生まれた町を離れた後も、生まれた町から戸籍を移していなかった私は、戸籍謄本を取り寄せる必要があった。けれど、平日に役所に行く余裕を全く見つけられなかった。

 そんな時期に、新幹線に乗らないと行けない場所に、急遽出張が決まった。出張先から少し足を延ばせば、生まれた町の役所へ行ける。少し早く家を出て、出張先に行く前に、役所に立ち寄って戸籍謄本を取ってしまおう、と思った。その方が手っ取り早いし、仕事への影響が無い。

 生まれた町を離れてから、二十年くらいが経過していた。祖父母が存命の頃は、生まれた家を訪れる事はあった。でも、役所がある駅も、あの懐かしい建物も、それまで訪れる事は無かった。

 午後いちの会議に間に合うためには、役所での手続きは、急いで済ませる必要があった。駅に降りた瞬間に、懐かしさが押し寄せて来たけれど、噛みしめる余裕は無かった。駆け足で役所に向かい、戸籍謄本を大急ぎで入手して、駆け足で駅に向かった。

 駅の側のあの建物は、幼い頃と全く変わらない佇まいだった。入口の噴水と鐘の木のオブジェに、胸を締め付けられた。中に入って、ソフトクリームを食べてみたかった。でもそんな時間は無かった。大急ぎで電車に乗った。

 とても正直に言えば、戸籍を生まれた町から移す、という事そのものも、私にとっては、痛みを伴う事ではあった。勿論、これから生涯を共に過ごすと決めた相手と、どうしても家族になりたくて、その為の選択ではあったのだけど。

 あの時の痛みは、今の私には微笑ましいものになってはいる。戸籍を移したからと言って、あの町が生まれ故郷で無くなる事は無いのだと、今の私は知っているし、夫と一緒に過ごしてきた時間が、今の私が暮らしている町への愛情を深めてくれたのも事実だから。

 それでも、あの日の短い滞在を、今も忘れられない。

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 今の私は、四十年近く暮らしているこの町が、大好きだ。嬉しい事も、悲しい事も、辛い事も、幸せな事も、沢山あった、大切なこの町。

 なのに、私は私自身の一部を、生まれたあの町に、今も置き去りにしているのかもしれない。

 取り壊しのニュースを聞いた時、生まれた町を離れた頃の気持ちを、鮮明に思い出した。思春期の私は、環境が変わった事による様々な出来事を、辛く感じていて、あの町に帰りたいと、泣く事が多かった。

 訪れる事が叶う内に、もう一度、あの場所へ行ってみたい。ニュースを聞いてから、そんな気持ちが、日に日に増していく。

 だったら、行ってみよう。

 地球の裏側に行こうという訳ではない。新幹線に乗りさえすれば、その日の内に行ける場所だ。思い立ちさえすれば、今日だって明日だって。

 今、行かなかったら、思い立っても、訪れる事は出来なくなってしまう。あの懐かしい建物が、今の今まで残っていた、という事自体、僥倖と言うものだ。建てられてからは、五十年よりも、もっと時間が経っている。

 そう、決めてしまうと、機会というものはやって来るらしい。ひょんな事から、新幹線に乗る機会が訪れて、友人たちと食事をする事になった。

 友人たちと食事をする前に、ひとりであの建物を訪れてみよう。

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 ICカードを改札に触れさせながら、不思議な気持ちになる。

 駅員さんが切符を切っていた時代なんて、遠い遠い昔の事だ。駅の改札を通る時に、そんな時代があった事を、いちいち思い出す事なんて無い。

 なのに、駅員さんに切符の上部に鋏を入れてもらったら天国、下部に鋏が入ったら地獄、なんていう遊びをしていた、ちいさな子どもの自分を、どこかで探してしまう。懐かしい建物の最寄りの、懐かしい駅の改札で。

 改札を出ると、すぐ、その建物を目にする事になる。

 駅員さんの鋏の音が無くなっても、建物の佇まいは、全く変わっていない。一瞬、今がいつなのか、分からなくなるくらいに。

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 建物の入口にたどり着いて、少し違和感を覚えた。

 噴水は無くなっていた。

 台座はそのまま残っているけれど、水の入っていた所は、コンクリートで埋められていた。何十年も経っている。恐らく、老朽化の進んだ噴水の管理を続けていくのは、大変だったのだろう。

 でも、懐かしい鐘の木のオブジェは、私を迎えてくれた。噴水を無くした台座の中心に、そのまま据えられている。

 噴水では無くなった、ただの台座には、沢山の人たちが腰掛けていた。皆、オブジェには背を向けて、隣の人と会話をしているか、あるいは、スマートフォンの画面を眺めていた。その昔、子ども達に見上げられていた鐘の木は、静かに、沢山の人たちを見下ろしていた。

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 建物の中に入ると、緋色の階段が目に飛び込んできた。そうそう、そうだった、こんな色をしていた。天井の一部も、同じような緋色に彩られ、丸く柔らかい灯りが配置されている。

 幼い子どもの目には、とても豪華に見えた緋色だ。

 大人の私の目には、レトロなデザインだな、と、映る。高度成長期に流行した、花柄のついたポットや炊飯器に、どこか通じるセンスがある。豪華だとは思わない。庶民的で、少しだけ安っぽくもある。だけど華やかで、どこかに夢を感じる。

 緋色の階段を登って、二階へ上がる。

 生まれて初めてソフトクリームを食べた、二階のラウンジは、旅行会社の店舗になっていた。思わず拍子抜けして、立ち尽くす。

 ああ、あのラウンジは、既にもう、二度と訪れる事が出来ない場所になっていのか。メニューにあるなら、珈琲くらいは飲みたかったけれど。

 立ち尽くす私の側を通り過ぎて、ふたり連れの女性が、旅行会社のカウンターに向かった。楽し気に笑い合いながら。

 あのラウンジはもう無いけれど、この場所は今も変わらず、誰かにとって、わくわくする場所ではあり続けている。そう思う事は、しょんぼりした私に、慰めと励ましをくれた。

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 友人たちとの待ち合わせには、まだ時間があった。案内表示には、一階にカフェがあると書いてあった。私が幼い頃には無かったお店だ。

 お店の中に入ると、建物の雰囲気に合わせてなのか、少しレトロな内装になっていた。カフェというよりは、今はなかなか見かけない、喫茶店と呼ばれる類のお店に、雰囲気が近い感じだ。

 メニューはさすがに今時だ。子どもの頃に見かけた、クリームソーダも、レモンスカッシュも置いてはいない。もちろん、ソフトクリームも無い。

 珈琲を頼むのをやめて、グレープフルーツジュースにした。メニューの中では、昭和の子どもが飲んでいた飲み物に、いちばん近い気がしたから。

 ジュースを飲みながら、想像する。

 もしも、生まれたこの町を一度も離れる事なく、この町で大人になって、今の年齢を迎えたのだとしたら、今日の私はどうしていただろう? と。

 仮定の時間の中の、仮定の私も、もしかしたら、今日、このカフェで、グレープフルーツジュースを、飲んだかもしれない。ああ、この建物はもうすぐ取り壊されちゃうのか、なんて、少し残念な気持ちを感じながら。

 でも、多分、現実の時間の、現実の私ほど、今日の、今の時間が、貴重で幸せなものだとは、気が付かなかったかもしれない。

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 そろそろ時間だ。名残惜しいけれど席を立とう。

 もう少ししたら、失われてしまう光景だ。変わらない鐘の木も、緋色の階段も、台座に埋め立てられた噴水も、旅行会社になったラウンジも、そして、初めて入ったのに、何となく懐かしいこのカフェも。

 この建物を訪れるのは、きっと、今日が最後の機会だ。今のこの時間が、席を立った瞬間に、過去になってしまうのが切ない。

 でもきっと、この同じ場所に新しい建物が立つ。新しい建物の中でも、誰かが喜んだり、笑ったり、わくわくしたりするだろう。

 新しい今を、大切に歩いていこう。思い出に背中を押してもらいながら。

 空になったジュースのグラスを、テーブルに置いて、軽く目を閉じた。

 失われた景色と、もうすぐ失われてしまう景色を、胸の引き出しにしまい込む。この先も忘れないように。

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