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パパJobチェンジ 僕Job逆指名(幼少期編7)

父が用心棒(ヤクザ)を辞めて社長になったと言い出した。

父の影響で任侠映画を多く観ていた10歳の私は気が気でならなかった。円満に辞めるには小指が飛ぶ。円満じゃ無ければ撃たれるか刺殺される。子供も思い込みが激しいので父(パパと呼ぶのは卒業)に命は大丈夫な保証はあるのか等、

「小指ぐらい落としてきたほうが安全だ」

と映画で得た知識のみで断指を勧めていた恐ろしい息子の提案を、軽く笑い私に分かりやすく説明をしてくれたのを強烈に覚えている。後述するが最終的に私にも仕事を要求してきたからだ。

父は言う「銀座のクラブに置いてある高級な調度品や着物、ドレスを仕入れて安く店に卸すだけの仕事で結果的に組のためになるし、カタギ相手の仕入れはカタギになったほうが都合が良い。さらには銀座では顔が効くから商売もしやすい」と私に説明をしてくれた。それならば大丈夫かと安心してしまうぐらいに単純な私なのだ。

今思うと10歳にして小売と卸の違いや下請け、原価と売値と粗利計算をここで学ぶ帝王学の下地があった。

私に要求してきたのは医師になることだった。お金の羽振りがよく浮き沈みも無く選手生命が長いのがいいらしい。プロ野球選手とかダメだと子供の夢を軽く一蹴し帝王学の講義は続く。これからは商売の時代で名前だけでは食べて行くのに苦労すると。銀座のクラブで多くの客を見て辿り着いた持論なのだろう。
「お前はほんの数年ガッツリ勉強したら医師になれるんだからやっておけ。あとからやりたいは通じない世界だぞと。」

私としては賃金の価値をよく分かっているはずもなく、ロマンで職業を選びたかったクチで選手生命の長いタクシー運転は一人で好きな場所にドライブで流せるからそっちが良いと言うと、それは勉学に励まなかった人が行く最終手段だと洗脳される。

10歳の私に中学受験を半ば強制的にスタートさせられたのだ。当時の私は極めて学力が低くテストでは中の下かそれより下だ。勉強したいなど一度も思ったことはなく授業中は妄想を楽しむ時間と割り切っていたぐらいに。塾などは近所の公文式に通って電卓になるかってぐらいに算数を超集中で短時間で終えて帰るぐらいしかしたことがないのだ。そもそも勉強の仕方、取り組み方が分からない。それを聞くと高卒の父が答えられるはずもなく、近所に有名進学塾があるのでそこに通うことが決められた。

○明学園という大森駅にある塾で開成中学合格者の数の日本一を何度も取ってる常連塾らしい。
母と一緒に入塾する手続きの中でテストを受けさせられた。そこで担当者は中学受験は諦めて中1になったら高校受験したほうがいい。10歳だと既にスタートが遅過ぎると暗に断ってきたのだ。プライドは傷付いたが勉強したくない私は小学生は遊べると喜んだ。

家族会議では私が医師になることは確定で、家庭教師を雇ってでも今からやらせるという方向は変わらないままだったが、家から徒歩3分にハードコア系ボディービルジムがあり、そこが運営している少数個別式学習塾は入塾テストはないので中学受験コースに入る運びになった、近所で顔見知りという安心感もあったのであろう。以後家族の共通話題は私のテスト結果と偏差値、合格率のみ暗黒受験戦争の始まりである。

私は傀儡、存在はするが私の意思は「捨てられた」と絶望する。捨てられても自由意志があったほうがいいのか、考えられないぐらいの無気力になってしまった。

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。