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自分自身を研究することが、他者への貢献につながる

あるべき姿を示す言葉として、「自分より他人のことを考える」という言葉があります。
与える人、Giverであるためには、必要な視点です。

この言葉は、時に一人歩きをしがちで、
自分の犠牲の上に他人の幸せを構築してしまうことや、
自分の心を押し殺して他人の考えを優先することにつながりかねない、
難しい側面を持つと思っています。

今のところ、私なりの解釈は、
自分の天命に従って、持てる力を我欲なく他人に差し出す
というところに落ち着いています。


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ところで、自分は一歩引いて、全体にとっての最適解へと導く力は「リーダーシップ」と呼ばれます。

リーダー。
圧倒的な実力があって、人望が厚く、唯一無二の存在。

そういう方ほど、自分自身の研究に余念がないと思っています。


骨の動きを追求する方々


アマチュアのオーケストラには、時々、「なぜここにいらっしゃるのか」と思うほど、異次元の実力をお持ちの方が降臨する時があります。

もちろん、コンサートマスターとして、楽団を率いてくださいます。


自分の体を使って表現をする分野でプロフェッショナルな方々は共通して、
「骨の動き」に行き着かれるようです。

私が出会った方々も、骨の動きに注目されていました。


あの五嶋龍さんのお姉さんの五嶋みどりさんと一緒に海外で修行されていた方は、音階練習をする時には「肩甲骨」の開き具合を意識するとおっしゃっていました。

また、普段はヴァイオリンの先生で、純粋な楽しみのために参加していた方は、弓を動かすときは「腕は鎖骨から動いている」ことを意識するとおっしゃっていました。

そうした真髄の部分を、惜しげもなく教えてくださるんです。


私はというと、ついつい合格点を取りに行くような練習をしがちです…。
骨への意識も、音色や、かかる重力や圧力と関連づけて理解することは難しく、
まだまだ分からない境地です。
その真髄に、少しずつ近づきたいと思っています。


どの道を歩んでいくか


「自分のため」と「他者のため」というのは、偏ってもいけませんが、
かといって線引きがあるわけでもなく、
どう捉えることが「あるべき姿」なのか、その答えを探すのは困難です。

それでも確かなことは、
周囲からはその実力と人柄に絶大な信頼を寄せていて、
その人がその人でいてくださるだけでありがたいと思う方ほど、
自分自身と向き合い、研究を重ねています。


それはまるで、「自分の持つ能力や才能を最大限に引き出すための実験」のようです。


細胞レベルで自分の特性を発揮するためには、
自分自身が研究者となり、指導者となり、進む方向を見つけていく必要があるのだと思います。

どんなに実力があって人望があっても、
どこかの段階で、自分の承認欲求やエゴを満たすために才能を消費させるような道を選んでしまうと、気づかぬうちに少しずつ、大切なものが失われていく気がします。

自分自身を研究し続けている方は、
自分の天命を全うされている印象があります。
そして、必要な幸せの種類や量、そして質を十二分に理解しているからこそ、多くを求めず、自分を高め続ける人生を歩めるのだと思っています。


そうした方々は、冒頭の「自分の天命に従って、持てる力を我欲なく他人に差し出す」ということを自然とやっていらっしゃいます。


だから、自分を最大限に生かし続けるために自分自身の研究をすることは、
時代の変化とともに、常識や価値観が移り変わっても、
他者のために生きる上で、普遍的に必要なことです。

そのことを、優れた方々との出会いの中から教わってきました。


私も、命続く限りは、自分自身の研究を積み重ねていって、
惜しみなく他者に差し出せる人になりたいと思っています。

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