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【architect】隈研吾氏に学ぶ

この写真は1991年に完成した隈研吾氏設計の建築『M2』である
時はバブル真っ只中
東京に無秩序にバブルのように、つくられては壊される建築を揶揄するような建築で建築家隈研吾氏はデビューした

『M2』は「第2のMAZDA」の意味で、自動車メーカー・マツダが新商品企画開発の拠点としてつくったビルであるは

世田谷区の環八沿いに堂々と建つこの建築は、古代ギリシャのイオニア式オーダーという柱頭をパロディのように巨大化したデザインである

現在はマツダから売却されて別の所有者になっている

今の隈研吾氏の建築からは想像できないようなデザインである

ある意味世相をパロディ化した建築であり時代を象徴しているのだが、この建築のお陰でしばらく東京での仕事は完全に干されてしまった

隈研吾氏は独立前後のバブル期に著書をいくつか出しておりその頃の著書には、当時の建築や建築家、バブルに浮かれる人々を揶揄するような視点で社会を冷たく見ている文章を残している


とは言え隈研吾氏は新国立競技場をはじめ今最も注目されている建築家と言っても過言ではない

そんな隈研吾氏であるが、東京大学卒業後は組織設計事務所の日本設計、ゼネコンの戸田建設へと就職している。
アトリエ事務所というデザイン専門の事務所には属しておらず、いわゆる師匠というものを持っていない
その後渡米しコロンビア大学で客員教授を務めたのち独立したある意味一匹狼的な生き方をしているように感じる


ところで東京で完全に仕事を失った隈研吾氏であるが、転機になったのは高知県高岡郡梼原町での一連の建築である

地元の資源を活用して、地域の活性化を担う建築を地元住民とともにつくりあげた

木の魅力を新しい視点で建築の構造にもデザインにも使うことで名をあげることに成功した

梼原町立図書館(雲の上の図書館)は時々テレビでも見かける有名な図書館である

(写真はHPから引用)

ここからは私の勝手な考察になるのだが、隈研吾氏の建築はイマテキに言うと

『映える建築』

ではないかと思っている

いくつか隈氏の建築は体験しているが、実はその建築的な構成にあまり際立った新しい試みは見られないように感じる
あまり偉そうなことは言えないが、Instagramなどで見受ける写真ほどの感動が、実際に訪れると感じられないのだ

逆に言うと、隈研吾氏の建築はInstagramで何としても投稿したくなるような魅力がある
しかも、ある特定の画角にフォーカスしたくなるようなポジションが存在するのだ

少し古い事例になるが中国での隈研吾氏の最初の建築の『竹屋』と言うものがある
これは中国ならではの素材である竹で宿泊施設をつくったものだが、15年くらい前にシャープの薄型テレビAQUOSのCMで吉永小百合さんが出演していたことでも知られている

他にも自動車のCMなど隈研吾氏の建築がさり気なく使われていることはよくある

昨年末の紅白歌合戦の『YOASOBI』が曲を披露したのも隈研吾氏設計の角川武蔵野ミュージアムの『本棚劇場』である
疾走感のあるメロディと小説を曲にすると言うコンセプトがダイナミックな本棚劇場に映えていた


以前私のnoteでも取り上げている↓

他にも私が体験した隈研吾氏の建築だと渋谷区青山の根津美術館のアプローチや同じく青山のサニーヒルズ南青山、福岡太宰府のスターバックスなど、とにかく映える建築が多い


隈研吾氏は時代と世論を読むのが上手い建築家だと私は思う
それは隈氏がアトリエ事務所というデザインに特化した事務所ではなくゼネコンや組織設計事務所のように企業としての損得や商売勘定の視点が求められる会社での経験が元にあるのかもしれない
まさに”映える”と言うのはSNSがコミュニケーションツールとして浸透している現代においては欠かせないテーマである

建築家は今までこの”映える建築”はご法度のようにしてきたところがある

あくまで実際にそこでの居心地や空間の体験にこそ建築の必然性を求めてきたからである

そのある種タブーのような手法を時代の流れとともに取り入れていく器用さが群を抜いているのが隈氏であるように思う

もちろん隈氏の建築にも空間的な豊かさはふんだんに盛り込まれていることは承知している

新しく完成した新国立競技場も賛否はあるが、ザハ・ハディド氏の案が白紙撤回された後のコンペでうまく木を多用してアピールする世間を見る目は優れていた

世の中を客観的に見て、時代を味方につける建築家隈研吾氏のアフターコロナの建築に注目したい

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