Ph.D持ちの会社勤めです。

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最近の記事

会社の新卒研修で致死量の初対面を摂取するのがキツい

社会人1年目が始まった。4月にやることと言えばそう、新人研修である。 新卒としてこの春就職した僕は、今、研修の真っただ中である。 それにしても、こんなにキツいものとは思わなかった……。 役員からありがたい講話を受けたり、講義と題して業務内容を頭に詰め込まれたり、グループワークで「絆を深め」させられたり。僕は4月のいっぴから今日まで、毎日そういうことをしている。つまらない部分もあるが、ちゃんと得るものはある。だから、研修自体に特段不満はない。 だがキツい。 最もキツいと感

    • 『暇と退屈の倫理学』覚書: 暇な人間における「惨めさ」を行為に基づき再分類する

      これは『暇と退屈の倫理学』という本の覚書である。と言っても、第一章「暇と退屈の原理論」の [苦痛を求める人間] という節までのまとめであり、本の全体の十分の一にも到達していない最序盤までの部分に該当する。興味のある人はご自分で購入されることをお勧めする。 人間、暇になれば退屈する。それで気晴らしや趣味に興じ始める。 だが、パスカルによればこれはまったく「惨め(ミゼラブル)」であるとのことである。 暇と退屈に起因する「人間の惨めさ」として、この本では簡単に3種類の「惨めさ」が

      • noteの「いいね」数について

        noteを始めて3年弱経った。これまで書いてきた様々な文章の中には、「いいね」が多くついてるものもあれば、そうでもないもの、全く評価されてないものもある。 伸びない文章がなぜ伸びないのか、ということについては、形式上のまずさに原因があると、少し前までは考えていた。 段落組などの文章の構成が不出来で、言わんとしてることが伝わりづらいために、あまり評価されないのだろう。 そうした考えから、noteの文章では、なるだけ形式を整えることを心がけてきた。 しかしながら、比較的形式が

        • 絶対に卒論を「ゴミ」呼ばわりすべきではなかった

          「俺の卒業論文はゴミ以外の何でもない」 ありふれた嘆きの声である。僕も自分の卒論を「ゴミ」と断言していた。 今、僕は博士課程を終えようとしている。いろいろあったがとりあえず博論として研究成果を纏めることができた。卒業論文の頃に比べれば、ずいぶん成長したものだと思う。 卒論を書き上げた頃は 「成長して振り返ったとき、きっとこの卒論は今以上に『ゴミ』に映ることだろう」 と思っていたのだが、実際のところそうでもない。確かに僕の卒論は科学論文の体を成していないし、酷いところも結構

        会社の新卒研修で致死量の初対面を摂取するのがキツい

        • 『暇と退屈の倫理学』覚書: 暇な人間における「惨めさ」を行為に基づき再分類する

        • noteの「いいね」数について

        • 絶対に卒論を「ゴミ」呼ばわりすべきではなかった

          そんな時間ねえよ

          noteのシステムがお節介を焼いてくれた。 こちとら明日が学位審査なので、勘弁してほしいと思った。

          そんな時間ねえよ

          配偶者と構築した関係性が社会的な批判の対象となる

          博論最終稿提出まであと7日。こんな文章書いてる場合じゃないんだけど、飯を食ってても電車で移動してても、ずっと喉に引っかかるような感覚があって仕方ない。それは以下の件に関係してである。 先日、このお方の投稿が炎上した。 「女性Ph.D持ちが事務職にいることをよしとしている」という旨を問題意識の高い人々に読み取られてしまった結果、炎上したらしい。実際、日本のアカデミア関連職における男女比がいびつなことは確かだ。 今の世間的には、こうしたアンバランスは、不当な男女差別が研究業界

          配偶者と構築した関係性が社会的な批判の対象となる

          ディズニー100周年の最新作『ウィッシュ』は概ね良かったが、終幕における魔法の取り扱いは最悪だった

          ※ゴリゴリのネタバレを含みます。ノーネタバレで『ウィッシュ』を視聴したい方はご遠慮ください。 12/15(金)に公開されたディズニー最新アニメーション『ウィッシュ』を、公開二日後の12/17(日)に同居人と映画館へ観に行った。 同居人はディズニー愛好家なので、ディズニー+のサブスク商売優先の粗製乱造、ポリコレ過多と言った、昨今のディズニーアニメーションを取り巻くきな臭い事情を兼ねてからある程度憂慮していた。 それだけに、ディズニーアニメーションスタジオ100周年の節目とな

          ディズニー100周年の最新作『ウィッシュ』は概ね良かったが、終幕における魔法の取り扱いは最悪だった

          コーヒー型文章と台所型文章

          序 最近の自分のあるある 俺の意見をあなたに伝える。 しかし伝わらない。それどころか誤解されてしまった。 言い方がよくなかったのかもしれないので修正する。 あなたの誤解は解けたように見える。でもやはり伝わっていなさそうだ。 もう一度だ。俺は表現をより明確にしてやる。これでどうだ。 なんと、なぜかあなたの誤解を蒸し返してしまった。 しかもいつの間にか誤解はあなたの中で確信に変わっているらしい。 俺は最初から今までそんなことは一言も書いてないのだが。 こんなことばっかりで、う

          コーヒー型文章と台所型文章

          劣等感に悩む博士課程学生に金を配るべきだと思う

          「自分は人に全て劣っていて、勉学、家柄、人生観、対人能力、何一つ適うものがない」という劣等感を、若いころはよく感じていた。特に博士進学直後は能力不足を感じることが多かったため、こういうえげつない劣等感に苛まれる頻度が高かった。 D2の頃、JST次世代という新しい奨励金制度への申請が晴れて通り、博士課程研究をしながら生活費という稼ぎを得るようになり始めると、こうした考えは無くなった(仕事上の能力のなさを痛感することは相変わらずよくあったけど)。 このことは「金を持つことで衣食

          劣等感に悩む博士課程学生に金を配るべきだと思う

          創作空間の制空権

          もう何度も言っていることだが、俺は創作ができない。これは命題のようなものである。20年と弱冠のこれまでの生活で得てきた俯瞰が俺にこの命題をあくまで直観的にもたらしている。決して理由と論理から導いた結論ではないので、妥当性があるものだろうか、果たして俺自身にも分からない。ならば、俺の人生にあと何年かが足し算された結果、この命題が偽と相成ることだって在り得るではないのか?そんなことを考えているせいで、ますます命題が頭にこびりついてゆく。つまり、俺は背理法に囚われているのだ。 創

          創作空間の制空権

          博士課程学生のためのオススメ本3選

          一般的に博士課程学生は論文を読むべきで、本を読むべきではない。 理解に詰まるときとか、息抜きが欲しいときは、本に頼ることもあるが、そういった読書に費やす時間は現実の必要性に迫られての「仕方なし」の時間であり、無しで済むに越したことはない。だから普通の読書行為は、基本的には時間の浪費である。 僕自身は、知識は乏しく、息抜きなしには生きていけない、という理想から程遠い学生だったので、そのたびにさまざまな本を読んで時間を浪費してきた。 そういう浪費がたくさんあったこと自体、博士課

          博士課程学生のためのオススメ本3選

          海獣の子供について

          海獣の子供というマンガがある。映画化されたのでタイトルを耳にしたことがある人も多いと思うが、僕は全巻購入して所持している。 僕はこのマンガを、他と同じように好きだと言えない。話の展開がぶっ飛びすぎてて何度読んでも未だに理解不能なため、好きとかそれ以前の問題なのだ。にも関わらず全巻持っているというのも、変な話である。 一応断っておくが、僕はよほど気に入ったマンガでない限り買わない。本当に面白いと胸を張って言える漫画だけを普通買い揃えている。その自慢のラインナップにこの意味不明

          海獣の子供について

          無題

          この世は生きるに値するんだろうか。何者にもなれぬ焦りすら果ててしまい、歳月とともに諦観ばかりがいや増す。胸中にはうっすらとした渇きがわだかまっているが、どうすることもできない。 金はない。余裕もない。金と余裕があったとて今更特段やることもないのだが、そういうことを考えると、気が滅入る。だからあくせく働いて、できるだけ物事を考えないようにする。 別に頑張って働いたところで持ち金が増えるわけではない。月固定18万だ。そこから健康保険や年金や税金が引かれて、残るのはこれっぽちだ。

          Splatoonシリーズはスベっているし、Splatoon3は盛大にスベっている

          まえがき:タイトルの「スベっている」は売れ行きの話ではありません。 自分はSplatoon3からSplatoonシリーズを始めた。PvsPのゲームはあまり好きじゃないという食わず嫌いがあったけど、やってみると結構楽しいので、発売1年が経とうとしてる今でも結構な頻度で遊んでいる。 プレイ以前はスプラシリーズに対して、アートやデザインのこだわりが半端ではないという印象を持っていた。 「ゲームのためだけに独自のフォントを作った」 「独自の音声言語も作った」 「秀逸な音楽とキャラ

          Splatoonシリーズはスベっているし、Splatoon3は盛大にスベっている

          雪について

          2023/8/11 蛇足部分を削除 雪はしんしんと降るなんて表現は生やさしくていけない。僕は雪が年に1度降るか降らないかという地で生まれ育ってきた。子どもの頃は雪が降れば子どもらしく大はしゃぎしていたが、大人になってそれなりに経験値を重ねた今になっても、雪について抱くのはやはり幻想だ。それも夢心地な幻想ではなく、苛烈ながら全く静かで、世界を氷点下に閉じ込めるという生命への冒涜に等しい現象、その雪という現象に僕が特有に抱く、名状しがたい幻想だ。 世界が終わるときというのは、

          雪について

          ポストクラシカルという音楽ジャンルに触れるようになって思うこと

          最近、ポストクラシカルという、あまりメジャーではないジャンルの音楽に手を出すようになった。 僕は元々は、ポップミュージックと西洋クラシックばかり聞いていた。中高から大学までオーケストラ部に所属していたし、ことあるごとにカラオケ店に友だち数人と遊びに行って日が暮れるまで歌うということをよくしていた。 しかし大学院に入ってからは、オーケストラやそういう遊び方と距離が空くようになり、研究に追われ続けて精神的な余裕がなくなり、いろいろな限界を感じながら昔ほど「聴き込む」こともできな

          ポストクラシカルという音楽ジャンルに触れるようになって思うこと