絶対に卒論を「ゴミ」呼ばわりすべきではなかった

「俺の卒業論文はゴミ以外の何でもない」
ありふれた嘆きの声である。僕も自分の卒論を「ゴミ」と断言していた。

今、僕は博士課程を終えようとしている。いろいろあったがとりあえず博論として研究成果を纏めることができた。卒業論文の頃に比べれば、ずいぶん成長したものだと思う。

卒論を書き上げた頃は
「成長して振り返ったとき、きっとこの卒論は今以上に『ゴミ』に映ることだろう」
と思っていたのだが、実際のところそうでもない。確かに僕の卒論は科学論文の体を成していないし、酷いところも結構多い。けれど、それはそれである。今になって思うのは「絶対に卒論を『ゴミ』などと言うべきではなかった」ということばかりである。

卒論を書いてた頃の僕は、仕事の価値がどれだけ有るか/無いかは、何らかの絶対的な尺度で測れるものだと信じ込んでいた一方で、一体どうやって研究の価値は測定されるのかはとんと見当がついていなかった。
「俺は研究を何もわかっていない」という自覚はかろうじてあったものの、一丁前に研究者ぶりたい見栄から想定された最適なポージングとして$${「俺の卒論はねぇ、ゴミだよ、ゴミ!!」}$$と言いふらすことにしたのである。
そうすれば、将来、自分の両眼のレンズに「カガクテキカチ」のスケールバーが搭載される日が来ても「ほら言った通り。俺の卒論なんて味噌っカスだった!」と胸をなでおろすことができるだろう……そう思っていた。

本当に残念な奴である。実際、誰がしの研究にどんな価値があるかをピタリ言い当てることのできる尺度などは、絶対にこの世に存在していない。
このことは、博士課程で色々惨めな思いをしながら、痛いほど理解した。
なんのことはない至って簡単な理屈である。
 ・尺度は定量化しなければ作ることはできない。
 ・研究には諸々の必要条件はあるものの
  「ここまでやれば上等」
  というような十分条件は存在し得ない。
 ・ゆえに既存の研究は全て終端のない
  オープンな状態で存在しているので
  定量されることはない。
 ・したがって、尺度は存在しない。
恐らくだが、これは研究だけでなく企業の仕事でも同じだろう。

だが実際のところ、研究において明らかにいい仕事というのは存在しているし、一方で明らかに悪い仕事にも結構遭遇した。
では、何が「いい仕事」をいい仕事たらしめているのだろうか。

いわば「真摯に取り組んだ末に得られた成果であるか」という点が、この仕事は「いい仕事」だなと思うかに寄与する要因として大きかったように思う。仕事の成果がどれだけ現代的諸課題の解決に機能するかなどは「いい仕事」と思うかどうかにあまり関係がなかった。ましてや、論文中に登場するデータ量などは、「いい仕事」かどうかには絶対に関係していなかった。

逆に言えば、いくら成果の外面が立派に映えていても、論文の中に妙なごまかしが含まれていたり、手抜きや、不明確さが残っていたりと「冒涜的なもの」を感じ取ると、「こんなことをする研究者にはなりたくないし、会いたくもないな」と思ってしまう。

煎じ詰めて言うと、仕事の価値は成果に宿るのではなくその裏側にある真摯さに宿るらしいということを、博士課程に居ることで体感として持ったのである。いささか陳腐ではあるけれど、概ねそういうことになる。

すると自分の仕事を自分で「ゴミ」と呼ぶ行為はどういうことになるかと言うと、それはもう自己冒涜に他ならず、真摯さの真逆を行く行為である。
卒論にいくら瑕疵が多かろうと、また、怠惰や誤魔化しが入り込んでしまったとしても、時間をかけて現状できる限りのことをした、それだけは紛うことなき事実であり、何より、そのことを知っているのは自分だけなのだ。

それにもかかわらず成果物を「ゴミ」と断定してしまうのは、ド直球な価値の毀損であるし、仕事の価値の何たるかをわかっていないことの現れだ。
何より、そんなことを言ったところで誰にとっても利益にならない。せいぜい、指導してくれた先生方や先輩方の厚意をドブに放り込むのと引き換えに、一時の虚栄心を満たすことができる程度だが、そうやって虚栄を張ることが一体何になるのだろうか?

そんなことから、僕は絶対に自分の卒論を「ゴミ」などと言うべきではなかったな、と思うのである。本当になんの得にもならないことをしてしまったと反省している。

これから学位論文に着手する人、これから仕事を始める人は、決して完成した成果物を後から「ゴミ」とは言わないように。思うのは自由だが胸の内にしまって反省材料にするだけにした方が絶対にいい。口にするな。

そして、既に学位論文執筆や仕事などで成果物を「ゴミ」と断定するポーズを堂々と取ってしまった後の祭りの民草、僕と同類の諸氏におかれましては
「一緒に恥を噛み締めて今後も生きていきていくしかないよ」
と声をかけるくらいしか、僕にはできない。今後はお互い、恥の上塗りをしないようにしようではありませんか。


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