『暇と退屈の倫理学』覚書: 暇な人間における「惨めさ」を行為に基づき再分類する

これは『暇と退屈の倫理学』という本の覚書である。と言っても、第一章「暇と退屈の原理論」の [苦痛を求める人間] という節までのまとめであり、本の全体の十分の一にも到達していない最序盤までの部分に該当する。興味のある人はご自分で購入されることをお勧めする。

人間、暇になれば退屈する。それで気晴らしや趣味に興じ始める。
だが、パスカルによればこれはまったく「惨め(ミゼラブル)」であるとのことである。
暇と退屈に起因する「人間の惨めさ」として、この本では簡単に3種類の「惨めさ」が紹介されているように見受けられる。
この本の中ではそれぞれを命名していないが、僕は個人的に、これらの惨めさを一般的な行為になぞらえて
・動機づけ
・実行
・達成
のそれぞれの惨めさとして分類できることに気が付いたので、簡単に纏めておく。

・動機づけの惨めさ
本書で暇と退屈の哲学の第一人者とされるパスカル曰く「不幸になりたくないならば、部屋でじっとしていればいいのに、そうできないから、人は不幸になる」だそうだ。
全くその通りだと思うし、救いようがないことに、僕自身こそ「部屋でじっとして」いられない病的な人間の1人に他ならない。行為すべきことが何もないこと、あるいは煎じ詰めて言うと、行為に駆り立てる動機づけが欠落していることに、人間は絶対に我慢できないのである。
いわば暇と退屈の根本的病理が人間を常に動機づけているのである。これは命題的に真な「惨めさ」であると認めるところから、以降の「惨めさ」の話が続いていく。

・実行の惨めさ
そこで人は「気晴らし(ディヴェルティッスマン)」を実行する。それらは苦しむことが前提の行為である。ウサギ狩り、山登り、ギャンブル、ネット通販、楽器演奏……いずれも退屈を回避するためには、体力・経済力を喪失するというような、広い意味での「苦痛」を伴わないと機能しない。"血と汗と涙"が必ず付きまとうのである。
汗一つかかずに登れる山には誰も興味をそそられないし、熱中できない。ネット通販すら、仮に無料でなんでも即日届くようになったら同じことで、お目当てのものを少しでも安く手に入れようとするあの熱中とは無縁のものになる。
苦痛から逃れるために、苦痛を伴う行為を実行するという論理的矛盾から来る惨めさである。

・達成の惨めさ
いざ「気晴らし」が目的を達成したとして「だからなんだというのだろう?」……虚しさを突き付けるような問いかけに端を発すると思われるこの惨めさは、私見では二段構えを取っている。

まずパスカル曰く、こうである。今からウサギ狩りをしに行くのだと語る人に「なんだ、じゃあこれやるよ」とウサギを渡したらどうだろう?かくして目的は達成された。しかし、彼は全く喜ばないに違いない。
なぜなら、彼はウサギが欲しいのではないからである。気晴らしがしたいだけで、別にそれが達成できれば、ウサギ狩りでなくても何でもいいのだ。
しかし、彼はそうされるまで「ウサギが欲しいからウサギ狩りに行くのだ」と思い込んでいる。ウサギという<欲望の対象>を<欲望の原因>であると履き違えているのだと言う(筆者表現)。こうした誤謬を働いている時点でこれもまた理性的人間として十分「惨め」であるように思う。

ただ僕が思うに、そうやって意地悪をされると、彼は喜ばないどころか、からかわれているかのような腹立たしい気分になって、逆ギレ(いや、順ギレか?)するのではなかろうか。彼のそうした憤りのゆえんは、その意地悪によって自分がウサギという<欲望の対象>を<欲望の原因>と履き違えていたことに"気が付かされた"ことにある。
それゆえ怒るというのは、つまり彼は気付きたくないのであって、心のどこかで自身の誤謬は疾うにわかっていることなのである。いかにも人間臭い弱さからくる「惨めさ」が、ここにある。

このように対象の達成をする(させられる)ことによってはじめて気が付く「惨めさ」が3つ目の「惨めさ」である。それは、<欲望の対象>を追い求めている間はそれ(ウサギ)こそが<欲望の原因>に違いないと思い込む、誤謬的な惨めさであると同時に、その矛盾を内心重々承知していつつも、いざ明るみにされると憤りを覚えすらしてしまう、極めて人間臭い惨めさである。

おわりに
本書では「動機づけ」→「達成」→「実行」の順で紹介されていた。一般的行為は「動機づけ」→「実行」→「達成」の順だから、この方がよっぽどわかりやすいと思ったので、改めてまとめたまでである。
また、それぞれの命名と分類は完全に塩の独自のものである。無理に一般的行為に収めようとしたので「『実行の惨めさ』は二段構えを取る」というずいぶんアドホックな説明に堕してしまったことは、素直自分も認めるところである。
とはいえ単なる思い付きの"覚書"なので、学術的にどうこうするものではないから、どうか参考程度に捉えてほしいということをここまで読まれた方にはお伝えしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?