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世界を変えたのは、頭の中にある言葉ではなく、外に出した言葉だ。

自分の考えを、自分の頭の中だけで考えるのではなく、外に出してみよう、そう思って、noteを書き始めた。

なぜそう思ったか。

もったいないと思ったから。

今私達が、読んでいる本、友達が発した言葉、昔から伝わる訓言など、私達が生きていくために、心の糧にしている言葉たちは、過去の人間が自分の頭の外に出した言葉たちなのだ、と気がついた。
世の中に、世界を変えるようなことを考えている人はたくさんいるのではないだろうか。ただ、自分の頭の中で。
別にそれを否定する気はさらさらない。
だが、自分の頭の中にある考えが、影響を及ぼす範囲は自分のみ、なのである。

今私たちは、ルソーだったり、アリストテレスであったり、ピカソであったり、岡本太郎であったりの、頭の中で考えていることを知ることはできない。ここに挙げたのは、すでに亡くなってしまった人物であるが、もちろんいまを生きている人間であっても然り。
ただ、彼らが語った言葉を受け取り、自分で解釈して、自分なりの意味を付与して、生活しているのである。
彼らは、自分の言葉を外に出し、自分以外の人に受け入れられることによって、社会を、そして歴史を変えたのだ。

先日、cotenの深井さんらがやっている「超相対性理論」というpodcastを聞いていた。
その中で、ショーペンハウアーの「読書について」のこんな言葉が出てきた。

自分の言葉を発した瞬間、その言葉は死ぬ。そして、新たな生命が生まれるのだ。

こんな趣旨の言葉。たしかにその通りだ、と衝撃を受けた。(恥ずかしながら、「読書について」は未読。読む。)
今の時代に多く読みつがれた古典作品は多々あるが、それらを書いた人々は、今の人間がどう受け取ったか知る由もない。
ただ、自分の考えを外にだすことが、正しいと信じて、外に出したのである。
この姿勢を見習おうではないか。

今の時代、誰でも情報発信ができるようになった。
自分の考えや意見を、世界中の人間に発信できる。
古代アテネやローマの時代からは考えられないことである。知の巨人たちが、羨む姿が目に見える。

別に、誰にも引っかからなくてもいい。
自分の言葉を可視化してみると、頭の中にあった時とは違った角度、視点で自分の意見を捉えることができる。
それだけで意味がある。思考が一歩先に進む。

このnoteが誰かを変えるかもしれない。世界を変えるかもしれない。
そう考えたら、ワクワクするのは自分だけか。

では、また。

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