<7月と空>何かがおわる日
「あの人は空になったんだよ。」
子どもの頃、大人にそんな言葉を投げかけられたことを、ふと思い出す。
なぜ、そこで擬人的に使われるのは、空なのだろう。
こんなにも空が好きなのに、そんなありふれた言葉を、これまで一度たりともきちんと考えたことがなかったことに、ふと気づく。
楽しいこと、楽しい時間、大切な人たち、自分を取り囲む日常・・・
もしも人生がそんなことの連続だとしたら、その連続がいつまでもずっと続くような、沈んだ太陽がまた明日ものぼるような、そんな思いが、「空」という言葉にこめられているのだろうか。
もしそうだとしたら、人は、なんて欲深い生き物なのだろうかと、つくづく思う。
私たち人は、たぶん、何かが「終わる」ということに、あまりにも無防備だ。
今、目の前にある世界は明日もあさっても続くと信じて疑わないし、それを大前提にしているから、日々を無為に、中途半端に過ごしてもそれを悔いることもあまりない。
あらゆることは、いつか必ず終わりを迎える。
それは1年後かもしれないし、明日かもしれないし、ひょっとしたら、この数秒後かもしれない。
いつかはわからないけれど、でも1つわかっているのは、「それ」は、ある日突然やってくるということ。
明日もまた空がそこにある、きれいな空にまためぐりあえる――そんな保証は、どこにもない。
***
今日、今、目の前にある空を、思いきり見つめて、愛でて、そして空との会話を愉しむ。
満足すること。愛すること。そして、それ以上、望まないこと。
ふと、空とわたしの関係をあらためて見つめなおしたくなって、わたしは雨の合い間のほのかに優しい色合いの青空を見上げた。
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