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「生産性が低い」は本当にわるいこと?—サービス産業から考える

日本は先進国のなかで労働生産性が低いといわれており、OECDデータに基づく2018年の日本の労働生産性は、就業者1人あたり7万7111ドル、就業1時間あたり45.9ドルで、OECD加盟国のなかでそれぞれ23位と20位に位置しています(1)。

批判的な文脈で用いられることの多い、この「生産性が低い」という形容ですが、じつは最近、サービス業についての労働社会学研究の文脈ではむしろ「質の高いサービスを提供していることの証左ではないのか」という成果があがってきています。いったいどういうことなのでしょうか。

労働関係論の研究者である首藤若菜さんは、著書『物流危機は終わらない』のなかで、労働生産性をあげるためには二つの方法がありうると述べています。すなわち、業務の効率化を進めて「労働投入量をより小さくすること」と、業務によって生じる「付加価値額や生産量をより大きくすること」の二つです(2、3)。

前者は、仕事量を減らしてかかる費用を減らす、つまり分母を小さくする試み。後者は、労働の対価として得られるお金自体を増やす、分子を大きくする試みと言い換えても良いでしょう。

サービス産業の一つでもあるトラック業界では、1980年代からつい最近まで、安い価格を前提にして、いかに効率的にドライバーが働かせるか(=分母を小さくすること)ばかりが考えられてきたと、首藤さんは語ります。

長距離輸送のドライバーは現在「荷物を届けるのが早すぎると保管料がかかるから数日待ってほしい」「でもこっちの商品は今すぐ届けろ」などの無理な打診を受けて、荷主の細かいニーズに合わせてモノを運んでいます。そのせいで、ドライバーは大型・中型の免許という専門的スキルを持ちながら、労働の少なくない部分を「荷卸し」や「駐車場での待機」という、一見ドライバーがやらなくてもよさそうな”労働”をさせられているそうです。しかも、その作業の多くは、コストカットのために無償でした。

これはある種、労働に対する正当な対価が払われていない状況といえます。そして、このような附帯業務にちゃんと賃金を支払うことで、日本の労働生産性は上がっていくはずだと、首藤さんは説明します。先にあげた分母/分子の対比でいえば、分子を大きくするアプローチが、ドライバーとして汗水流して働いている労働者のために必要だったということです。

逆に言えば、これまでコストカットのために無償で附帯業務が行われてきたからこそ、ことドライバーの働きに対する賃金が低かった——労働に対する正当な対価が支払われなかったから、本来労働と言えるはずのものにお金が発生せず、あたかもグラフに現れる数字上は「生産性が低い」ように見えてしまうようになったというわけです。

これは何も、物流業に限った話ではありません。なぜならば、サービス産業ではサービスの質を低下させることでも、生産性をあげることができるからです。

サービス産業の労働生産性を国際比較したとき、日本の水準が低いことはよく知られています。ですが、これはサービス品質の国際的な違いが考慮されていないために、日本では高いサービス品質を持つ商品が割安な料金で提供され、結果的に労働生産性が低くなっているという裏面の事実を無視するものです(4)。

首藤若菜『物流危機は終わらない』岩波新書,p216より

上の表は、労働学研究者の深尾らが滞米経験のある日本人と滞日経験のあるアメリカ人にアンケートを行い、サービス品質に対して「どの程度の価格を余分に払って(≒チップ)よいか」を質問し、「より多く払っても良い」と答えた分だけ品質が優れているとみなし、品質差を貨幣価値に換算して、前掲の首藤さんがコンパクトにまとめたものです。

これを見ていただければわかる通り、多くの種類のサービスで、日本の品質がアメリカを上回ることが明らかになっています。繰り返しになりますが、日本のサービス業はアメリカと比べて生産性が5割以上低いと言われています。ですが、大きな品質差が存在するのであれば、労働生産性の格差は実質的に縮小する、というわけです。

まとめると、日本の労働生産性の低さは、サービス業においては間違いなくそのクオリティの高さと、それに対する賃金が、国際的な基準に照らし合わせればあまりに少ないことに起因する、統計上の問題に過ぎないというわけです。この記事ではサービス業についてのみ考察しましたが、ひょっとしたら同じことが別の業界についてもいえるかもしれません。

ただ、だからといって、このデフレ下で賃金を大幅に上げるというわけにもいかないでしょう。ですが、少なくとも「生産性が低い/高い」という言葉の裏側にある事情を知ることで、現状をより良い方向に向かわせることもできるのではないかと思います。

1."第5章 労働【2020/21年版】", 日本国勢図会, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-13)
2.首藤若菜『物流危機は終わらない』岩波書店,2018年,pp210-217.
3.生産性とは「一定の財貨量の生産と、一ないしそれ以上の投入要素量との間の比」(アメリカ労働統計局)、「産出物を生産要素の一つによって割り算して得られた商」(OECD)などと定義されます。これらの基本となる算式は、「生産性=産出÷投入」として示されます。"生産性(産業)", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-13)
4.深尾京司・池内健太「サービス品質の日米比較」『生産性レポート』四号,2017年7月.

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