見出し画像

先入観を打ち砕くリテラシーを身に着けよう

大人になってある程度年月が経つと、「オレ、ちょっと世の中のこと良く知っている」と思うような瞬間がありませんか?同じ分野をある程度の時間扱っていると、様々な情報を得たり、その視点から世の中を広く分析するような資料を読む機会もあるかもしれません。

しかし、もしあなたがそのような瞬間を感じたとしたら、一歩立ち戻って「それは先入観ではないのか」と考えて見る必要があるかもしれません。

我々は常に先入観の中で生きている

私がお付き合いしている取引先の営業から、ある日メールを貰いました。そのメールには宛先のアドレスが表示されておらず、BCCで送っているようでした。メールの末尾には

「個人情報保護のため宛先はBCCで送信しています」

というテキストが入っていました。きっとご本人はこれで個人情報を守っていると思っているのでしょう。しかし、このメールはバルクメールではありません。その場合、メールアドレスをBCCにして送ることは実は意味がありません。加えて、私側の関係者にも送られているのかどうかがわからなくなり、かえって不便です。

また、個人情報漏洩事故というのは、しばしばアドレスを間違えて違う相手に誤送信をしてしまった時に起こります。そのようなケースはBCCでは防げません。ですので、この対策はITを良く知っている人から見ると意味がないばかりでなく、かえって物事を不便にしてしまっています。

しかし、実はこのような間違った対策が「アドレスが隠れているだけより安全だろう」という先入観のもと、本当に安全かどうかの検証がされることなく、多くの企業で行われています。

このような、日頃行っている何気ない行動以外にも、我々は多くの先入観のもとに行動をしています。たとえば、初対面の人の性格を占うのに県民性で京都人は気品が高いとか、血液型でA型は几帳面だとか、誰が作ったかわからない世の中の固定概念に基づいた先入観を抱いているかもしれません。

人間は「不確定」であることを嫌がる生き物です。不確定なものをなるべく確定させることで、生きる上でのリスクをなるべく減らして安心したいという力が働きます。また、毎回何かを考えて行動するよりは、先人が決めたことに従って行動するほうが楽で安心だという力も働きます。特に日本人にはこの2つの力学が強く働くかもしれません。しかし、そのために、世の中には様々な先入観が生まれ、多くの人がその先入観に従って行動してしまっている現実があります。

"専門家" も間違ったことを言う

世の中には「専門家」と言われる人々が多くいて、世論をリードしています。多くの人は「専門家が言うことだから間違えないだろう」と考えて専門家が言うことを信じてしまうかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。

まず、"本当" の専門家というのは専門性がかなり細分化されており、その人が本当に専門的な知識を持っている分野はかなり狭く限定されているものです。よくマスコミで "専門家" と名乗る人がコメンテーターとして様々な課題に対するコメントをしている場合があります。しかし、そのような人は "本当" の専門家ではなく、かつマスコミに忖度をして「マスコミが言ってほしいことを言ってくれるジェネラリスト」である可能性があります。

また、新型 コロナのような誰も経験したことがない事柄については、たとえその道の専門家であっても確定的なことは言えません。感染症であれば、ウイルスの毒性やワクチン・治療薬の効果は大規模な疫学調査が実施されない限りハッキリしたことが言えません。専門家であれば、不確定な状況ではあまりいい加減なことは言わず断定的な言い方を避けるはずです。

経済の先行きや馬券や宝くじの当たりくじを当てると言った将来予測についても同様です。景気の行き先については、複数の経済学者が異なる見解を示している場面をよく見ますが、確定的なことは結局のところ事が起こってから振り返るしか言うことができないのです。(たまたま言っていることが当たるケースはあるかもしれませんが、将来永遠に100%当てられるのであれば、その人が億万長者になっていることでしょう。)

このように専門家だから常に正しいことを言っていると思わないリテラシー  (物事を理解・解析する力) を身に着ける必要があります。

歴史から学べることも多くある

幸い、人間の社会活動については歴史から学べることが多々あります。たとえば人間が不確実なものを苦手とするといった性質は昔から変わらないため、過去に100%同じではないにしても似たような政治状況、経済状況になったときに結果がどうなったかを見ることで、今についても将来どうなるかをある程度高い確率で言い当てることができる場合があります。

たとえば今の社会情勢はちょうど100年前と似ていると言われます。新型 コロナとよく似たスペイン風邪が流行したのが1918年から1920年にかけてでした。その時社会の反応がどうだったか、ロックダウンをした都市としない都市でその後の回復にどう影響したのか、スペイン風邪がその後の社会情勢にどう影響を及ぼしたのかなど研究が行われています。

また、人間の社会活動以外にも、地球の歴史、たとえば地層や生物の化石などの研究を進めることで、過去に地球にどのようなことがどういう頻度で起こったか、そしてそこから将来どのようなことが起こりそうかをある程度予測することができます。これにより、大陸が移動したり大きな火山噴火や地震が一定頻度で起こったり、大きな隕石が周期的に地球に衝突したりと言った天災リスクも見積もりが行われるようになってきました。

このように、100%確かではないにしろ、過去を知ることでその延長線上の将来についてある程度知ることができることは、リテラシーとして身につけておきたいことです。

科学で説明できることは実はとても少ない

現代の文明には様々なところに科学の力が使われていて、私達はとても便利な生活を送っています。都市に住んでいれば、身の回りのものはすべて人工物であり、人間がすべてをコントロールしているような先入観を持つことでしょう。

しかし、身の回りのことがすべて科学で説明できるかというとそういうわけではありません。たとえば身の回りにありふれている水の振る舞いも「お湯と水を外に出してたら、お湯の方が先に凍る」といった未解明な現象があったり、プレートのずれによる地震に関係があり高校物理でも真っ先に習う摩擦係数なんかも未解明なことがまだあったりします。

高校や大学で習うニュートン力学や量子力学、相対性理論といった物理学も、近似値の理論に過ぎなかったり、逆に長期間の天気予報が困難であることがカオス理論で明らかになっています。また、医療や健康の話は人体がとても複雑なシステムであるため、たとえば何を食べるのが健康なのか、何を食べると痩せられるのかといった単純なことでも10年、20年前と正反対のことが正しいと言われたりします。

このように、現代科学で説明できることは意外にも世の中の表面的なことだけで、その他のことは説明できないことが多いのです。そのため、科学に絶対はない、必要以上に信じ込まない、ということもまたリテラシーとして身につけておきたいことです。

新しい価値観を受け入れる

冒頭で述べたとおり、「オレ、ちょっと世の中のこと良く知っている」と思うような瞬間、これが警告のサインです。私も過去にこの状態に陥ったことがありました。こうなると、あまり人の意見を聞かずに自分の価値観を押し通すようになってしまいます。しかし、色々な人と話をしていろいろな角度から、いろいろな意見を貰うことで、最終的に自分の意見は数多くあるやり方のうちのひとつの選択肢に過ぎないことに気づきました。

真実はひとつではない?

よく「真実」という言葉を耳にします。真実とは「嘘や偽りでない、本当のこと」と説明されます。事件や裁判が起こると、「真実が知りたい」と真実について争われることがよくあります。しかし真実というのは主観が入り、複数のメンバーの中で一致することもあれば、別々になることもあります

真実が別々になる場合はその人の立場や考え方が違う場合に起こります。たとえば歴史上の事件については真実がひとつでないということが良くあり、「〇〇戦争は侵略戦争だった」かどうかは、それを語る人の立場によって異なってきます。

このように真実が異なる状況になった場合、真実を巡ってどちらが正しいかを争ってしまうと永遠に答えがでなくなることがあります。そのようなときは両方の立場を認める、もしくは答えを出さないという形で勝ち負けを決めずに決着することも必要になります。

伝統って何?守らないといけないものは実は意外と少ない

これも先に述べたとおり、人が「先人が決めたことに従って行動」していることを「伝統を守っている」と言うことがあります。会社であれば、社訓、社風や仕事のやり方等があります。また、年賀状、初詣、花見、端午の節句、収穫祭などのさまざまな年中行事を従来からのやり方で行うことも含まれます。礼儀作法、着物の着付け、歌舞伎・詩吟などの伝統芸能、冠婚葬祭なども伝統に含まれるでしょう。

人によってはこれらのことを先人が決めたことだからと盲目的に実施していて、変えてはいけないものだと思っているかもしれません。しかし、それぞれの歴史を見てみると、実は景気を盛り上げるために企業が仕掛けたことだったり、あまり確固たる理由がなかったり、すでに時代遅れになった理由であったり、誰かが勝手に決めたことであったりということが結構あります。

たとえば初詣は明治になって鉄道会社が仕掛けたものですし、年賀状も明治に郵便制度の促進のために広く普及したものであり、クリスマスにプレゼントを贈る風習も、某飲料メーカーの広告キャンペーンを始めとする企業のキャンペーンにより広まりました。バレンタインやホワイトデー、恵方巻きなども同様です。

ですので、「伝統」についても盲目的に追従せずに、なぜそれを行うのか理由を考えてみることをお勧めします。今の状況に合わないのであれば、合うように変更したり止めたりしても良いわけです。このように、自分が持っている先入観や伝統について再検討できるリテラシーを持つことが重要です。

常に一歩下がって客観的に両面を考えてみる

組織の改革を行う際にも、組織メンバーの先入観や守っているものについてはしばしば課題になることがあります。組織変革には、それぞれのメンバーが持っている先入観や守っているものを整理して、変えるべきものについては納得の上新しいものに変更して貰う必要があります。

とはいえ、いままで10年、20年と培ってきたものであれば、簡単に変わらないのもまた事実です。お互い一歩下がってメリットやデメリットについて両面を考えることから少しずつ歩み寄っていく努力が必要になります。物事には常にメリットとデメリットの両面が存在するために、変化しようとする際は必ずこの両面を検討することが必要になります。私もこのトピックについては肝に銘じて常に一歩下がって客観的に考えていけるように努力したいと思います。

関連記事:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?