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「今とひとつ」になることで、叶えられるワンネス

精神世界やスピリチュアルと呼ばれる世界に触れるようになって、もう何年も経つけど、その一つの着地点として「ワンネス」ということがあると思う。

ワンネスとは「我々の全存在には分離がなくひとつである」ということだといっていいだろう。

また、このワンネスにはもうひとつ意味があって、それは「今とひとつになって生きる」ということだ。

この「今とひとつになって生きる」ということは、「いまここ」という言葉がその代表となっている。

つまり、「我々には分離など存在しない」という認識を持ちつつ、「今とひとつになって生きる」ことができるようになったとき、「ワンネス」の世界を生きていけるようになるのだ。

このふたつの認識を例えてみるなら、「我々には分離など存在しない」ということを横軸にし、「今とひとつになって生きる」ということが縦軸になると考えてもいいかもしれない。

このふたつの軸が交わる場所のゼロの地点で生きることができたとき、人は「ワンネス」を生きていけるようになるのではないかと思う。



この図のゼロの場所が中庸の場所であり、心の中に抵抗のない状態であり、無我の状態、あるいは夢中になっている状態といってもいいだろう。

人がこの中庸の場所、心に抵抗のない状態、あるいは夢中になっている状態に立ったとき、存在として心地のよい状態に立つことができるようになる。

だからこそ、人はこの状態になりたいという思いを持って生きるものなのだ。

人が中庸の場所であるゼロ地点に立つことができたとき、そこに「喜び」を感じるようになる。

いつでもどんなときでも、今という瞬間を喜びの中で生きていきたいという欲求が、我々の心の中にある。

そういった欲求が、我々の生命の根源にあるといっていいだろう。

では、どうすれば中庸の場所であるゼロ地点に立てるようになって、喜びを感じて生きていけるようになるのだろうか。

その方法として、僕はこれまでの記事の中で「喜びを感じることを選んで生きる」ということを書いてきた。

また、最近では「丁寧」という言葉をキーワードに、「丁寧に生きること」の大切さについても書いている。

この「喜びを感じることを選んで生きる」ということと、「丁寧に生きる」ということはアプローチこそ違うものの、たどり着く先は一緒であり、その着地点は「今とひとつになって生きる」ということである。

「喜びで生きる」ことも「丁寧に生きる」ことも、「今という瞬間に夢中になること」であり「我々には分離がない」ということを実感して生きることでもあるのだ。

人は「喜び」の中で行動しているとき、今とひとつになることができる。

また、何かを「丁寧」に行うとき、今とひとつになることができる。

喜びの気持ちで何かをするとき人は夢中になることができるし、丁寧さで何かに向かい合うとき人は夢中になれる。

夢中になるとは、その対象と向き合ってその対象と自分が「ひとつ」になる瞬間である。

一切の雑念のない状態で、その対象と自分がひとつに重なり合う状態といっていいだろう。

この向かい合う対象と自分がひとつに重なりあう瞬間に感じる「ひとつ」こそが、我々が日々感じている「ワンネス」でもある。

そして、この「ワンネス」の状態を持続して生きていけるようになったとき、人は大きな喜びの中で生きていけるようになるといっていい。

そういった意味でも「喜びを感じることを選ぶこと」と「丁寧さの中で今を生きる」というこのふたつを生活の中で意図して行って生きていくことができるようになれば、我々は「ワンネス」を体現していけるようになっていく。

理想でいうなら、生活のすべてを自分が嬉しいと感じること、楽しいと感じることだけをして過ごせるようになれば、常に夢中になることができ「今とひとつ」となって生きることができる。

しかし、生活のすべてを喜びの感じることだけで生きていけるわけではない。

むしろ、喜びと感じることを生活の軸にするのは、現代の生活では難しいといっていい。

その一方で、生活の中で丁寧さを心掛け今とひとつになることは、いつでもどこでもできることでもある。

そこで、喜びを感じることを積極的に選択するのはもちろんのこと、それ以外のときには丁寧さを意識して、今という瞬間を生きることができるようになれば、我々は多くの時間をワンネスを体現して生きていけるようになっていく。

日常の些細なことでも丁寧に行っていけるようになると、そこに喜びの感情を味わうことができる。

丁寧に何かをしていると達成感を味わうことができ、その達成感が喜びに変容していく。

何かを丁寧にやっていると、そこにちょっとした気づきが生れるものであり、その気づきが喜びに変化する。

だからこそ、一日の多くの時間を丁寧さを心掛け、今という瞬間を生きていけるようになったとき、我々は喜びの中で生きていけるようになっていく。

これが「今ここ」に生きることの醍醐味といってもいいかもしれない。

人は「今ここ」に生きるとき、「すべては一つ」という「ワンネス」を体感できるようになるものであり、そういった日々の「ワンネス」を感じて生きていけるようになったとき、生きることの素晴らしさを実感できるようになる。

「ワンネス」は、今この瞬間に在り続けている。

「ワンネス」とは永遠の持続であり、この永遠の持続に気づいて生きるとき、喜びの感情が溢れ出てくる。

人は、誰でも今という瞬間を「喜び」の中で生きるとき「ワンネス」を味わいながら生きることができる。

「今とひとつになって生きる」ことは、心掛け次第でいつでもどこでもできることでもある。

そこで喜びと感じることを可能な限り選んで生きるということと、今という瞬間を意図して丁寧に生きるということ、このふたつを実践していきていけば、ワンネスという中庸の心地のよい場所に立って生きていけるようになるだろう。

人が今に生きるとき、過去や未来の呪縛から解き放たれ、この瞬間を心地よい状態で過ごせるようになっていく。

過去や未来に生きるとき、人はよそ見をして生きることになる。

しかし、今とひとつになるとき永遠の持続を直視して生きることができるようになるだろう。

少しでも多くの人が、この今とひとつになって生きることができるようになれば、この世界のあり方が変わっていく。

少しでも多くの人が、今とひとつになって喜びの中で生きられるようになれば、この世界のあり方が反転する。

今とひとつになって生きること、このことが世の中を変える力となる。

ワンネスは今とひとつになることで叶えられる意識なのだ。

ひとりでも多くの人が今とひとつになり、ある臨界点を超えたとき人類の飛躍が起こることだろう。

今は、その直前であり、今まさにジャンプしようとするタイミングに入っている。

今という瞬間を喜びの中で楽しんで生きること。

これができるようになるだけで自分の世界も、この世界のあり方も変えることができるようになるだろう。

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