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#153 シャーマンと山【宮沢賢治とシャーマンと山 その26】

(続き)

神話の時代の後、日本に到来した仏教は、人々が従うべき規範などを含んだ、グローバルで体系的な教義を持ち、人々に対して、より論理的、合理的に拠り所とすべき「法」を提示し、国家統治の手段としても用いられた。

しかし、仏教は、神道や土着的な古代信仰が持っていた、「病の快癒」や、「作物の豊穣」といった、ある意味で、呪術的、現世利益的な面には欠ける面がある。

また、地形の変化に富み、四季がはっきりして天候の変化も激しい日本では、山や川、海のような自然の恵みを頼りとし、逆に、気候変動や災害を恐れ、人知では予測困難な自然を畏怖し祈る習慣が、連綿と続いていたと思われる。それらの畏怖や祈りは、日本の神話や神道の根底に横たわっているのではないだろうか。

国土の7~8割を山岳地帯が占め、ほとんどの地域で山々は人々の上にそびえ立つ。山々からは、生命に不可欠な水が流れ、ある場所では山から太陽が生まれて山へと太陽が沈む。
様々な自然現象は山と関わりを持つ。

日本人の信仰にとって山が重要な地位を占め、必要不可欠な存在となるのは当然とも言える。

海外から渡来した仏教が、古来の呪術的側面を持つ神道や、国土に土着した山岳信仰等と結びつきながら、日本独自の変化を遂げながら拡がりを見せるということは自然にも見える。

逆に、山岳信仰や神道の側でも、国家の宗教である仏教とつながりを持つことは、信仰の継続にとって重要でもある。

このような経緯で、仏教が、日本古来の山岳信仰や神道などと結びついていったのが、修験道が生まれる1つの流れではないだろうか。

【写真は、出羽三山の1つ、月山の山頂を目指す一団】

(続く)

2024(令和6)年3月16日(土)

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