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秘湯におけるささやかな低空飛行について 【カコキコウ:パナマ編】

秘湯があるのよ、とそのドイツ人はなぜか自慢げに言った。

僕は同世代の人間と比べればいささか旅慣れしている方だとは思うが、これまで見てきた数々の国に共通することといえば、2点である。

「アジアンマート」と呼ばれるものはもっぱら華人による中華マートだということ、そしてドイツ人はどこにでもいるということ、だ。


ドイツ人は本当にどこにでもいる。その旅好きな国民性に憧れると同時に呆れるくらいに。かなり必然的に。

パナマにおけるパナマ人の避暑地ボケテーつまり、外国人がおおよそ目的地に選ばない場所でもそうだ。おなじドミトリー・ルームにいたその中年ドイツ人女性(そう、ドイツ人の旅好きに年齢は関係ない)は、僕が日本人だと知ると大層嬉しそうにパナマにおける秘湯の存在を教えてくれた。

ボケテを俯瞰して。なかなか心地のいい街だ。


きっと気に入るはずよ、といい、僕の手帳に乗合バンの時刻表を走り書きしてくれた。かなり食い気味に。


***


翌朝、温泉に入ることを想定した海パン+Tシャツの服装で、中心街に雑に止まっている小さなバンに乗り込む。海外で現地人の交通を使う際は毎回気を使うが、中米では気を使いすぎないことはない。なにせ、行き先なんて全く書いてなく、颯爽と客を乗せ颯爽とさっていくバンを器用に捕まえなくてはならないからだ。


温泉、なんて単語はスペイン語では言えない僕は、自分のスペイン語ボキャブラリーを最大限絞り出す。

アグア・カリエンテ?(温かい水)ー僕はパナマ人に通じる温泉のジェスチャーを知らないが、とりあえず寛ぐ顔芸をしてみる。

運転手は軽くシー(分かった)、といい、早く乗れと招く。

運転手に行き先を伝え、なんとか席を確保する。

ボケテから太平洋側に20分ほど行った荒野のような場所でバンが止まる。運転手がここだという。この先に、ドイツ人おばちゃんのいう秘湯がある。


2月だった。パナマは北半球に位置するが、冬なんてものは存在せず、乾季が数ヶ月続くだけ、というささやかなものである。

どこまでも飛んでいきそうなくらいに高く登った太陽が、ジリジリと肌を焼く。音が聞こえそうだ。道玄坂のケバブ屋で雑に焼かれる肉塊のように、確実に、かつじっくりと、僕の首を焼いていく。腕を。ふくらはぎを。背中を。


トラクターに乗った農民たちが、上裸のアジア人を不思議そうに見る。

ウシたちが、気だるそうに草を食んでいる。

パナマの田園風景、パナマの牛である。日本からすれば地球の反対側で牛からの視線を浴びている、という世界線に浸りたくもあったが、足元の悪さとしつこい日差しはそんなノスタルジアの入り込む隙を与えなかった。

牛も流石に暑そうだった。


***


オーバーヒートしそうなiPhoneを頼りに未舗装の道を40分ほどTevaで歩くと、集落までは言わないが、軽やかなアイルランド民謡のように気持ちの良い村に着く。

心地の良い緑地に暖かい水路が流れる。ひとり2ドル。

温泉は個人の敷地内にあるので、入湯料(?)がかかる。2パナマ・ドルだ。といっても、パナマ・ドルは米ドルと完全に相場が固定されている。よれよれの1ドル札を2枚、麦わら帽子がよく似合う、まるで体の芯まで焼けた初老の男性に渡す。

歩いてきたのかい、けったいなもんだね、と彼は言った。

くしゃっとした笑顔がとてもチャーミングなアブエロ・デ・パナマである。足元に3羽の茶色がかったニワトリがいた。


その「温泉」ーあるいは、各所から温水が渾々と湧き出る草原、といったほうがいいのだろうか。

体育館二面分ほどの敷地に、4、5つほど温泉が湧く小さな池がある。日本的温泉の文脈でしか温泉をみたことのない僕にとっては、どうしようもなく不思議な光景だった。

現地人の先客がいたところを避け、ひとつの池を選ぶ。泥の底からは、いたるところに気泡が立ち、湯気が立ち込めている。間違いない。温泉だ。


泥と区別できないほど汚れたTevaを脱ぎ、Teva焼けした足をそっと水面につける。温度はそこまで高くない。三十八度くらいだろうか。

うまく座れる場所をなんとか探し出し、体の力を抜く。

ここでやっと、不思議な感覚に浸る余裕を持つことができた。今、僕はパナマの、避暑地の、そこからさらに行った田舎の、牛に睨まれながら歩いた先の、温泉にいる。日本におけるそれと全く違う文脈に、日本的な温泉が存在する。日焼けと水温でぼやける思考のなかで、そう考えていた。

疲れた足には温泉。これは真理。

***


ふと目を開けると、血色の良い少女がこちらを見ていた。


僕は心地の良い湯温とひさびさの入浴(スウェーデンでもどこでも基本的にシャワーの生活が半年ほど続いていた)にうたた寝してたが、その少女は僕のいる池の反対側に立ち、こちらをじっと見つめている。

周りに目をやると、先客にいたパナマ人大家族がこっちに混ざれ、と手招きする。そのー例によって芯までよく焼けているー少女にリードされるように、大家族のいる池に入れてもらった。


こちらはどちらかというと温水プールのような可愛げのある温泉だ。子供たちは泥遊びに精を出し、大人たちは涼しげな木陰に椅子を立て、世間話に精を出している。父親らしきドンの風貌をもつ男性が僕にタッパに入った赤飯をくれた。

「カリブ赤飯」、と僕はそれらを勝手に呼んでいる。中米、とくにカリブ海側では、主食としてガーリックの効いた赤飯をよく食べる。バナナのフライとお好きな魚のソテーを加えれば、立派な中米定食になる。温泉に入った疲れもあり、ほどよく塩とガーリックの効いたカリブ赤飯は絶品だった。

例として、他のレストランで食べた「中米定食」。日本人の舌に合いすぎる。

***


僕の二外で突貫工事的にこしらえたひ弱なスペイン語能力では、大人たちの会話は気持ちがいいほどさっぱりわからなかった。だが、僕を連れてきた十歳くらいの少女のいわんとすることは6、7割ほど理解できた。


何回も聞き直す僕にも、少女は辛抱強く、たくさんのことを話しかけてくれた。私たちはチリキ州の州都ダビッドから来たということ。五人兄弟の四番目だということ。弟の面倒を見るのが仕事だということ。小学校の勉強では理科が好きだということ。


「私、よく同じ夢を見るの。」

それはいったいどんな夢なんだい、と僕はなんとか言葉を絞り出して聞く。

「空を飛ぶ夢よ。空と言っても、人がちいさな点に見えてしまうような、そんなたいそうな高さではないの。せいぜい腰の高さくらい。泳ぐように、低空を飛んでいくの。それって、とっても気持ちがいいものよ」

僕も答える。yo tambiénー僕も同じだ、と。風邪をひいた二日目くらいに、穴に永遠に落ちていく夢の次に、もっぱら不可避的に、ささやかな空中浮遊の夢を見るんだ、と。

伝わったかどうかは分からない。文法も破綻しきっていたかもしれない。語彙を英語でカバーしすぎていたかもしれない。ただ彼女はbienーいいね、と言っただけだった。


帰り道、バス停まで送るよ、とのドンからの申し出を快く受け入れ、その家族の軽トラの荷台に乗せてもらった。

なかなかの南中高度を誇るパナマの太陽も大きく傾いてきている。パナマ牛は依然として、寡黙に、丁寧に、草を食んでいた。


***


彼女が今もパナマのどこかで元気にしていることを僕は願う。


いつまで僕のスペイン語能力が保たれるかなんて、分からない。

いつまで僕らが同じ夢を見るかなんて、それよりももっと分からない。


だから僕は、多くの空白を内包する手帳に、きょうも小さな手記を残す。

それが夢でのささやかな飛行であれ、秘湯でのたどたどしい会話であれ。


***


白青研究所(siroao institute)

池尻って何もない街って思われがちですが、下北、三茶、中目、渋谷、代官山が歩けるってなかなか良い立地じゃないですか?池尻で学生生活送れるってなかなか贅沢なことだと、最近気づくようになりました。なかなか好きな街です。

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