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幸せになるための仏教的「有意義な生き方」とは❓

ブッダの教えを学びながら有意義な生き方を始めてみませんか?

前回までは、誰もがブッダの教えによって有意義な生き方を始めるために、『ブッダが説いた幸せな生き方』(今枝由郎 著 岩波新書)を読んできました。


今回は、仏教的「有意義な生き方」についてです。

それではブッダの教えによる「有意義な生き方」とはどのような生き方でしょうか?

このことに関して、スリランカ上座仏教のスマナサーラ長老は、『有意義な生き方 幸福に生きるとは?』(サンガ新書)のなかで、

 仏教でいう「有意義」の定義は、幸福になり、苦しみがなくなる言葉・生き方・思考・実践です。生きる苦しみを根本からなくす生き方でなければ「有意義な生き方」とはいえません。

と述べています。

そして、以下のようにも説明しています。

 有意義な生き方は幸福を目指すことです。完全成功の、副作用のない道を選ぶことなのです。そして、幸福からより高いレベルの幸福へと進むような生き方は、仏教的な生き方なのです。仏教で説いているのは、「幸福から幸福へ進みましょう」「毎日、幸福のレベルをアップさせましょう」ということです。そうすると、これ以上ない高いレベルの幸福が得られます。これが有意義な生き方なのです。

アルボムッレ・スマナサーラ『有意義な生き方』 75頁


一方、「有意義な生き方」とは対極の生き方は、「無駄な生き方」であり、スマナサーラ長老は、「「無駄な生き方」とは、一般的な社会人として、誰でもやっていることをやって、感情に振り回されて生きるだけの人生です」と述べています。

「無駄な生き方」とは、一般的な社会人として、誰でもやっていることをやって、感情に振り回されて生きるだけの人生です。世の中の普通の人々は、みんな同じことをやって生きています。学校に行って勉強する、仕事をする、結婚をする、子供を育てる、年をとって死ぬ。その他に何かやっていますか? その程度のことに夢中になる人生は仏教から見れば無駄な生き方です。いくらがんばっても右も左もわからないまま死んでしまいます。医者であれ、議員であれ、弁護士であれ、みんな死ねば一緒です。生まれて老いて死ぬだけの人生です。

 仏教は世間の一般的な生き方に重きをおきません。それは無駄な生き方です。
 しかし、苦しみがなくなり、幸福がどんどん増える人生ならば、それは有意義な生き方なのです。

アルボムッレ・スマナサーラ『有意義な生き方』 39-40頁


そして「無駄をなくすための十三ヶ条」として以下を挙げています。

①私の生き方は私自身の役に立っていますか?まわりの人たちの役に立っていますか?

②心を汚さずに成長していく生き方をしていますか?

③日々、徳(良いこと)を積む生き方をしていますか?

④今日は良いことをしましたか?

⑤小さなことでも投げやりにならず、真剣にやっていますか?

⑥日々何かを学んだり、経験を得たりしていますか?

⑦欲・見栄・高慢・嫉妬・落ち込み・怒りなどの感情に負けていませんか?

⑧刺激的な快楽からではなく、日常生活から充実感を得ていますか?

⑨資源と時間の使用を最小限にする努力をしていますか?

⑩怠けて手抜きをする生き方ではなく、活発に生きていますか?

⑪すべての生命に対して慈しみがありますか?

⑫人生のすべての一分一秒は一回限りであり、再生できないことを理解していますか?

⑬興奮・混乱・緊張の状態より、落ち着いていて心が平安である状態が幸福であると理解していますか?

そのうえでスマナサーラ長老は「これらの項目は、ぜひ覚えておいてください。そうするとあなたの人生は無駄のない人生になるのです」としています。

毎日の生活にどこか「無駄」がある場合、これら全てに「はい」と答えるのは出来ないかもしれませんが、仕事や学習、人とのコミュニケーション、親の介護や子育てなど、けっして投げやりになることなく、その時その時、何事にも智慧と気づき、慈しみの気持ちを持って接するようにすれば、日々の生活は次第に「有意義」なものへと変わっていきます。そしてこのことは「今という瞬間」を全力で生きるという、仏教的な生き方へとつながっていきます。

つまりブッダの教えを学び、頭のなかで考えて終わるのではなく、日常生活において実践し続ければ、「毎日が幸福になり、苦しみがなくなる」のです(このことはブッダの教えに出会ったあとの、私自身の実感でもあります)。


お忙しい中ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます😊


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